スマートフォン版へ

【ベストパートナー】ドゥラメンテ前編 「万事休す」からの皐月賞勝利、そしてダービーの主役へ

  • 2020年05月12日(火) 18時00分
「Road to No.1」

▲ドゥラメンテで2015年のダービーを制した際のミルコ騎手 (撮影:下野雄規)


先日のNHKマイルCをラウダシオンで見事勝利したミルコ騎手。自身にとっては同レース連覇という、二重の快挙となりました。GI勝利の喜びの声は、後日お届けいたします。

今回はミルコ騎手が過去に騎乗した名馬を語る「ベストパートナー」。間もなくダービーというタイミングに合わせ、2015年のダービーを制したドゥラメンテを、2週にわたって振り返ります。

クラシックの本番からコンビを組んだ、ミルコ騎手とドゥラメンテ。迎えた皐月賞。「これは絶対に届かない…」、誰もがそう思った4コーナーから、衝撃すぎる伸び脚で勝利。一冠目を力で勝ち取ったコンビは一気に主役へと躍り出て、ダービーへと駒を進めます。

(取材・文=森カオル)

※このインタビューは電話取材で実施しました。


芝での強さは、今も変わらずNo.1ホース


──今月振り返っていただきたい『ベストパートナー』は、間もなくダービーというタイミングに合わせまして、いよいよドゥラメンテです。

ミルコ いやぁ、ドゥラメンテはすごい馬だったねぇ。芝での強さは、それまでに乗った馬のなかで間違いなくNo.1だったけど、今でもそれは変わらない。

 いっぱいいい馬に乗せてもらってきたけど、2400mでは今も一番強いね、あの馬が。ただ、初めて乗ったときは、「普通だな」と思った。乗った瞬間はね。

──そうなんですね。初めて騎乗されたのは、確か皐月賞の最終追い切りでしたね。

ミルコ そうです。関東まで乗りに行きました。背中自体は、すごい馬っていう感じじゃなかった。

 でも、そのあとキャンターに行ったら、もうすごい跳びで。切れもすごくて、「この馬、ヤバイ!」って興奮しました。それからはもう、ずーっと楽しみ楽しみって思ってたね。

──調教以前に、同じレースで走ったこともなかったわけですが、ドゥラメンテのレースぶりについてはどんな印象を持っていましたか?

ミルコ 競馬を見る限り、まだ少し子供っぽいのかなと思ってた。でも、皐月賞に出ると決まったら、(武)豊さんとかみんなが「あの馬は強いよ」って教えてくれましたね。

 やっぱり未勝利、500万とすごくいい勝ち方をしていたから。調教でもビックリしたけど、実際に皐月賞で乗って、さらにビックリしました、僕。

──4コーナーでは大きく膨れてしまいましたが、本当に強かった。

ミルコ あの4コーナーは…、まぁ馬がまだ若かったこともありますね。僕、4コーナーのところで外に出したくて、ちょっと動かしたんだけど、馬も早く動きたかったみたいで。でも、まさかあんなに飛んでいくとは思わなかったね。

 右回りは皐月賞が初めてだったかな。確かコーナーを回り切る前に、早めに左手前に替えちゃったから、バランスが崩れて真っ直ぐに行っちゃいましたね。直線じゃなくてコーナーだからね。あんなスピードで手前を替えたら、バランスを維持するのが苦しくなるね。

──普通の馬なら万事休すといったところです。前ともだいぶ離れてしまいましたし。

ミルコ うん、ヤバかった。絶対に届かないと思ってた。(福永)祐一くんの馬(リアルスティール)もすごくいい馬で、あのときもいい競馬をしてました。中山の直線は310mでしょ? これは絶対に届かない…と本当に思ったね。

──誰もがそう思ったはずですが、最後の1ハロンでビュン! と伸びて。あの脚は衝撃でしたね。

ミルコ いやぁ、あの脚は忘れられないね。ホントに楽勝だった。乗ってた僕が一番ビックリしたかも。

「Road to No.1」

▲「万事休す」からの皐月賞勝利 (撮影:下野雄規)


ダービー直前の葛藤…「もうやめて!」


──皐月賞は、サトノクラウン、リアルスティールに次ぐ3番人気でしたが、皐月賞のあの勝ちっぷりで、俄然“一強”ムードが高まりましたね。

ミルコ 僕、ものすごく緊張してましたね(苦笑)。ネオユニヴァースのときは、まだそれほどプレッシャーがなかった。なぜならまだ若かったし、短期免許で乗りにきていた頃だったから、レースの週の水曜日にきて調教に乗って、あとは競馬に乗るだけだから。

 でも、ドゥラメンテのときはJRAのジョッキーになっていたから、毎週毎週水曜日、木曜日と調教に行くでしょ? その度にマスコミがいっぱい集まってきて…。みんな「楽勝でしょ? ダービー絶対に勝つでしょ?」みたいな感じで、本当につらかった。「もうヤダ!」と思ってたね(苦笑)。競馬に絶対はないのに。

──それはもう、ダービーで本命馬に騎乗する騎手の宿命のような…。

ミルコ そうかもしれないけど、ホントに「もうやめて!」って思ってた(苦笑)。だって、2400mのスタートはお客さんの目の前だし、いろいろ不安がありましたからね。ホントにプレッシャーがすごかった。

──そんななかで迎えたダービー。レースにはどんな思い出がありますか?

ミルコ テンションが高かったし、前半も折り合いが難しかったね。あとはまた4コーナーが…。岩田くん(2着サトノラーゼン)が内に行ったとき、僕、ちょっと焦ってましたね。もうちょっと我慢したかったけど、思ったより早く動くことになりました。

──それでもアッサリと前を捕らえて、着差以上に圧倒的な内容でした。

ミルコ うん、ムチ一発だけでレースレコード。楽勝だったね。スムーズだったら、もっと速く走れていたと思う。

──そういえばあのダービーでは、ミルコ騎手ならではの力強いガッツポーズがなかったような。

ミルコ ガッツポーズはあんまりしたくなかった。強かったのは馬で、僕がどうこうで勝ったわけじゃないから。あとは皐月賞のとき、「ミルコさん! ガッツポーズ早いよ!」って怒られたし(笑)。

──皐月賞のガッツポーズは、確かに早かった(笑)。

ミルコ そう、それもあって…(苦笑)。それに、ダービーはやっぱり夢の舞台。ゴールの瞬間も、いろんなことを考えてましたね。だから、ガッツポーズのことはそんなに考えられなかった。一度勝っていたとしても、やっぱりダービーは特別。ダービーだけは違うね。

「Road to No.1」

▲自身2度目のダービー制覇を果たしたミルコ騎手 (撮影:下野雄規)


(次週の後編へつづく)
質問募集
Road to No.1 世界一になる / ミルコ・デムーロ
このコラムでは、コラムニストに解説してほしいテーマを募集しています。
競馬で気になっている話題を、下記フォームからお寄せください。
質問フォームへ

このコラムをお気に入り登録する

このコラムをお気に入り登録する

お気に入り登録済み

1979年1月11日、イタリア生まれ。弟のクリスチャン・デムーロはイタリアのジョッキー。1997年から4年連続でイタリアリーディング。1999年に初来日。2003年、ネオユニヴァースの皐月賞でJRAGI初制覇。続くダービーも制し、外国人ジョッキー初の東京優駿制覇。2015年3月1日付けでJRAジョッキーに。

バックナンバー

新着コラム

アクセスランキング

注目数ランキング