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【横山典弘×藤岡佑介】第1回『今の時代では考えられない 常識破りな新人時代』

  • 2019年09月04日(水) 18時03分
with 佑

▲注目の対談がスタート! どんなトークが展開されるのでしょうか (撮影:山中博喜)


大変長らくお待たせいたしました! 横山典弘騎手との注目の対談を、今週から全5回(予定)でお届けします。「ノリさんに聞きたいことがたくさんあります」という佑介騎手が、様々なトークテーマから探る名手の素顔。

最初の話題は「ノリさんの新人時代」について。誰にでもあったはずのアンちゃん時代ですが、今のノリさんからはなかなか想像がつきません。実は障害レースに乗っていたこと、定年まで所属した師匠との関係、たった一度の仲違いと河内調教師のアシスト……貴重なエピソードの数々が明かされます。

(取材・文=不破由妃子)


師匠への思い…「俺にとっては最高の先生だった」


佑介 ノリさん、今日はお時間を作っていただいてありがとうございます! 普段からたくさんお話しさせてもらっていますけど、ノリさんには聞きたいことがまだまだあって。

横山 企業秘密がいっぱいあるからなぁ(笑)。

佑介 まぁそう言わずに…(苦笑)。僕がデビューしたときにはすでにトップジョッキーだったので、“仕上がってる”ノリさんしか知らないんですよ。だから、まずはどんなアンちゃん(新人)だったのか知りたくて。

横山 どうだったかなぁ。とりあえず、今の時代では考えられないくらい、おかしな新人だったと思うよ(笑)。当時も当然、調教師の指示通りに乗らなきゃダメっていうのはあったけど、俺はデビューしたときから自分の考えで乗ってたし。

佑介 言うことを聞かなかったということですか?

横山 そうだね。行けって指示されても行かなかったり。新人としてはあり得ないよね。

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▲横山騎手「行けって指示されても行かなかったり、新人としてはあり得ないよね」 (撮影:山中博喜)


佑介 やっぱりデビュー当時からノリさんはノリさんだったんだ(笑)。

横山 でも、当時から勝つための信念みたいなものはあったし、それは今も変わらない。若いヤツらにもよく言うけど、指示通りに乗ったとしても、負ければクビ。俺たちの時代もそうだったから。まぁ今は結果を出してもクビになってしまう時代ではあるけど。

佑介 馬乗りのスタイルも、若い頃から変わっていない感じですか? あくまで僕が見てきたなかでの印象ですが、ずっとノリさん独自のスタイルを貫いているように見えるので、若い頃からそうだったのかなっていうのがすごく気になって。

横山 カッコよく乗りたいっていうのは最初からあったね。ただ勝てばいいっていうんじゃなくて、「キレイにカッコよく勝ちたい」とは若い頃から思ってた。

佑介 憧れていたジョッキーとか、目標にしていたジョッキーはいたんですか?

横山 憧れていたジョッキーか…。ちょっとピンとこないなぁ。いなかったんだろうね、たぶん。聞かれたときは、親父の名前を挙げていたけど、それは流れ的に言わされていただけ(笑)。とはいえね、親父がいたからこそジョッキーになったのは間違いないから。

佑介 やっぱり親父さんの背中を見て、自然とジョッキーを目指した感じですか?

横山 いや、なんかね、よく考えたら「ジョッキーになろう!」と思ったこともないんだよね。それこそ、ジョッキーになるために努力をしたこともないし。いや、もしかしたら努力していたのかもしれないけど、それを努力と思っていなかったのか…。

──お父さまの横山富雄さんは、障害と平地の両方で100勝を挙げた初めてのジョッキーなんですよね。1970年代に海外のレースでも勝っていらして(香港で開催された国際騎手招待競走「インターナショナルインビテーションカップ」に日本人ジョッキーとして初めて参戦)。

