北海道から東京に戻って外に出ると、道沿いに甘い匂いが漂っていた。梅の花が咲いている。小さな花弁をひろげる紅白の梅を眺めているうちに、鼻がむずむずしてきた。もう杉花粉が飛散しているらしい。
2月である。贔屓のスマイルジャックが現役だったころ、2009年から2013年まで5年連続出走した東京新聞杯が今週末行われる。
バレンタインデーの翌週末にフェブラリーステークスが行われ、その4日後の2月27日は、後藤浩輝元騎手の命日だ。
彼が世を去ってから5年になろうとしている。「後藤浩輝のいない競馬」に慣れたわけではないが、受け入れることはできている。
年齢を重ねると涙腺が脆くなるというのは本当で、来月上梓する騎手列伝のゲラに手を入れているとき、後藤元騎手の章になると、鼻の奥がツンとしてしまう。自分で書いた文章を読んで泣きそうになるなんてバカじゃないかと思うが、入院中に病室で見せた笑顔や話し声が蘇ってきてしまうのだ。
しかし、それではいけない。
よく、人を笑わせる噺家は、自分で笑いながら話してはいけないと言われる。お笑いを書くプロも、笑いながら書いているわけではなく、産みの苦しみでウンウン唸りながら書いているものだ。
発信者自身が感情に支配されてしまうと、しっかり強弱をつけ、細部まで正確を期すことができなくなってしまう。今またゲラの後藤元騎手の章を見直して、とんでもない誤植を見つけた。誤植と記したが、それを書いたのは、ほかならないこの私だ。やはり、推敲するときは、感情の動きを抑え、引いた視点で見なければいけないのだろう。
先刻、GIを3勝した名牝ニシノフラワーが世を去ったことを知った。31歳だった。西山茂行氏のブログによると、老衰だったという。まさに大往生であった。
ニシノフラワーは、旧3歳だった1991年、7月の新馬戦を4馬身差で勝ち、次走の札幌3歳ステークスも3馬身半差で快勝。
つづくデイリー杯3歳ステークスは、騎乗停止中だった佐藤正雄元騎手の代打で田原成貴元騎手が手綱をとり、ここも3馬身半で優勝する。
佐藤元騎手に手綱が戻った阪神3歳牝馬ステークス(現阪神ジュベナイルフィリーズ)で、サンエイサンキュー(2着)、シンコウラブリイ(3着)といった強敵を下し、GI初制覇を遂げる。同レースが牝馬限定GIとなったのはこのときからだった。ニシノフラワーは、世代女王決定戦を勝ってその座を射止めた初めての馬だったのだ。
旧4歳初戦のチューリップ賞で2着に敗れ、次走の桜花賞からは河内洋調教師が主戦騎手となった。
桜花賞では、引っ張り切れないほどの手応えで先行し、勝負どころから直線入口にかけて、ほとんど持ったままで先頭に並びかけた。ラスト200m地点で鞍上が手綱をしごくとさらに加速し、最後は流すようにして先頭でフィニッシュ。2着を3馬身半突き放す完勝だった。
その後、オークス7着、ローズステークス4着、エリザベス女王杯3着と勝てなかったが、12月20日のスプリンターズステークスでは古馬の牡馬勢を一蹴して優勝。安田記念を連覇し、天皇賞・秋も制するヤマニンゼファー(2着)、マイルチャンピオンシップを連覇していたダイタクヘリオス(4着)、翌年からこのスプリンターズステークスを連覇するサクラバクシンオー(6着)といった強豪を退けたのだから、価値がある。
繁殖牝馬となってからは、11頭の産駒を送り出した。同じ故・西山正行オーナー(途中から西山牧場所有に)のセイウンスカイとの間に生まれた7番仔ニシノミライからつながる曾孫のニシノデイジーは、2018年の札幌2歳ステークスと東京スポーツ杯2歳ステークスを勝ち、ホープフルステークスでは3着と好走した。
ニシノデイジーは、3月15日の金鯱賞に出走を予定しているとのこと。頑張って、天国の曾祖母にいい報告をしてほしい。