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改修前ラストのシンザン記念に出張(後篇)

  • 2020年01月23日(木) 18時00分

2024年の京都競馬場に再びミスシンザンを!


 シンザン記念の表彰式に、ミスシンザン2人に同行して京都競馬場に出張してきたのは前回書いた通り。だが、1990年以来、30年間にわたり続けられてきた京都へのミスシンザン派遣事業は、京都競馬場改修により、来年から3年間、別の競馬場で実施されるシンザン記念への派遣に代わる。今の段階ではまだ来年度の開催日程が決まっていないので、あくまで推測の域を出ないが、おそらく、新年の開催は中京あたりから始まるのではないか。京都開催分を来年からは阪神と中京、さらに小倉の西日本で分担し代替することになるわけだが、12月の阪神開催の後は、新年度やはり中京開催から幕を開けるのが自然な流れであろう。

 長らくシンザン記念=京都というのが私たち派遣する側にとっても長い間常識になっていたので、この変更にはいささか面食らう。京都であれば、土地勘もできており、宿泊先と競馬場との往復も、電車で迷うことなく行き来できていた。

 しかし、仮に中京となれば、来年は全く従来のマニュアルが役に立たなくなる。馴染みのない競馬場なので、一から派遣計画を練り直さねばならない。JRAの計画によると、京都競馬場は今年11月より改修工事がスタートし、竣工は2023年春の予定という。令和5年の春の天皇賞に間に合わせてのリニューアルオープンだそうである。したがって、2021年、22年、23年の3年間はシンザン記念が別の競馬場で行なわれることになる。次に京都競馬場のシンザン記念にミスシンザンを派遣するのは2024年、令和6年のことだ。ずいぶん先のことのように思えてくる。

 果たして2024年に、これまでのような形で派遣事業を実施できるかどうか。

 ミスシンザンというのは、ここ浦河町で毎年夏に開催される馬イベント「シンザンフェスティバル」にて、町内在住者、もしくは町内に勤務する近隣町民の中から2人ずつ選出と、1年間の任期でいわば「町の観光大使」のようなお役目を担い、各種イベントなどで町のPR役を務めてきた。

生産地便り

2019年ミスシンザンに任命された淡路瑞綺さん(左)と玉沢有美さん(右)


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シンザン記念の表彰式では記念品贈呈を行った


 しかし、近年、浦河に限らず、馬産地日高の各町は少子化、人口減少による過疎化が進行しており、とりわけ若者層の流出が一段と深刻になってきている。ミスシンザンというからには、「独身であること」と、規定には謳っていないものの「18歳〜25歳前後まで」というような選考基準がある。だが、これとて、応募者が数多ければ選びようもあるのだが、ここ数年は志願者が減少してきており、フェスティバル実行委員会の方からアプローチをかけて何とかお願いし引き受けて頂く、というような流れになってきた。

 若い独身の女性が暦通りの勤務で働ける職場は、だいたい限られる。かつては若い女性が数多くいた職場でも、近年は子育ての終わったような世代の人々がパートで勤務するようになっていたり、さもなくば、人手不足により人員に余裕がないために休みを取りにくい職場環境になっていたり、という事業所が少なくない。

 何より、シンザンフェスティバルの開催そのものが、年々、窮屈になってきている。かつては生産地で行なわれる馬イベントとして、業界を挙げての協力体制が確立していたが、近年は、現場で準備段階から携わる若者がひじょうに少なくなった。牧場後継者で作る軽種馬青年部の部員数も年々減少しており、今ではむしろ後継者不在の牧場の方がずっと多い。育成の現場で騎乗要員として働く若者たちでさえ今や多くがインド人などの外国人騎乗者に頼っているのが現実で、馬イベントとは言っても、明らかに担い手不足に陥りつつある。

 それでも何とか今日まで続けてきたのだから、馬産地で開催される馬のお祭りとして、今後もできる限り長く継続させて行きたいところではある。さしあたり、当面の目標は2024年の京都競馬場で行なわれるシンザン記念に、またミスシンザンを派遣するまでは何とかシンザンフェスティバルを続け守って行かねばなるまい、とは思っている。

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シンザンの銅像前で記念撮影

岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。

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