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久々の盛大な結婚式

  • 2019年12月04日(水) 18時00分

縁があって、結ばれるお相手の現れた時が「適齢期」


 先週土曜日(11月30日)、浦河のWホテルにて若い友人の結婚披露宴が開催された。

 若い友人…とはいっても、私よりは年下、という意味であり、新郎としてはお世辞にも「若い」とは言い難い年齢ではある。新郎46歳、新婦32歳。ともに初婚だ。

 しかし、今のご時世、こと結婚に関しては、もはや適齢期なる言葉は死語になりつつあり、「縁があって、結ばれるお相手の現れた時が、そのカップルにとっての適齢期」なのである。

生産地便り

ケーキ入刀!


 新郎は、浦河町瑞穂で生産牧場を営む高岸順一氏。新婦は古川月菜さんだ。新郎は、地元の浦河高校を卒業後、専修大学経済学部に進み、ゴルフ部で4年間を過ごしたバリバリの体育会系である。披露宴には、現在、同大のゴルフ部顧問になっている元監督のO氏も、はるばる東京から駆けつけ祝辞を披露した。

 曰く「(高岸順一氏は)部員60数名を束ねる人望の厚い主将として、活躍してくれました。彼の同期は4人がプロ選手になっており、私は彼にもプロゴルファーへの道を勧めたのですが、彼は北海道に帰って実家の牧場を継ぎ、お父さんと一緒にサラブレッドの生産をするつもりでいます、と答えたのです」と、当時のエピソードを語っていた。

 牧場後継者としてはかなり異色の経歴だが、順一氏は平成7年(1995年)に実家に帰ると、そのまま家業に従事し始めた。

 ところが、高岸家にアクシデントが襲ったのは、今から10年前のこと。順一氏の父である節雄さんが倒れ、車いすの生活になってしまったのだ。それから牧場は順一氏とお母さんで今日まで切り盛りしてきた。さぞ苦労の多い道のりだったことと思われるが、順一氏は、どこで会ってもいつも笑顔を絶やさず、明朗闊達、精力的で前向きな印象であった。

 常に元気が良く快活な彼は、北海道市場に生産馬を上場させる際などに、その威力を存分に発揮する。比較展示で通りかかった顔見知りの馬主や購買者に、得意の営業トークで熱心に声をかけては自身の上場馬を見てもらうように心がけている。

 購買する側にとっては、仮に同程度の出来栄えの複数の上場馬から1頭を選ばねばならないとしたら、全く縁のない生産者よりも、人柄を良く知る彼の生産馬を選ぶだろう。「社長、ぜひ見て行って下さい」と彼に声を掛けられると、おそらく多くの購買者は悪い気はしないはずなのだ。満面の笑顔で一生懸命に自分の馬をセールスする彼の熱心さに、つい食指を動かされるのである。

 こうした積極的な姿勢、熱心さは、順一氏によれば「間違いなくゴルフ部で鍛えられたもの」と言い切る。一見、サラブレッド生産とは無関係にも思えるが、4年間のゴルフ部の経験が、今もこうして家業に生かされているのである。

 一方、新婦の古川月菜さんは、愛知県生まれの札幌育ち。小学校から大学まで札幌で過ごした。小学校5年生で札幌競馬場の乗馬少年団に入団し、馬術に勤しんできた活動的な人である。大学卒業後には全国展開している大手の乗馬クラブに就職し、インストラクターとして活躍してきた。そして、数年前よりクラブ法人(ターファイトクラブ)に転職したのが縁で順一氏と知り合い、昨年12月頃から本格的にお付き合いをするようになった、という。

 昭和時代ならいざ知らず、今では結婚披露宴の形式も時代の流れとともにすっかり様変わりし、親類縁者や地域の人々を大勢招いて大々的に開催されることはめったになくなった。今回の高岸順一・月菜夫妻の披露宴には、ざっと250人近い出席者が駆けつけ、彼の交際範囲の広さが窺えた。

 今後は夫妻が中心になって生産牧場を続けて行くことになる。「彼はいつになったら結婚するのか」と、これまで周囲の親しい友人たちをやきもきさせてきた順一氏だが、ようやく良き伴侶を得て、ますます意欲的に生産に取り組んでいくことだろう。

生産地便り

高岸順一・月菜夫妻


 高岸家にとってのこれまでの代表的な生産馬といえば、1988年に生産したリターンエース(平地5勝の後、障害入りし京都大障害など7連勝、2億8000万円を稼ぐ)がさしずめ筆頭格であろう。父の節雄さん名義での生産馬で、これからはこのリターンエースを超える馬を生み出すのが当面の目標となりそうだ。大いに期待したい。

岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。

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