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「大好きな馬の将来を見届けたい」ファンが立ち上げた“ビッグゴールドサポーターズクラブ”

  • 2019年11月05日(火) 18時00分
第二のストーリー

静内杉下牧場で過ごすビッグゴールド(提供:ビッグゴールドサポーターズクラブ)


第二の馬生は園長先生!?


 2002年の中山金杯(GIII)の勝ち馬ビッグゴールド(セン)は北海道新ひだか町にある静内杉下牧場で第二の馬生を送っている。中央競馬時代からのビッグゴールドの大ファンで、地方競馬に移籍してからも夫婦で応援を続け、同馬を引き取ったのが岡本義徳さん、朋子さん夫妻だ。当初は個人所有も考えたようだが、ビッグゴールドを何らかの形で応援したいというファンの声を受け、月額1口2000円の会費で会員を募る「ビッグゴールドサポーターズクラブ」を立ち上げ、岡本義徳さん、朋子さん夫妻が会の発起人を務めている。

 ビッグゴールドが競走馬を引退したのは2010年の10月、12歳の時だった。あれから9年の歳月が流れ、ビッグゴールドも21歳になった。現在はお母さんから離乳した仔馬たちと放牧地で過ごして面倒をみる、園長先生の仕事もこなしているという。ちなみに今年は女の子3頭の良き導き手としてしっかりと見守り、無事卒園させた。そしてまた新たな仔馬がゴールドのもとにやってくる…ここ数年、このサイクルが続いている。

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離乳した仔馬と過ごすビッグゴールド(左)(提供:ビッグゴールドサポーターズクラブ)


 ビッグゴールドの生まれ故郷は、北海道門別町(現日高町)の下河辺牧場だ。1998年3月21日に父ブライアンズタイム、母ビューティフルゴールド(母父Mr.Prospector)の間に生を受けた。母ビューティフルゴールドはビッグゴールドを含め、12頭の産駒をこの世に送り出している。その中には中央で5勝を挙げ準オープンでも走っていたビッグサイレンス(父サンデーサイレンス)、京都ジャンプS(JGIII)2着のビッグハンター(父トニービン)、中央で4勝して準オープンまで昇級したビッグタイガー(父ブライアンズタイム)などの活躍馬がおり、ニシノチグサ(父Diesis)、タンティバッチ(父ソウルオブマター)、クロスマイハート(父スペシャルウィーク)、インプレスゴールド(父ブライアンズタイム)、ヘリテージゴールド(父フジキセキ)の5頭が繁殖入りし、その血を伝えている。

地道に走り続けた現役時代


 栗東の中尾正厩舎の管理馬となったビッグゴールドは、2000年10月7日に京都競馬場の芝1200mの新馬戦でデビューし、1番人気に応えて見事初陣を飾っている。その後は500万下の特別レースを4戦するも2勝目をなかなか挙げられずに2000年を終えている。だが年明け初戦のシンザン記念(GIII)でダービーレグノの2着に入ると、つづくきさらぎ賞でもアグネスゴールド、ダンツフレームに続く3着と堅実な走りを見せ、皐月賞トライアルの若葉Sではダイイチダンヒルの2着に入線。皐月賞への優先出走権を掴み取った。

 岡本義徳さんがビッグゴールドを意識し始めたのは、シンザン記念2着、きさらぎ賞3着と重賞戦線で健闘を始めた頃だった。若葉S2着やプリンシパルSで2着と惜敗続きのゴールドが気になる存在となり、以来ずっと応援し続けることとなった。

 岡本さんは、上位に入線しながらもなかなか勝てない、いわゆる善戦マンをそれまでも応援していた。ステイゴールドもその1頭だった。頑張りながらも勝ちきれないもどかしさと、ステイゴールドとビッグゴールドというゴールドつながりもあって、ビッグゴールドは岡本さんの心をとらえ、いつしか朋子さんも一緒に応援するようになっていた。

 またビッグゴールドは運も持ち合わせていた。若葉S2着で皐月賞、プリンシパルS2着でダービーと、ともにトライアルレース2着で本番への優先出走権を得ているのだが、現在プリンシパルSは勝ち馬にしか優先出走権が与えられていない。それを考えるとビッグゴールドは、ある種強運を持ちあわせているとも思える。

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運も持ち合わせていたビッグゴールド(提供:ビッグゴールドサポーターズクラブ)


 同期にはアグネスタキオン(皐月賞)、ジャングルポケット(ダービー、ジャパンC)、マンハッタンカフェ(菊花賞、有馬記念、天皇賞・春)、クロフネ(NHKマイルC、JCダート)やダンツフレーム(宝塚記念)などが顔を揃え、レベルの高い華やかな世代でもある。その中でビッグゴールドは、着順はともかく3冠レースすべてに出走して地道にコツコツと走り続けていたが、2002年1月に中山金杯でついに待望の重賞初勝利を収めたのだった。

 埼玉県在住の岡本さんは、関西馬のビッグゴールドを現地で応援する機会はほとんどなかった。だがこの日は東京競馬場(この年の中山金杯は東京競馬場で開催)に赴き、1人ビッグゴールドに声援を送った。勝った瞬間、嬉しさのあまり、仕事で競馬場に行けなかった朋子さんに思わず電話をかけ「ゴールドが勝った、ゴールドが勝った」と連呼していた。競馬場から電話がかかってきたことは後にも先にもこのときだけと朋子さんも話していたが、義徳さんにとってゴールドの勝利はそのくらい嬉しかったのだろう。

 ゴールドはその後も、変わらず地道にコツコツと走り続けた。オープン特別で優勝したこともあれば、重賞で上位に食い込んだこともある。掲示板に載れないこともあれば、矛先を変えてダートを走ったこともある。途中ケガや骨折に見舞われながらも、ゴールドは走り続け、気が付けば7歳になっていた。和田竜二騎手が初めて手綱を取った2005年3月大阪城S(OP)では逃げ戦法に転じて優勝。続く大阪―ハンブルクC(OP)も逃げ切り勝ちを収めてオープン特別を連勝し、和田騎手がゴールドの新しい一面を引き出した格好となった。

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和田騎手との新コンビでオープン特別を連勝した(提供:ビッグゴールドサポーターズクラブ)


 そして迎えた天皇賞・春(GI)。14番人気と評価は低かったが、スタートして果敢にハナに立ってレースを引っ張った。途中、シルクフェイマスに先頭を譲ったものの、慌てず2番手からレースを進め、4コーナーを回る途中でスッとゴールドは先頭に立って直線に向いた。まだ手応えに余裕がある。ゴールまで200mを切ったあたりではまだビッグゴールドは先頭にいたのだが、スズカマンボ、アイポッパー、トウショウナイトが外から襲い掛かってきた。中でも脚色の特に良かったスズカマンボが、粘るビッグゴールドを一気に交わし去った。だがアイポッパーとトウショウナイトの差し脚はしのぎ切り、2着に踏ん張ってゴールインした。

 岡本さん夫妻は東京競馬場から声援を送っていたが、予想を上回るゴールドの頑張りに人目もはばからず大はしゃぎをしていた。2人にとってゴールドはもはや特別な存在になっていた。だが将来ゴールドを引き取ることになるとは、この時はまだ想像もしていなかった。

(つづく)


ビッグゴールドサポーターズクラブ
https://www.biggold-supportersclub.jp/

ビッグゴールドFacebook
https://www.facebook.com/1998biggold

認定NPO法人引退馬協会
https://rha.or.jp/index.html

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https://rha.or.jp/yotaku_info/index.html

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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