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国中が沸き立ったダブリン・レーシング・フェスティバル

  • 2020年02月05日(水) 12時00分

“ヒーロー”フォーヒーン3度目の復活劇


 2月1日、2日の両日にわたって、愛国のレパーズタウン競馬場で「ダブリン・レーシング・フェスティバル」が行われた。

 2日間でハードル・スティープルチェイス取り混ぜて8つのG1が組まれているのがダブリン・フェスティバルだ。初日のメイン競走であるG1愛チャンピオンハードル(芝16F)は、牝馬のハニーサックル(牝6、父スラマニ)がオッズ1.73倍というファンの圧倒的支持に応えて快勝。

 手綱をとっていたのはレイチェル・ブラックモアで、女性騎手によるこのレース制覇は史上初の快挙だったから、彼女を背にしたハニーサックルがウィナーズサークルに凱旋してくると、場内は大きな拍手と喝采に包まれた。

 また2日目のメイン競走であるG1愛ゴールドC(芝24F)は、前走のG1サヴィルズチェイス(芝24F)に続いてデルタワーク(セン7、父ネットワーク)が制しG1を連勝。ここでも、大歓声がスタンドにこだました。

 だが、2日間を通じて場内が最も盛り上がったのは、2日目の第5競走に組まれたG1フラガスノービスチェイス(芝21F)だった。いや、その結果には、国中のスポーツファンが沸き立ったと言っても過言ではない。このレースを半馬身差で制したのは、フォーヒーン(セン12)だったのだ。

 既にご存知の方もたくさんおられると思うが、ここで、海外における障害戦の基本的な仕組みを、改めてご説明しておきたい。障害戦には、「ハードル」と「スティープルチェイス」の2種類があって、簡単に言えば、飛び越える障害が低くて障害の数も少ないのがハードルで、障害が高くて数も多いのがスティープルチェイスである。具体的には、障害の高さが最低でも4フィート6インチ(約137センチ)以上あって、これが1マイルごとに6個以上あるのがスティープルチェイスとなっている。

 中には、ハードルとスティープルチェイスを行ったり来たりする馬もいるが、ハードラーはハードラーとして、スティープルチェイサーはスティープルチェイサーとして、シーズンを走り通すのが通例だ。

 更に言えば、スティープルチェイサーの多くが、飛越の難易度が低いハードルで障害馬としてのキャリアをスタートさせ、ハードルを1〜2シーズン経験した後に、スティープルチェイスに転身している。

 また、ハードルにもスティープルチェイスにも、そのシーズンからその路線を歩み始めた馬たちが属する「ノービス・クラス」が設けられている。いきなり経験豊富な馬たちと戦っては分が悪いので、経験の浅い馬だけで走るレースが用意されているのである。

 そして、ハードルを経験した馬でも、スティープルチェイスに転身すると、その転身1年目はスティープルチェイスのノービス・クラスに出走することが出来るのだ。

 話を元に戻せば、ダブリン・フェスティバル2日目の第5競走に組まれたフラガスノービスチェイスとは、その名称からもおわかりのように、今シーズンからスティープルチェイスを跳びはじめた、経験の浅いスティープルチェイサーのためのレースだった。

 かつて、ハードル2マイル路線の絶対王者と言われたのがフォーヒーンである。13年11月にハードルデビューを果たすと、2シーズンにわたって負け知らずの9連勝をマーク。15年3月にはハードル2マイル路線の最高峰であるチェルトナム・フェスティバルのG1チャンピオンハードル(芝16F87y)を制覇している。

 15/16年シーズン初戦となったG1モーギアナハードル(芝16F40y)で2着に敗れて連勝が止まったものの、その後はG1クリスマスハードル(芝16F)、G1愛チャンピオンハードル(芝16F)を連勝。だが、フォーヒーンはここで脚部不安(繋靭帯炎)を発症し、16年1月から17年11月まで、実に1年10か月にわたって戦線を離脱することになった。

 復帰戦となったのが、2シーズン前に初黒星を喫した苦い思い出のあるパンチェスタウンのG1モーギアナハードル(芝16F40y)だったが、フォーヒーンはここを16馬身差で快勝。

 この時にも、「ヒーローが帰ってきた」と、欧州の競馬サークルは大騒ぎになった。 だが、この時フォーヒーンは既に9歳。まもなく年が明けて18年となり、10歳を迎えると、スピード重視のハードル2マイル路線に対応しきれなくなったのが、絶対王者の面影はなくなり3連敗。

 すると同馬を管理する伯楽ウィリー・マリンズ師は、出走するレースの距離を延ばして、ハードル3マイル路線にターゲットを変更。これに応えてフォーヒーンは、18年4月にパンチェスタウンのG1チャンピオンズステイヤーズハードル(芝24F)を快勝。ヒーローの2度目の復活に、欧州の競馬ファンはここでもまた、沸きに沸いたのだった。

 18/19年シーズンのフォーヒーンは、4戦して1つの勝ち星も挙げられず、なおかつ、シーズン最終戦となったG1エイントリーハードル(芝20F)では、レース中に心房細動を発症し、競走を中止する事態となった。 さすがのフォーヒーンも、もはや限界かと、ファンの多くが思った。

 ところが、である。19/20年シーズンを迎えると、フォーヒーンはスティープルチェイサーとしてターフに帰ってきたのである。

 前段で、スティープルチェイサーの多くがハードラーからの転身であると記したが、20年になると12歳となる馬の転身というのは、そうそうある話ではない。例えば、フラガスノービスチェイスは7頭立てだったが、フォーヒーン以外の6頭はいずれも7歳以下で、12歳のフォーヒーンは、ノービスチェイサーとしては図抜けた高齢なのであった。

 そして、障害7シーズン目にして飛越の難易度が高いスティープルチェイスを跳びはじめたフォーヒーンは、パンチェスタウンのビギナーズチェイス(芝19F200y)、ライムリックのG1マッチブックベッティングエクスチェンジ・ノービスチェイス(芝19F60y)を連勝。

 そして、ダブリン・フェスティバルのG1フラガスノービスチェイスでは、レパーズタウンのビギナーズチェイス(芝21F)を快勝しての参戦だった6歳年下のイージーゲーム(セン6)との大接戦を制して優勝を果たしたのだ。ヒーローが3度目の復活劇を演じたわけで、国中のスポーツファンがやんやの喝采を送ったのも、むしろ当然だったのである。

 フォーヒーンの今後について、マリンズ師は明言をしていないが、3月10日からスタートするチェルトナム・フェスティバルでは、G2ナショナルハントチャレンジC(芝29F201y)、G1RSAインシュランスノービスチェイス(芝24F80y)、G1マーシュノービスチェイス(芝19F168y)の3競走に登録がある。

 フォーヒーンはチェルトナムに姿を現すのか。現すとして、どのレースを選択するのか。陣営の決断が待たれている。

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1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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