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「馬第一主義」シャンティステーブル(4)ひとつの命を前にして―私に“今”できること

  • 2020年02月11日(火) 18時00分
第二のストーリー

日差しが心地良さそうな表情のクラウンことゴールデンクラウン(撮影:佐々木祥恵)


現役時代の気の悪さ、第二の馬生でも…?


 シャンティステーブルを訪ねたのは1月半ば。暖冬と言われている中で、ゴールデンクラウンの馬体は冬毛に覆われ、午後の暖かな日差しを浴びて眠たそうに洗い場に繋がれていた。だが現在のゴールデンクラウンの姿が嘘のように、競走馬現役時代は相当気性が難しかったと管理していた大竹正博調教師が教えてくれた。父フジキセキに、母は重賞5勝のゴールドティアラという血統からも、厩舎サイドでも期待の大きかったはずだが、2勝目になかなか手が届かなかったのも、その気性が影響していたのかもしれない。

 初勝利から約1年後の2013年2月16日。東京競馬場の4歳以上500万下(ダ1400m)でゴールデンクラウンは、待望の2勝目を挙げた。前走も2番手からの積極的な競馬で3着と好走していたが、このレースでも好スタートを切って道中は逃げるミルキーブロードをマークする形の2番手からの競馬。4コーナーではミルキーブロードに並びかけ、直線では2頭で後続を引き離し、ゴールまで追い比べが続いた。ゴール板を通過する時には、外のゴールデンクラウンが僅かに前に出てハナの差で勝利を収めた。

 だが1000万クラスに昇級してから3戦は2桁着順が続き、しかも昇級2戦目にはスタートで出遅れ、昇級3戦目はゲート内で立ち上がり、外枠発走となった。大竹調教師も「気が悪くて、追えばやめるし、ステッキを入れれば反抗していました。ノリさん(横山典弘騎手)が乗って勝った時(2勝目)は、ノーステッキだったと記憶しています」と当時を振り返る。

 ゲート内で暴れた5月25日のレース後は休養に入ったが、この半年の休みの間に去勢を施され、セン馬になっていた。11月23日の東京競馬場での復帰戦は、1000万クラスから500万クラスに降級したこともあり、余裕の手応えで追走すると直線では先頭に立ったアビリティラヴとの追い比べとなった。一旦は相手の脚色が優勢に見えたが、北村宏司騎手に懸命に追われるとゴール前でもう伸びして、アビリティラヴをクビ差退け、通算3勝目を挙げたのだった。

第二のストーリー

2013年11月23日、3勝目を挙げた(ユーザー提供:モエロウエクラさん)


 再び1000万クラスに昇級したクラウンは、実績のあるダートだけでなく芝のレースも織り交ぜながら出走を続けた。だが掲示板は5着が2回あっただけで、4つ目の勝ち星を手にすることなく、2014年9月20日の新潟競馬場の初風特別(1000万下・芝1200m)17着を最後に競走馬生活にピリオドを打ち、乗馬として第二の馬生が始まった。

 リトレーニングを受けて乗馬となったゴールデンクラウンは、クラウンという新たな名前がついた。そして現在のオーナーのM.Nさんと某乗馬クラブで出会った。

 動物好きだったM.Nさんは、馬にも興味があったのだという。

「姉があるイベントで乗馬クラブの体験乗馬の無料チケットをもらってきてくれたので、思い切ってクラブに電話をかけて乗りに行ったんです。馬の上は高いですし、気持ち良かったんですよね。1回乗っただけですっかりはまって、その日にクラブに入会しました。10年以上前のことですね」

 途中通えなかった期間はあったというが、M.Nさんは今日に至るまで10年以上の長きの間、乗馬を趣味として続けてきた。だが、自分の馬を持つとはゆめゆめ考えもしなかった。そんなM.Nさんの前に現れたのがクラウンだった。

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M.Nさんとの出会いはとある乗馬クラブだった(撮影:佐々木祥恵)


「当初レッスンで指名した馬がケガをしてしまって、その代わりに乗ったのがクラウンでした。クラブに来たばかりだったみたいで、その存在を知らなかったので、どんな馬ですか? とインストラクターに聞いたら、大人しい馬で蹄跡もきちんと回ってきますという答えでした」

 インストラクターの言葉通り、クラウンはとても乗りやすい馬だった。

「以前、よく乗っていた大好きだった馬の感覚に似ていたので、指名して乗るようになりました」

 乗りやすかったクラウンは、M.Nさんだけではなく他の会員にも人気が出てきて、指名も多く入るようになった。ところがクラウンにとってはこれが苦痛だったのだろう。レッスンで馬場に出ると、人を乗せたまま寝たり、寝るような仕草をするようになる。M.Nさんが乗ってもそれは同じだった。

「追えばやめるし、ステッキを入れれば反抗した」という競走馬時代のクラウンとイメージが重なった。

 レッスンのたびに寝られると、クラブとしても使いづらくなる。だが乗りやすく乗馬としては悪い馬ではない。レッスンに出る回数が少なくなれば、寝る癖も出づらくなる可能性はある。クラブはクラウンを気に入っていたM.Nさんに自馬として持たないかと声をかけてきた。一方、M.Nさんも、馬場で寝る癖を頻繁に出すクラウンが、クラブから出されてしまうのではないかと心配だった。

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M.Nさんにも馬場で寝てしまうクラウンの今後を心配する気持ちが…(撮影:佐々木祥恵)


「クラウンを持ちませんかと言われた時に、クラウンが天寿を全うする年齢を考えると、自分はそれまで元気でいられるだろうか、ちょっと難しいのではないかと思って、1度は断ったんです」

 だが友人の一言が、M.Nさんの気持ちに変化をもたらした。

「もしクラウンがクラブから別の場所に出されてしまったら、その後が気になるだろうと。それなら今できることをしてあげたら? と言われました」

 乗馬として失格の烙印を押されると、いずれ処分の道を辿る可能性もある。先々を考えることも大切だが、目の前の命も大切にしたい。M.Nさんは自馬としてクラウンを購入し、たくさんの愛情を注ごうと決心した。それがM.Nさんの今できることだった。

(つづく)

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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