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いくつもの偶然でもたらされた重賞初勝利

  • 2019年10月29日(火) 18時00分

“あっぱれ!”な重賞初勝利


 少し前のことになるが、10月20日に盛岡競馬場で行われた地方全国交流のOROターフスプリント(芝1000m)を制したのは、名古屋のエイシンテキサス。鞍上は川崎の山林堂信彦騎手だった。盛岡競馬場で、名古屋の馬で、川崎の騎手で、ということでは、ちょっと不思議に思われた方も多かったのではないだろうか。

 地方競馬では現在、重賞レースであれば騎手の所属に関係なくどこの競馬場でも騎乗できる。とはいえ吉原寛人騎手や赤岡修次騎手のように、全国から声がかかり日常的に所属場以外の競馬場の重賞に騎乗している騎手というのはほんの一握り。失礼ながら、山林堂騎手は南関東でもそれほど目立った活躍をしているわけでもなく、南関東以外の競馬場での騎乗経験も多くはない。1997年にデビューして今年で23年目のベテラン。このOROターフスプリントでの勝利が重賞初勝利だった。

OROターフスプリントを名古屋のエイシンテキサスで制した山林堂信彦騎手(写真提供:岩手県競馬組合)


 山林堂騎手にチャンスが巡ってくることになった発端は、エイシンテキサスの主戦、加藤聡一騎手が10月3日の名古屋開催で落馬負傷したこと。馬主関係者がOROターフスプリントでの鞍上を探していたところ、話がつながったのが川崎の佐藤博紀調教師だった。

 このような乗替りであれば、レースが行われる地元岩手の騎手を探すのが普通だが、川崎の調教師に話がいったというのが面白い。エイシンテキサスの馬主関係者が佐藤厩舎に馬を預けている関係で、日常会話の中からなんとなく出てきた話だったようだ。

 ただOROターフスプリントが行われるのは日曜日ながら、めずらしく川崎開催の初日。南関東での開催がなければ別だが、開催日では川崎のトップクラスの騎手がそのためだけに盛岡に遠征するというのは難しい。それで佐藤調教師が思いついたのが山林堂騎手だった。

 山林堂騎手は佐藤厩舎の所属ではないが、エイシンテキサスを管理する名古屋・坂口義幸厩舎から佐藤厩舎に昨年秋に移籍してきたブースターという馬で、川崎で6連勝を含む7勝という成績を挙げていた。現在ブースターの馬主は変わっているが、名古屋時代の馬主とエイシンテキサスの馬主関係者がつながっていて、それで「山林堂騎手ではどうか」となったという。「(山林堂騎手は)ものすごくまじめだし、いろいろな人の後押しもありました」と佐藤調教師。山林堂騎手本人も「川崎開催初日でも、断る理由はなかった」と。

 まさに“瓢箪から駒”的な騎乗依頼。山林堂騎手は、エイシンテキサスの馬主とも坂口調教師とも面識はなかったという。しかし幸運があった。今年5月12日、盛岡競馬場では『南関東ジョッキーズフレンドリーマッチ』という岩手と南関東の騎手交流戦が行われ、山林堂騎手はそこに出場していた。盛岡競馬場での騎乗はそれが初めての経験で、2戦のうち1戦が芝(1600m)のレースだった。

 「芝コースも一度乗っていたし、(エイシンテキサスの)過去のレースも映像で見ていたのでプレッシャーはありませんでした。5月に乗ったときの感じで、芝の状態があまりよくないのはわかっていました」という山林堂騎手。台風19号が通過しての翌週で、さらに芝コースが荒れた状態でも落ち着いていた。

 エイシンテキサスはスタートで好ダッシュを決め先頭に立った。船橋のケンガイアに半馬身ほどの差でぴたりとマークされたが、直線半ばでこれを振り切ると、外から追い込んだ北海道のタイセイプライドを3/4馬身差でしのいでの逃げ切り勝ちとなった。

 「5月に乗ったときに、外側のダートコースと違って、内側の芝コースは直線が意外と短いと感じていました。それで、4コーナーで思い切って早めにギアを上げました。5月の経験がなくて初めてだったら、仕掛けが遅れていたかもしれません。枠順(4番)もよかったし、何もしないでハナに行けました。すべてがうまくいきましたね」(山林堂騎手)

後日、川崎競馬場で『山林堂信彦騎手重賞初制覇報告会』が行われた(写真提供:神奈川県川崎競馬組合)


 人のつながりと、いくつもの偶然と幸運によってもたらされた“あっぱれ!”な重賞初勝利だった。

1964年生まれ。グリーンチャンネル『地・中・海ケイバモード』解説。NAR公式サイト『ウェブハロン』、『優駿』、『週刊競馬ブック』等で記事を執筆。ドバイ、ブリーダーズC、シンガポール、香港などの国際レースにも毎年足を運ぶ。

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