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【新潟2歳S】陣営の思いを探り心躍る

  • 2019年08月24日(土) 12時00分

ハイレベルだった2004年を回顧して見えてくるものは


 各地で行なわれる2歳ステークス。その先には、ダービーを頂点とする春のクラシックがある。その大きな目標に向かってどの馬も競走馬としてデビューしているが、2004年(平成16年)の新潟2歳Sで1〜5着馬が全てステークスウィナーになったことがあった。

 1着馬マイネルレコルトが、GI朝日杯フューチュリティSを勝って2歳チャンピオンになり、2着馬ショウナンパントルがGI阪神ジュベナイルF、3着馬スムースバリトンがGIII東京スポーツ杯2歳S、4着馬フェリシアがGIIIフェアリーSを勝ち、さらにその年の有馬記念前日に行われたオープン特別クリスマスローズSで5着馬アイルラヴァゲインが1着になり、その新潟2歳Sが近年まれに見るハイレベルだったことを印象づけた。

 この同世代にはあのディープインパクトがいて無敵ぶりを発揮していたが、春の最大目標のダービーの2着に入ったのがインティライミで、新潟2歳Sの6着馬だったのだから、ちょっと不思議な気分になっていた。

 ダービーには2歳チャンピオンのマイネルレコルトも出ていたが、距離を意識して後藤浩輝騎手は末脚勝負に賭け、直線満を持して追い出したとき、外から押圧されてひるみ、5着に終っていた。

 この2頭のダービーまでの軌跡を辿ると、いま走っている2歳馬たちの将来を予測する参考になる。マイネルレコルトは、2歳時は5戦4勝でマイルまでのスピードが光っていたが、年が明けて弥生賞3着、皐月賞4着と2000米ではひと息だった。

 インティライミの新潟2歳S6着は出遅れが響いたもので、その後の好成績からある程度、将来性は感じられていた。デビューが小倉の1800米の新馬戦で1着、新潟2歳Sは2戦目だった。

 そのあと挫石で頓挫、復帰したのが翌年の3月。2200米、2500米で2着、1着していた。ダービー出走を賭け5月の京都新聞杯2200米に出走、後方から早目にスパートして勝ち、ダービー2着につなげていた。

 佐藤哲三騎手が、勝つにはこれしかないと2角で早くも3番手につけ、ロスなく内を回ってロングスパート。直線は完全に1頭抜け出していた。ディープインパクトの圧倒的な強さには抗しきれなかったが、6戦目でこれだけの成果を上げたことで奥の深さを見せたと言っていいだろう。

 デビューして間もないこの時期のステークス。この先どういうローテーションでどういう距離を走らせるか、どういうレースをするか、秘めた陣営の思いを探るのは楽しい。そして牝馬なら、ハープスターの再現を。こちらは春は桜花賞が見えてくるかもしれない。

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ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。

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