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93年皐月賞馬ナリタタイシンのいま(1)29歳を迎えた世代屈指の切れ者

  • 2019年07月16日(火) 18時01分
第二のストーリー

▲北の大地でのんびり暮らすナリタタイシン(撮影:佐々木祥恵)


育成牧場で過ごすおだやかな余生


 1993年の日本ダービー馬のウイニングチケットの取材をした際に、その年の3冠を分けた3強が揃って健在で、余生を過ごしているのは珍しいのではないかという話をした。その3強のうちの1頭が皐月賞馬のナリタタイシンだ。ナリタタイシンは現在、北海道日高町富浜にあるベーシカル・コーチング・スクールという育成牧場で余生を過ごしている。訪問した6月10日は、奇しくもナリタタイシンの誕生日で、満29歳を迎えた記念日でもあった。

 牧場で競馬を引退した馬を目にした時に、これが競馬場で激しい闘いを繰り広げてきた馬なのだろうかと信じられない気持にとらわれることがある。みな、サラブレッド特有の敏感さは残しているのだろうが、その姿は現役時とはまた違う穏やかなオーラに覆われている。誰にも邪魔をされずゆったりと草を食める放牧地では、馬たちの気持ちにもゆとりができて、穏やかな時間を過ごすことができるのだろう。ベーシカル・コーチング・スクールのナリタタイシンもまた、放牧地でゆったりと穏やかに草を食んでいた。

 ナリタタイシンは、1990年6月10日に北海道新冠町の川上悦夫さんの牧場で生を受けた。父はリヴリア、母はタイシンリリィ、母の父はラディガだ。父リヴリアは、キングジョージ6世&クイーンエリザベスSを始めGI10勝を挙げた名牝ダリアを母に持つ良血種牡馬で、ナリタタイシンをはじめ、ワコーチカコ、マイヨジョンヌなどの活躍馬を輩出している。母のタイシンリリィは競走馬時代は25戦2勝という成績だったが、初子のユーセイフェアリー(父アズマハンター)が1992年阪神牝馬特別(GIII)に優勝、2番子のドーバーシチー(父ニチドウアラシ)は障害レース2戦0勝を含め20戦3勝で、引退後はポルカという馬名となり、存命中は埼玉県東松山市の上岡馬頭観音祭でご神馬としても長年活躍していた。そしてタイシンリリィの4番目の子として生まれたのが、ナリタタイシンだった。

 山路秀則氏(故人)の所有馬として栗東・大久保正陽厩舎から、1992年7月11日に札幌の芝1000mの新馬戦でデビュー。1番人気に推されるも6着と初陣を飾ることはできなかった。舞台を移した10月の福島の芝1700mの未勝利戦で初勝利を挙げたのち3戦は6、2、2着と勝ち星に恵まれなかったが、12月の阪神競馬場で行われたラジオたんぱ杯3歳S(GIII)で初めて重賞を制した。

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▲ナリタタイシン(左)。ラジオたんぱ杯3歳S優勝時(C)netkeiba.com


 明け4歳(旧馬齢表記)の1993年1月のシンザン記念(GIII)2着、武豊騎手が初めて手綱を取った弥生賞(GII)でも2着(勝ち馬はウイニングチケット)とあと一歩及ばない競馬が続いた。ウイニングチケット、ビワハヤヒデに続く3番人気で臨んだ皐月賞(GI)では、後方から進み、直線で馬群を縫うように伸びてきて、ゴール前で先頭に立っていたビワハヤヒデを計ったように交わして、クビ差で見事GIタイトルを奪取した。日本ダービーでは、ウイニングチケット、ビワハヤヒデに及ばず3着に敗れ、2冠達成はならなかった。7月の高松宮杯(GII・芝2000m)を挟み、秋シーズンは当時菊花賞トライアルだった京都新聞杯(GII)から始動予定が、1週前追い切りで運動誘発性肺出血を発症して回避。ぶっつけで菊花賞に出走するが、体調が本物ではなかったのか、後方のまま17着に終わった。

 明け5歳初戦の目黒記念では前年秋の鬱憤を晴らすかのように勝利して春の天皇賞(GI)に挑んだが、ビワハヤヒデから1馬身1/4差の2着に敗れた。

 その後は軽度の骨折や屈腱炎発症などが続き、およそ1年間の休養を余儀なくされた。1995年の宝塚記念(GI)で復帰したが16着と振るわず、高松宮杯への調整過程で屈腱炎が再発。競走馬登録を抹消された。

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▲2着に敗れた天皇賞・春(C)netkeiba.com


 現役引退後は腸捻転で供用5年で亡くなった父リヴリアの後継と期待されて種牡馬入りしたものの、重賞は地方の新潟ジュニアC優勝のファヴォリートを出すにとどまり、産駒は思ったような成績を出せないまま2003年に種牡馬を引退。前述した日高町のベーシカル・コーチング・スクールで余生を送ることとなった。

 ナリタタイシンが草を食む放牧地が見える育成馬たちの厩舎で、同場代表の高橋司さんが笑顔で出迎えてくれた。そして

「タイシンはこうして草地にいる時が、体の張りツヤ1番良いですね」

 と教えてくれた。高橋さんや私たちが放牧地のそばに行くと、タイシンがこちらに注意を向けた。

「連れに来たの? まだ帰らなくていいでしょ? って、きっとそんな感じですよ(笑)」(高橋さん)

 やはり放牧地で自由に草を食べている時間が、タイシンの至福のひとときに違いない。

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▲「もう帰るの?」という表情(?)のタイシン(C)netkeiba.com


 「先代の山路オーナーから育成馬をお預かりしていたのですが、タイシンが繋養されていた種牡場の閉鎖と同時にタイシンも種馬を引退させるということで、山路オーナーが繋養先を探しているという話をお聞きしました。生産牧場なら1頭の繁殖と10年、15年、あるいはずっとという付き合いもありますけど、育成牧場はサイクルが早いんですよ。調教が順調に進めば進むほど厩舎に早めに行きますし、その馬が必ず休養に帰ってくるわけではないですからね。それでずーっと牧場にいる馬がいてもいいのかもしれないと考えていたところに、そのお話が来たものですから、私の牧場でよろしければということでお引き受けさせて頂きました。タイシンがやって来たのが2003年ですから、ウチの場長以外の今いるスタッフが入社した時には、既にこの子がいたという状況ですね」(高橋さん)

 タイシンがベーシカル・コーチング・スクールの仲間となって約16年。競走馬生活よりも種牡馬生活よりも、長い歳月が流れたことになる。

(つづく)


ナリタタイシンを見学ご希望の方は下記を(「競走馬のふるさと案内所」)をご参照ください。
https://uma-furusato.com/i_search/detail_farm/_id_1216

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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