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ディープインパクトから貰った“生きる”原動力

  • 2019年08月06日(火) 18時00分

夢の続きは産駒たちへ、池江泰寿調教師との当時の秘話も

 
 ディープインパクトが天国へ旅立ったニュースに、競馬ファンはもちろんのこと、競馬ファンでは無い方々からも早すぎる死を惜しむ声が多く聞かれ、ディープの偉大さを改めて感じました。メモリアルレースを何度見ても、他馬を寄せ付けないレースぶりに圧倒されます。

 先週の競馬開催では、各場のメインレースが追悼競走として実施されました。小倉競馬場では、ディープ産駒が18頭出走し3勝、2着4回、3着2回と好成績を上げたほか、土曜10Rの都井岬特別では、ディープ産駒ジェンティルドンナの子供も勝利しました。

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土曜10Rの都井岬特別を制したジェンティルドンナの子供モアナアネラ(c)netkeiba.com


 ディープ産駒の活躍もさることながら、藤田菜七子騎手も凄かったですね。JRA5週連続勝利で来週のシャーガーC参戦に弾みをつけました。世界各国の一流騎手12人が腕を競うチーム対抗戦に参戦が決定。福永祐一騎手(2006、2014年参戦)にイギリスのアスコット競馬場で行われるジャーガーカップについてお聞きすると、

「世界中から凄い騎手が参加する大会だから経験することで上手くなってくると思いますよ。アスコット競馬場は、凄く良い競馬場だから楽しみがあると思う。是非頑張ってほしいですね」

 とエールを送ってくれました。川田騎手とともに頑張ってきてください。

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 水曜日の朝新聞を広げ「ディープインパクト急死」のニュースが目に入ると絶句してしまいました。衝撃が強すぎて言葉が見つからなかったです。

 このコラムが出る頃には、ファンの皆さんはいろいろな報道でもっとディープのこと知り、思いを巡らせていることでしょうが、先週水曜日の栗東トレセンで行われた武豊騎手の緊急記者会見の一部をお届け出来たらと思います。

 会見によると、豊さんは、以前からディープの体調が悪いのを知らされていたらしく、「何とか頑張ってほしい、元気になったら会いに行こう」という心境だったと言います。

 結局対面は叶わず、訃報を聞いた30日の朝は札幌競馬場にいて、そのまま予定していた飛行機をキャンセル。すぐに社台スタリオンステーションへ駆け付け、ディープのいない馬房で合掌したとのことでした。

 豊さんは、ディープに初めて騎乗された時を振り返り、「初めて乗ったときに凄い馬だと思った。デビュー1週前の追い切りに乗ったときも感触が違いましたね」

 とコメントしてくれました。4馬身差の圧勝となった新馬戦は「凄くスピードのある馬だとレース後改めて確信できました」と豊さんもよく覚えているレースのうちのひとつに残っているそうです。

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取材に応じる武豊騎手


 その後は、シンボリルドルフに続く史上2頭目の無敗三冠を成し遂げ、通算GI・7勝を挙げたディープ。

 市川厩務員も「今までいろんな馬に出会ったけどこんな馬は、見たことがない」とずっと話されていましたね。一つ一つのレースを思い出してみると、ディープと凄いことをやってきたんだなと思います。

 そのなかでも一番印象に残っているレースを聞かれた武豊騎手は、「どのレースにも思い入れがあるので難しいですが、2年間手綱を握ってきてやっと手の内に入れられたし、一番ディープらしく走ってくれたので」と2006年の有馬記念を挙げてくれました。

 それでも「凱旋門賞で勝つことができなかったことだけが悔しい、やり残したことですね」と悔しさを滲ませ、ディープの産駒で、また凱旋門賞に挑戦したいと残された夢も語ってくださった豊さん。

 ディープの種牡馬時代についても、「種牡馬としても立派な馬ですね。多くの素晴らしい馬を残してくれました。自分が一番しんどい時にキズナに乗せて頂き、ダービーを勝つことができたのも嬉しかったです」

 と振り返り、最後に「ありがとうしかないです」とディープに感謝を告げました。ディープへの思いは永遠に続いていくことでしょう。

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ディープへの思いをファンに向けて語った武豊騎手


 僕にとってディープは“生きる”原動力をくれた馬です。

 2004年8月に落馬し、リハビリなどしながら翌年の5月にやっと退院した後、カメラマンの方に「東京へダービー見に行くか?」と声をかけて頂きました。

 東京競馬場に着いたときは、歩けないほどの人でいっぱいでした。レースは、ディープが直線で「来た来た凄い凄い!」といった印象で、ゴールに飛び込んできたときの衝撃がいまでもよみがえってきます。その後のことはほとんど覚えていないほどです。

