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30年にわたってお付き合いいただいた原良馬さん

  • 2019年07月27日(土) 12時00分

ここに謹んでご冥福をお祈りいたします


 原良馬さんが亡くなりました。原さんには、私がテレビ東京「土曜競馬中継」で実況を始めた1990年4月以来、30年にわたってお付き合いいただきました。長年にわたるご厚情に深く感謝申し上げますとともに、ここに謹んでご冥福をお祈りいたします。

 原さんといえば、まず思い浮かぶのが分厚い競馬ノート。毎週毎週、競馬新聞を1レースごとに切り抜いてノートに貼り付け、そこにレース展開や結果、気になった点などを細かくメモしていました。

「僕にはこれがないとダメなんだ」イベント出演や原稿執筆などで仕事が立て込んでいるときも、手を抜くことなく続けていたノート作り。それは、原さんならではの矜持だったと思います。

 原さんがよく口にしていたのが、「今でも覚えているけど」という前置き。昔のことを話すときの口グセで、競馬が中止になった雪の日に転んで骨折したことや、「土曜競馬中継」の出演者が原さんと私を除いて総入れ替えになったときのいきさつなどを話すときには、かならずこのフレーズから始めていました。とにかく記憶力の優れた方でしたね。

 原さんがそう前置きしてからよく話していたのが、今から20年くらい前のこと。マークカードの記入を間違えて、馬券で大儲けした話です。

 どうして大儲けしたかというと、けっこうな穴目の購入金額を1ケタ多く(千円単位を1万円単位で)記入していたから。馬券を手にして間違いに気づいた原さん、「こんなの来ないよ。失敗したなぁ」とボヤいていたのですが、なんとそれが当たっちゃったんです。

 誰もが驚くウン百万円の大儲け。周りの記者からは「それってアブク銭でしょう?」というやっかみ半分の声が巻き起こりました。

 結局原さんは、そのほとんどをみんなに“ご祝儀”として配りまくる羽目に。実は私もそのおこぼれを頂戴した1人です。

 この時の原さんは、まさに“花咲かじいさん”でした。「何を失礼な!」ですって? いやいや、原さんがその思い出話をするときには、私が「また“花咲かじいさん”になってくださいね」と突っ込むのが通例になっていたんですよ。ご心配なく。でも、もうそういう“漫才”もできなくなっちゃったんですね。

 実はかつて、BSN新潟放送からダービーと有馬記念の前夜祭イベントにお招きいただいていた時期がありました。そこでご一緒させていただいたのが、原さんと大川慶次郎さん、それに井崎脩五郎さん。レジェンドと言っていい方々を相手に司会進行を仰せつかったのは、今思えば貴重な経験だったと思います。

 そうそう、原さんの訃報には「競馬評論家の」という肩書きが付けられていましたが、これは原さんの本望ではありません。「僕は評論家なんて偉そうなもんじゃない。解説者だよ」その言葉を何度も耳にしていた者の1人として、ここに書き留めさせていただきました。

テレビ東京「ウイニング競馬」の実況を担当するフリーアナウンサー。中央だけでなく、地方、ばんえい、さらに海外にも精通する競馬通。著書には「矢野吉彦の世界競馬案内」など。

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