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【特別編/追悼ディープインパクト】佐藤哲三氏が語るディープの現役時代 ダービーは“清々しい敗戦”

  • 2019年08月02日(金) 18時02分
哲三の眼

▲現役時代を間近で見てきた哲三氏が語るディープの凄さとは…(c)netkeiba.com


今回は先月30日にこの世を去ったディープインパクトの魅力やエピソードを哲三氏が特別寄稿。騎手時代には、ダービー、新馬戦でディープに次ぐ2着になるなど、凄さを目の当たりにし、無敗での三冠達成がかかった菊花賞では、ある理由で哲三氏も相当緊張したようで…。同世代・インティライミの主戦としても特別な存在であり、競馬界に多くをもたらしてくれたディープへの感謝を当時の思い出とともに綴ります。(構成:赤見千尋)

新馬戦時から醸し出していた凄まじい威圧感、オーラ


 ディープインパクトのニュースを見た時はとにかくびっくりして、言葉が出なかったというか、絶句という感じでした。ディープには直接携わったわけではないし、関係者の方々の悲しみには及ばないですが、僕自身にとってもいろいろなことを教えてくれた特別な存在でした。

 僕は新馬戦で戦っているんですけど、まずその時にものすごい馬だなと。レース前のイメージは、池江泰郎厩舎には毎年たくさん走る馬がいるので、その中の1頭というくらいの印象でした。僕はコンゴウリキシオーに乗っていて、この馬も後に重賞をいくつも勝つ強い馬で。逃げていて最後までバテていなかったし、経験上このくらいの脚を使えていれば差されないという感覚でいた中、姿は見えないのに後ろからものすごい威圧感を感じたんです。僕だけが感じたのかと思ったら、コンゴウリキシオーもちょっと驚いているような雰囲気で。こちらも伸びているのに、すごい脚で差し切られた。

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▲コンゴウリキシオーに4馬身差をつけ快勝したディープインパクト(c)netkeiba.com


 馬というのは草食動物ですから、肉食動物が迫って来た時に必死になって逃げるという習性があります。ただ、同じ草食動物が迫って来て、あの威圧感、オーラを醸し出せるというのは本当にすごいなと。僕の経験上であの威圧感を感じたのは、ディープの新馬戦と、(2002年の)有馬記念でタップダンスシチーに乗っていて、シンボリクリスエスに差された時の2回だけ。あの時シンボリクリスエスは3歳でしたけど、ディープは新馬戦でですからね。2歳の頃からそんなオーラを持っている馬が、今後どう成長して行くのかというのはとても楽しみでした。

 そして日本ダービー。僕はインティライミに乗っていて、強い馬でしたし、厩舎陣営も最高の仕上げをしてくれて、ディープは強いけれどもチャンスはあると思っていました。レース自体も上手くいったし、最内から伸びていたんですけど、それでも外からぶっ千切られた。自分の馬もすごいレースをしているはずなんだけど、「もう、次元が違う…」という感じでしたね。自分自身もいいレースが出来たということもあったし、負けて悔しいとかではなく、清々しい気分でした。

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▲「もう、次元が違う…」と哲三氏も思わず放心状態に(撮影:下野雄規)


 菊花賞では僕はシャドウゲイトに乗っていたんですけど、実はこの時が一番緊張しました。もちろん新人の頃はよく緊張しましたけど、あの頃は経験も積んで30歳を越えていて、普段緊張するということはあまりなかったんです。

 なぜそんなに緊張したかと言えば、シャドウゲイトもすごく強い馬なんですけど、スタートが速い分、「ゲートを切った1歩目に内に行く癖があるから」と言われていて。あの時、僕の内側の枠だったのが、三冠が懸かったディープインパクトだったんです。

 向正面のスタート地点で輪乗りをしている時、地響きというか、スタンドからの声の圧がすごくて、馬に乗りながら揺れを感じるくらいの声援が聞こえた。それってほとんどがディープの三冠を期待している声だったわけじゃないですか。ディープはゲートを少しゆっくり出たりすることもあったから、僕が内に寄れて大きなアクシデントになってしまったらどうしよう…、これは大変なことになるぞって、めちゃくちゃ緊張して。