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2005年のダービーを観戦したときの新幹線のチケット


 ディープのことは、それから僕の脳にインプットされ続けています。いろんなこと忘れてしまう僕ですが、生きること、そして勝つことへの執念を教えてくれました。

 引退レースの有馬記念も見ることができ、引退式でライトに照らされ、キラキラと光った馬体がとっても印象に残っています。やっぱり僕にとってもファンの皆さんにとっても英雄馬ですね。

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ラストランとなった有馬記念後の引退式の様子(撮影:下野雄規)


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 引退後、奈良公園内の奈良国立博物館で「天馬」と題してディープインパクト展が開催されていたので母と見に行ってきました。

 そこでは1完歩の長さが書いてあり、ほかの馬との歩幅比較をしてありました。ディープは他馬に比べて1完歩半ほど長いので、ふわっと浮くような飛ぶような走りが可能だったことが実感できました。

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ディープの“飛ぶ走り”は、1完歩半ほど長い歩幅に秘密が!(撮影:下野雄規)


 いろんな伝説がきざまれているんだなと感じつつ、ぼくの取材目的のディープを管理した池江泰郎元調教師の息子・池江泰寿調教師の厩舎に向かいました。

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 サマー2000シリーズ第3戦に位置付けられている夏の名物ハンデ重賞、小倉記念に出走するディープ産駒のアイスバブル(結果は7着)についてお聞きしました。

常石 今日はよろしくお願いします。アイスバブルの調子はどうですか?

池江 今週1週前追い切りはシッカリやったので、今日は馬なりだったけどダイナミックな走りをみせてくれました。

 昨年の今頃、500万下を勝ってくれたあたりから徐々に力をつけ、前々走はよく走ってくれました。前走は、2500mの距離が少し長かったように思うので、このレースはベストだと思いますね。ハンデが55kgなのもちょうどいいでしょう。

 毛色は違いますが、父がディープなので、シルエットはよく似ていますよ。頑張ってほしいですし、(ディープの)子供たちで頑張ります。

 つねちゃんもディープインパクトファミリーかもね。ダービーの時、ディープの馬房にいて少し手伝っていたよな。

常石 覚えていないんですが、そんな大それたことしていたんですか? 邪魔していなかったですか?

池江 大丈夫でしたよ。僕は、父の厩舎なので父が手掛けた馬のすごさに只々見守るだけでした。

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シルエットは父ディープに似ているというアイスバブル(撮影:下野雄規)


常石 すごい走りに衝撃を受けたことだけ覚えています。あの場で体験できたことが僕の生きるエネルギーになっています。

 ディープの印象は、どう感じていましたか? お父さんも寂しい思いをされているでしょうね。

池江 セレクトセールで見たときからネコ科の動物みたいに体が柔らかく、うねるような走りをするので、凄い馬だなー、走るだろうなと思い見ていました。父も言葉少なに残念と呟いていました。

常石 それにしても、アイスバブルをはじめ、小倉記念は3頭出しですね。

池江 頑張ります。暑いですが小倉へ応援に来てください。

常石 ありがとうございました。夏の小倉は暑いですが、暑さを吹き飛ばしてくれる美味しい食べ物がいっぱいあるから小倉は楽しみです。

 先生も栄養補給してください。ありがとうございました。

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 ディープが亡くなったことで、命の重さや大切さを感じているなか、僕は8月2日に無事に誕生日を迎えることができました。もらった命を大切にしていきます。暑い日が続きますが、皆さんも健康には気を付けてください。

 つねかつこと常石勝義でした。

常石勝義
1977年8月2日生まれ、大阪府出身。96年3月にJRAで騎手デビュー。「花の12期生」福永祐一、和田竜二らが同期。同月10日タニノレセプションで初勝利を挙げ、デビュー5か月で12勝をマーク。しかし同年8月の落馬事故で意識不明に。その後奇跡的な回復で復帰し、03年には中山GJでGI制覇(ビッグテースト)。 04年8月28日の豊国JS(小倉)で再び落馬。復帰を目指してリハビリを行っていたが、07年2月28日付で引退。現在は栗東トレセンを中心に取材活動を行っているほか、えふえむ草津(785MHz)の『常石勝義のお馬塾』(毎週金曜日17:30〜)に出演中。

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