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【松田国英調教師】「種牡馬になる馬を育てたい」キングカメハメハへの尽きぬ思い

  • 2019年08月25日(日) 18時02分
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▲天国へと旅立ったキングカメハメハ…管理した松田調教師が当時を語る (C)netkeiba.com


日本ダービーとNHKマイルCという“変則二冠”を達成したキングカメハメハ。王道とは少し異なるローテーションの根底には松田国英調教師が開業当初から抱いていた「種牡馬になる馬を育てたい」という強い思いがありました。それに応え、種牡馬入り後は多くのGI馬を輩出したキングカメハメハ。産駒たちは芝・ダート、距離を問わず幅広く活躍しています。「夢の塊でした」というキングカメハメハの現役時代を松田師に振り返っていただきました。

(取材・構成:大恵陽子)


連絡をもらい、すぐに牧場へと駆け付けた


――キングカメハメハが8月9日夜、残念ながら18歳で死亡しました。

松田国英調教師(以下、松田師) 体調が悪いとは聞いていたのですが、札幌競馬場で管理馬が2Rを走った直後、牧場から連絡がありました。レースが終わったタイミングで、と待ってくれていたんでしょうね。連絡を受けて社台スタリオンステーションへ行きましたが、遺体はすでに運ばれた後でした。

 廊下を挟んで向かいが産駒のロードカナロアでした。種牡馬を引退して功労馬用の馬房に移すのかなと思っていたのですが、そんないい場所で大事にしてもらっていたんだなと感じました。ロードカナロアの馬房の扉を開けると、キングカメハメハとうり二つ。「わ、そっくりだ!」と驚きました。

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▲社台SSで種牡馬として過ごした当時のキングカメハメハ (撮影:山中博喜)


――松田師はかねてより引退後の種牡馬価値を重視してらしたそうですね。

松田師 調教師になった時、同期は元騎手や調教師の息子で、私は記者から見向きもされませんでした(苦笑)。その頃から「目標は種牡馬になるような馬を育てること」と話していたんです。いろいろ新しいことを取り入れました。

 当時はほとんどの厩舎が午後運動をしていたのですが、午後はメンテナンスの時間に充てて、検温や脚が腫れていないかの確認、レーザー治療や獣医師の診察の時間にしました。また、調教に行く時は一列隊形。今は最大4頭までとなりましたが、当時は13頭でズラッと一列で厩舎から出ていきました。

――それは大隊列ですね。どのような馬が先頭で引っ張っていくのですか?

松田師 GI馬が先頭に行くことが多かったですね。GIを勝つような馬は肩の可動域が広く、1歩が大きいんです。後ろをついていく2歳馬や条件馬は必死についていくためにちょっと小走り気味になりながらついていくんですね。でも、気がつけばそういう馬が先頭を歩けるようになっていて、「あぁ、世代交代だな」と感じることもありました。

――キングカメハメハもデビュー当初は隊列の後ろの方で一生懸命ついていっていたのですか?

松田師 2歳の時は後ろだったと思いますが、特についてこられなかったというわけではありませんでした。「走る(活躍)」と「歩ける」は同意語だと考えています。集中できないとしっかり歩けませんから、それがレースにもつながると思うんです。開業の頃は2時間近く歩いていました。

――それだけ長い時間歩き込めば、自然と体力がついてくるでしょうね。

松田師 運動量と筋肉量が違ってきます。NHKマイルCあたりからお尻に幅が出て、ボリュームアップしてきました。その頃になると、写真やパドックなどで他の馬と比べるようになって、「これは違うな…!」と感じていました。

 体全体に筋肉がついていくと距離が持たなくなるのですが、2000m前後のレースでストレスをかけたので、使う部分にだけ筋肉がついていきました。前駆に無駄な筋肉がつかなかったので、日本ダービーでも距離が持ったと思います。

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▲安藤勝己騎手を背に、2004年のダービーを制覇 (撮影:下野雄規)


――NHKマイルCと日本ダービーという変則二冠はクロフネ(NHKマイルC1着→日本ダービー5着)、タニノギムレット(同3着→1着)から続く松田師の念願でもあったように思います。

松田師 ヨーロッパの2000ギニー→ダービーというのを距離のお手本にしました。

――当時、主戦の安藤勝己騎手はどのようなお話をしていたんですか?

松田師 彼は「最後の2〜3Fしか本気で走らないから日本ダービーはチャンスがあるけど、NHKマイルCは心配」というようなことをのちに話していましたし、レース前にもそういった雰囲気を感じました。

キングカメハメハの話が出ると涙もろくなる


――秋以降の活躍も期待されましたが、残念ながら神戸新聞杯後に屈腱炎を発症し引退となりました。

松田師 神戸新聞杯から先を見たかったという気持ちがあります。キングカメハメハの話が出ると年のせいもあって涙もろくなるというか、悔しさと情けなさが込み上げてきます。調教師としてできることがあったのに、競走馬として終わらせてしまいました。

 牧場関係者からは「1年でも早く種牡馬になった方がいいんですよ」となぐさめられましたが、相当ショックでその言葉をなかなか受け入れられませんでした。

――無事に種牡馬入りできた一方、調教師という立場からはかなりの悔しさもあったのですね。

松田師 私について「走らせすぎて、馬が壊れる」という声も周りから聞こえていました。オーナーの夢を叶えるために、現場の最前線で指揮をとっているわけですから、私としてもショックでした。

 それからは、見舞金レベルにいく前になんとか屈腱炎の兆候を見つけられないかと必死になって情報を集めました。前段階で察知することができれば、数カ月で復帰することが可能でしょうから。

 今はエコー検査の精度も良くなりました。できるだけ厩舎にいて、馬を触って、見て、スタッフの話を聞いて、早期発見・早期治療がどこまでできるかを追い求めています。

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▲「早期発見・早期治療がどこまでできるかを追い求めています」 (C)netkeiba.com


――種牡馬入りしたキングカメハメハは初年度から活躍馬を輩出しました。そのうちの1頭ベルシャザールは松田厩舎からJCダート(チャンピオンズCの前身)を勝利しました。

松田師 ベルシャザールは脚元が健康ではなかったかもしれませんが、日本ダービーで3着。その後、種子骨骨折で芝のスピードよりダートの方がいいだろうと、ダートに転向しました。ダービーの後でも、ダートに切り替えれば夢を膨らませられる可能性が産駒にはありますね。

――牝馬三冠馬・アパパネ、世界のロードカナロア、当時のGI/JpnI勝利数の記録を樹立したホッコータルマエ、そしてドゥラメンテ、レイデオロの2頭のダービー馬。産駒は幅広い条件で活躍しています。

松田師 目に見えるのは筋肉だけですが、闘争心があって、折り合いがついて、スピードで負けないなどいろんな面で産駒たちはいいものを持っているのではないかと思います。キングカメハメハ自身がそうでした。

 また、父のように鍛錬して変わっていくのがキングカメハメハ産駒の魅力です。短距離馬はそれなりの体つきになりますし、ダービーを勝つような馬は不要なところには筋肉をつけませんね。

――最後に、キングカメハメハは松田師にとってどんな馬でしたか?

松田師 夢の塊でした。私にとってもですし、ファン、ジョッキー、スタッフ、牧場、そして何よりオーナーみんなの夢の塊だったと思います。

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ジョッキーや調教師など、毎週“旬”な競馬関係者にインタビュー。netkeiba特派員がジョッキーや調教師、厩舎スタッフなど、いま最も旬な競馬関係者を直撃。ホースマンの勝負師としての信念から、人気ジョッキーのプライベートまで、ここだけで見せてくれる素顔をお届けします!

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