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年末SP『実家で太論』(1) お母さま登場!「なんで太は家を出なアカンかったんやろうか…」

  • 2019年12月17日(火) 18時01分

12月某日、『太論』取材班が降り立ったのは、なんと宮崎ブーゲンビリア空港。宮崎といえば、小牧騎手のお母さま・孝子さんが住んでいらっしゃる地で……そう、今週からお届けするのは、年末スペシャル『実家で太論!』。毎月恒例の「ユーザー質問」や「2019年総評」に加え、お母さまの孝子さん、弟の毅さん、さらに園田時代の先輩ジョッキー、簗瀬悟志さんから語られる、小牧騎手の知られざるエピソードが満載です。 実家ならではのゆる〜い『太論』をお楽しみください!(取材・文:不破由妃子)

太くんが出て行ってから、半年くらいは泣いとった…


──今日はご実家までお邪魔しまして申し訳ありません。

孝子 いえいえ。みなさん、今日はもう遠慮せんで。

──ありがとうございます。せっかくなので、まずは小牧さんの子供時代のお話など、いろいろお聞きしてみたいなと思っていまして。子供の頃の小牧さんは、どんな男の子でしたか?

小牧 むっちゃおとなしい子やったで。

──孝子さんにお聞きしています(笑)。

小牧 あ、そうか(笑)。

孝子 素直な大人しい子でしたよ。弟の毅とは全然性格が違ってねぇ。毅はお父さんに叱られたら、「くそオヤジーッ!」って反発して出て行ってしまうような子やったけど、太はシクシクシクシク泣いているような子で。

小牧 フンッ(笑)。

孝子 ただね、いとこに太の同級生がいて、その子が「おばちゃん、太くんはね、おうちと学校じゃ全然違うよ」って教えてくれたことがあって。だから、学校で発散してたんじゃない? ウチでは本当におとなしい子やったから。今だってね、毅と比べたらおとなしいし。

小牧 親父にもお袋にも、常に気を遣っとったよ。俺が一家を支えなアカンかったからね。ひとりでずっと我慢しとったもん。でも、不思議とつらくはなかったよ。

毅 貧乏暮らしやったもんなぁ。

──“太少年がやらかした一番の悪さ”などお聞きしたかったのですが、どうやらなさそうですね。

孝子 ホンマになんもない。太はいい子やった。そのぶん、悪いことは全部こっち(毅さん)がしてくれたけど(笑)。

毅 太くんがした一番の悪さは、俺にしたことや。プロレスもそうやけど、俺、太くんに川に捨てられたことがある!

孝子 知らん。

小牧 覚えとらん。

毅 ホンマか(笑)! でもね、太くんがジョッキーになるために出て行ってからは、それはもう大変やった。お母ちゃん、何カ月泣きっぱなしやったか…。

孝子 だってねぇ、やっぱり出したくなかったもん。半年くらいは泣いとったなぁ。

毅 いやいや、半年どころじゃないで。

孝子 太と同級生の子たちが、ウチの横の道を通って高校に行くわけや。その姿を毎日見ていたら、「なんで太は(家を)出なアカンかったんやろうか…」って。今でも(思い出すと)涙が出る…。

小牧 ほら! 泣いてしまったやんか(笑)。

太論

「毎週こんなふうにノートを付けてるんですよ」と、一冊のノートを見せてくれた孝子さん。そこには、小牧騎手の詳細な騎乗情報が記されており、表紙には「太くんの競馬ブック」と書かれていました。


孝子 あの頃のことを考えたらねぇ…。15歳で一番上の子を手放すなんて、ものすごく苦しかったもん。私は高校に行かせようと思っていたから、出したくなかったんや。あのときはふたりで迷ったよね。並んで日向ぼっこしながら「どうする?」って。

小牧 俺も、「(ジョッキーになるのは)やっぱり辞めるわ」って言うたことがあった。そしたら親父が…。

孝子 「一度決めた以上、男なら迷うな!」って。結局、お父さんの鶴の一声やったな。で、「お兄ちゃん、3年辛抱して無理やったら帰っておいで。それから高校に入ればいいから」って言って送り出して。そうしたら、本当に丸々3年、帰ってこなかった。

──「3年は絶対に帰らない!」って決めていたんですか?

小牧 いや、そういうわけじゃないけど…。デビューのときに、みんなで来てくれてね。中学の校長先生まで見に来てくれた。よく覚えてるよ。

──孝子さんからすると、泣く泣く送り出した息子が不動のトップジョッキーになったわけですが、その活躍はどんな思いで見守ってらっしゃったんですか?

孝子 そりゃあ活躍してくれるのはうれしいけど、もともと賛成して送り出したわけではないし、競馬界のこともわからないし…。今でもそうですけど、乗っているのを見るたび、ホンマに心配ですよ。だからね、土日はまったく外に出ないの。今でこそ乗り鞍が少なくなったけど、昔から開催がある日はずーっと家にいるようにしてます。落馬なんてしようものなら、すぐに毅と連絡を取って。そのためにグリーンチャンネルを見てるんですよ。勝ち負けじゃなく、無事にゴールしたかどうかを確認するためにね。

太論

大きな額に収められた、小牧騎手の活躍を告げるたくさんの記事。「とにかく無事に」と祈りながら、遠くから見守っていた孝子さんの気持ちが伝わってきます。


──ご家族ならではの思いですね。

孝子 そうかもしれませんね。で、無事に一日が終わったら、「あ〜、今日もケガがなくてよかった」って。もちろんね、勝ったら勝ったでうれしいですよ。いつも猫と一緒に「フトシー! フトシー! 頑張れー!」って応援してますから。最近はね、(直線で)だんだんだんだん下がっていっちゃうんだけど(笑)。

──大きな声で応援している姿が目に浮かびます。孝子さん、本当にお元気ですものね。話は変わりますが、カラオケに行くと今も踊ってらっしゃるとか。小牧さんがいつも楽しそうにお話してくださるんですよ。

孝子 ついつい踊りたくなるんやわ。歌うのはテレサ・テン、踊るなら郷ひろみ(笑)。あとで披露しましょうか?

──ぜひ(笑)! 今日は本当にありがとうございました。最後に、60歳まで現役を続けることを目標に掲げている小牧さんに、孝子さんからエールをお願いします。

孝子 いくつまで続けるとかそういうことに関しては、私は何も言いません。太の人生だから、やっぱり自分で決めるしかないでしょう。私もそうやって生きてきたからね。ただ、とにかく体にだけは気を付けて。自分の道をしっかり歩んでください。

小牧 はい、ありがとう。まだまだ頑張るで!

太論

俺も、「(ジョッキーになるのは)やっぱり辞めるわ」って言うたことがあった。そしたら親父が…。

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1967年9月7日、鹿児島県生まれ。1985年に公営・園田競馬でデビュー。名伯楽・曾和直榮調教師の元で腕を磨き、10度の兵庫リーディングと2度の全国リーディングを獲得。2004年にJRAに移籍。2008年には桜花賞をレジネッタで制し悲願のGI制覇を遂げた。その後もローズキングダムとのコンビで朝日杯FSを制するなど、今や大舞台には欠かせないジョッキーとして活躍中。

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