 勝負を挑んで行く中での駆け引きというのはいいけれど、邪魔をしてはいけないし、とにかくそこでレースを壊してはいけないと。ファンの方が納得のいく競馬、スムーズなレースをしたいという気持ちが強かったです。

 この時のレースは(横山)典さんの勝ちパターンになったんですけど、それでもディープは差し切った。他の馬だったら絶対に勝てない展開だったと思います。このレースは今でもVTRを見ると鳥肌が立ちますね。

■2005年10月23日 京都11R・菊花賞(7番:ディープインパクト)

乗ったことがなくても色々なことを気付かせてくれる馬


 それから、春の天皇賞も想い出深いです。僕はそのレースに乗り馬がいなかったんですけど、その時考えたのが、「もしも豊さんにアクシデントがあって、レースに乗れないとなったら、自分に回ってくるかもしれない」ということでした。リーディング上位のジョッキーはそもそも天皇賞に乗っているし、京都競馬場だし、もちろん僕にならないかもしれないけれど、選択肢の一人ではあるなと。

 そう考えた時、「ディープインパクトにいきなり乗って、しっかり結果を出せるのか。これは勉強しとかないとやばいぞ」と思って、ディープの走りを研究したんです。調教で走るところを上からとか横からではなくて、縦から見られる場所に行って見てみたんですけど、そしたらめちゃめちゃ真っ直ぐに走っていて、改めてすごい馬だなと。

 でもそんな風に走る馬はいないんですよ。ディープインパクトのバランスの良さとか体幹というのは、騎手としてすごく憧れるし、そういうイメージで騎乗技術を磨きたいなと思ったりもしました。でも僕はそういう馬ではないタイプの馬が回ってくることが多かったので、そういう要素から崩した中で、そういう要素に持っていけるように考えた。なぜ真っ直ぐに推進して行けるのか考えた時に注目したのが肩の動きで、肩回りを活かすような乗り方をすれば、これまでバランスに悩んでいた馬を立ち直らせることできるのではないかと。

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▲2006年天皇賞・春では直線手前ですでに先頭に(c)netkeiba.com


 そこを追求するようになって、実際に変わって来た馬はいるし、ディープの走りを勉強しなかったら、エスポ君もアーネストリーもなかったかもしれない。タップでしていたレーススタイルと似ているように感じるかもしれませんが、馬の動かし方が全然違っていて。だから、ディープには乗ったことはないけれど、いろいろなことを気づかせてくれた馬なんです。

 でも正直、乗ってみたいなとは思わなかったですね。だって何かあったら困るので(笑)。ものすごい緊張感の中で毎回豊さんは乗っていたわけですからね。普段はあまり見せないタイプですけど、やっぱりディープに乗る時の豊さんは外から見ていても違っていて。何がというのは上手く言葉に出来ないんですけど、何か違うなと。たくさんの名馬に騎乗してたくさん勝ってきた豊さんの中でも、ディープは特別なのではないかと感じました。

 そんなディープインパクトがこのタイミングでいなくなってしまったことは、とても淋しいです。これまで一生懸命頑張ってくれた馬ですから、これからはゆっくりと休んで欲しいですし、今までありがとうございましたという気持ちです。そして、これからの日本の競馬はディープを超える馬が出てくれることを期待しています。ディープの子供たちにもお父さんを超える馬が出て来てくれたらと思いますし、そうやって繋がって行くのが競馬ですから。

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▲「いつかディープを超える子供たちが出て来てくれたら…」(写真はディープインパクトの種牡馬時代、撮影:山中博喜)


(文中敬称略)

1970年9月17日生まれ。1989年に騎手デビューを果たし、以降はJRA・地方問わずに活躍。2014年に引退し、競馬解説者に転身。通算勝利数は954勝、うちGI勝利は11勝(ともに地方含む)。

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