横山 そうなんですよ。数字としての記録はとっくに抜いたけど、今になればなるほどそのすごさを感じます。

佑介 そういえば、若い頃はノリさんも障害に乗っていたんですよね。初めて聞いたときは、ものすごくビックリしました。

横山 うん、乗ってたよ。俺もそうだし、(柴田)善臣さんとかもね。一番最初に乗ったときはタイムオーバーでさ。目の前の馬が落ちたら俺もひっくり返るな…と思って、どんどん下げていっちゃった(笑)。

 だってさ、いざスタートしてみたら、平地とスピードが変わらないんだもん。もっとゆっくり行くもんだと思っていたから、あれにはビックリした。で、どんどん下がっていっちゃって、結局、馬もやる気がなくなってしまって。その結果がタイムオーバー(笑)。2年目にひとつ勝って、落馬も一回あったな。

佑介 あ、落ちたこともあるんですね。

横山 うん。それもね、いつも師匠が「ノリ、障害に乗るんだろ。危ない馬は乗るなよ。俺が断ってやるから」って言ってくれてたんだけど、落馬したのはウチの厩舎の馬だった(笑)。

佑介 ちゃんとオチがついた(笑)。

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▲師匠とのエピソードを明かす横山騎手 (撮影:山中博喜)


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▲まさかのオチに佑介騎手も思わず爆笑 (撮影:山中博喜)


横山 ホントに酷かったよ。引っ掛かっていくから引っ張ったら、頭をグーッと下げちゃって。そのまま障害にズドン…。

佑介 酷い…(苦笑)。ノリさんの師匠は、石栗龍彦調教師のお父さん、石栗龍雄さんですよね。

横山 そうそう。師匠とは、デビューして6、7年経ってから仲良くなった。途中からは仲良くなりすぎて、師弟関係というより友達みたいになっちゃったけど(笑)。

佑介 先生の定年(2000年)まで所属されていたんですものね。

横山 そうだね。いい先生だったよ。「弟子はひとりも育ったことがない」って言ってたけど(笑)、俺にとっては最高の先生だった。

佑介 定年まで所属していたことが何よりの証拠です。

横山 でもね、一回だけ揉めたことがあった。俺がけっこう他の厩舎の馬にも乗るようになった頃で、「そのレースにはほかに乗り馬がいる」って言ったら、「ウチの厩舎の馬に乗らなきゃダメだ!」って言われてさ。

「じゃあもう俺は厩舎を出る!」っていう話にまでなったんだけど、そのことを河内(洋)さんに愚痴ったら、「ノリ、(厩舎を)出るな。我慢しろ」と。それで我慢したら、先生が折れてくれてね。厩舎を出ようと思ったのは、その一回だけかな。

佑介 15年近く所属していて、揉めたのがその一回だけっていうのもすごいですね。

横山 そうだよね。でも、あのとき河内さんが止めてくれなかったら、厩舎を出ていたかもしれない。あそこで踏み止まったことで最後まで厩舎にいられたわけだから、今思うと河内さんに愚痴って本当によかったなって(笑)。

(文中敬称略、次回へつづく)
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JRAジョッキーの藤岡佑介がホスト役となり、騎手仲間や調教師、厩舎スタッフなど、ホースマンの本音に斬り込む対談企画。関係者からの人望も厚い藤岡佑介が、毎月ゲストの素顔や新たな一面をグイグイ引き出し、“ここでしか読めない”深い競馬トークを繰り広げます。

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1986年3月17日、滋賀県生まれ。父・健一はJRAの調教師、弟・康太もJRAジョッキーという競馬一家。2004年にデビュー。同期は川田将雅、吉田隼人、津村明秀ら。同年に35勝を挙げJRA賞最多勝利新人騎手を獲得。2005年、アズマサンダースで京都牝馬Sを勝利し重賞初制覇。2013年の長期フランス遠征で、海外初勝利をマーク。2018年には、ケイアイノーテックでNHKマイルCに勝利。GI初制覇を飾った。

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