スマートフォン版へ

最年少ダービージョッキーと連合艦隊司令長官

  • 2020年01月23日(木) 12時00分
 先日、最年少ダービージョッキー・前田長吉(1923-1946)の兄の孫の前田貞直さんを通じて、山本順子さんという方からご連絡をいただきました。

 山本さんは、下総御料牧場第9代場長をつとめた田中二郎氏(1902-1981)の次女でいらっしゃいます。

 お父さまが場長をされていたのは1942(昭和17)年から1964(昭和39)年まで。下総御料牧場の生産馬である女傑クリフジ(1940-1964)が前田長吉の手綱でダービーを勝った1943年はちょうど在職中でした。

 山本さんも20歳になった1964年まで牧場内の官舎で暮らしていたのですが、残念ながら、繁殖牝馬として下総御料牧場に戻っていたクリフジ(繁殖名「年藤」)の記憶はないそうです(クリフジは千葉の下総御料牧場に帰ってからほどなく日高に移動し、のちにまた戻って繁殖生活をつづけ、最後は個人の所有馬となりました)。

 下総御料牧場は、1969(昭和44)年に閉場し、栃木に宮内庁御料牧場として移転。敷地の多く(半分ほどでしょうか)は成田空港になりました。

 山本さんの手元には、お父さまと下総御料牧場の思い出が詰まったアルバムが残されています。それをもとに、酪農や獣医学の研究および普及、御料乗馬や競走馬の生産などで我が国をリードし、国際交流の場でもあった下総御料牧場についてより多くの人に知ってもらおうと、2017年6月3日から25日まで、成田市文化芸術センターにて、成田市教育委員会主催の「下総御料牧場の記憶」という写真展を実施しました。

 その写真展をご覧になった多くの方々が、「こんな写真もありますよ」「こんな資料も見つけましたよ」と山本さんに声をかけてきたことにより、下総御料牧場の往時の姿がより鮮明に蘇ってきたようです。そこで、山本さんは、昨年3月31日、『宮内庁下総御料牧場の記憶 成田空港に消えた日本で唯一の皇室牧場』という、B5判、100ページの非売品の本を上梓しました。

 山本さんに送っていただいたそれを、早速拝読しました。下総御料牧場の歴史、皇室との関係、黄金期を支えた種牡馬、この地を愛した文人たちなどについて、写真と図を用いながら、とてもわかりやすく書かれています。

 この地で生まれ育った山本さんならではの感覚や視点には、これまで読んだ資料にはない新鮮さがあります。もちろん、随所に掲載されている写真も貴重なものばかりです。

 馬好きとして最初に目が留まったのは、<今上天皇が初めて騎乗された御料馬「張水(はりみず)号」>というページでした。本書が世に出たのは昨年の3月なので平成ですから、「今上天皇」は平成天皇、つまり、今の上皇さまのことです。上皇さまが皇太子時代、8歳のとき東宮御所で初めて乗られた馬が、宮古島産の黒い小柄な在来馬「張水号(1932-1961)」だったことが紹介されています。馬名は、宮古島の聖地「漲水御嶽(はりみずうたき)」にちなんでつけられたのでしょうか。

 上皇さまが成長してもっと大きな馬に乗るようになると、役割を終えた張水号は余生を過ごすため下総御料牧場にやって来ます。その張水号の首から上の後ろ姿が見える写真が掲載されています。顔は見えませんが、それでも、全体にこんもりとした愛らしい馬であることがわかります。私は在来馬には詳しくないのですが、おそらく張水号は、いわゆる「宮古馬」だったのでしょう。張水号とともに下総御料牧場に移ってきた世話係の松山三次郎氏とのエピソードには、胸にジンと来るものがあります。

 本書には、これも生産馬であるワカタカが1932(昭和7)年の第1回日本ダービーを勝ったときと、トクマサが1936年の第5回日本ダービーを制したときの牧場関係者の集合写真が掲載されています。しかしながら、山本さんのお父さまの田中二郎氏が場長だった1943年のダービーをクリフジが勝ったときの集合写真は残されていないそうです。

 それゆえ、山本さんが、新聞記事で存在を知ったクリフジの主戦騎手・前田長吉の親族である前田貞直さんにそうした写真をお持ちか問い合わせ、貞直さん経由で、私のところに連絡が来たわけです。

 クリフジが旧4歳だった1943年は太平洋戦争の戦況がかなり悪化しており、ダービーが行われたのは、連合艦隊司令長官・山本五十六の国葬が行われた翌日の6月6日でした。クリフジは翌1944年も現役をつづけましたが、その年の競馬は、馬券を売らず観客も入れない能力検定競走として行われました。

 そうした時代背景のためでしょうか、私が見た長吉の口取り写真やその他の写真は、少人数で写ったものばかりという印象があります。

 それも山本さんに電話でお伝えしたうえで、クリフジ関連の写真で、お父さまの田中二郎場長が写ったものがないか、探してみようと思います。山本さんの著書と、写真展のときにつくられた図録に場長の写真がたくさん載っており、もうお顔を覚えてしまいました。

 山本さんの著書で知ったのですが、田中二郎場長の父・田中浪江氏(山本さんの祖父)は、前述の山本五十六の従兄弟にあたるそうです。つまり、山本順子さんは、山本五十六と縁戚関係にあるわけです。田中浪江氏と山本五十六は父同士が兄弟で、田中氏のほうが年上だったとのこと。田中氏が先に郷里の長岡から上京していたので、五十六に頼られていたようです。

 伝説の騎手・前田長吉と、連合艦隊司令長官・山本五十六が、こうした形でつながるなんて、歴史って面白いですね。

このコラムをお気に入り登録する

このコラムをお気に入り登録する

お気に入り登録済み

作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。

関連サイト:島田明宏Web事務所

バックナンバー

新着コラム

アクセスランキング

注目数ランキング