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フランキー・デットーリ騎手のエージェントが引退を表明

  • 2020年05月20日(水) 12時00分

航空機事故でデットーリ騎手を救出


 元トップジョッキーで、ここ20年ほどフランキー・デットーリ騎手のエージェントを務めてきたレイモンド・コックレイン(62歳)が、引退を表明した。

 騎手としてもエージェントとしても確固たる実績を残したコックレインだが、その名が最も大きくクローズアップされたのは、2000年6月1日にニューマーケットで、航空機事故が発生した時だった。

 当時42歳だったレイモンド・コックレインは、まだ現役で乗っていた時代で、グッドウッド競馬場で行われる開催で騎乗するため、移動用の小型機に搭乗。12時30分にニューマーケットを飛び立ったその機には、フランキー・デットーリ騎手も同乗していた。

 ところが、あろうことか離陸後まもなく小型機が、ロウリーマイルとジュライコースにはさまれたデヴィルズディッチと呼ばれるエリアに墜落。燃料がたっぷり残っていた小型機は炎上し、残念ながらパイロットのパトリック・マッケイさんが命を落とす惨事となった。

 幸いにして軽傷だったコックレインが自力で脱出した一方、右足首骨折などの重傷を負って機内に取り残されたのがフランキーで、そのフランキーを荷物の積み下ろし口から外に引きずり出して、命を救ったのがコックレインだったのである。その武勇伝は世界に喧伝され、のみならず、勇気ある行動をとった市民に女王陛下から贈られる「クイーンズ・コメンデーション・フォー・ブライヴリー」を、コックレインは手にしたのだった。

 騎手としては、ベン・ハンブリー厩舎のミッドウェイレディで1986年のG1英1000ギニー(芝8F)とG1英オークス(芝12F6y)を、ルーカ・クマーニ厩舎のカヤージで1988年のG1英ダービー(芝12F6y)を制しているのがレイモンド・コックレインだ。

 私事になるが、1988年は英国に在住していた筆者は、カヤージのダービーは勿論のこと、前哨戦となったリングフィールドのG3ダービートライアルS(芝12F)も現地で生で観ていたから、非常によく覚えている。

 カヤージはアガ・カーン殿下による自家生産馬で、この時既に日本に輸出されていた種牡馬イルドブルボンが、現地に残してきた産駒だった。体高が157cmほどしかない小柄な馬で、これは母の父ブラッシンググルームの影響と言われている。

 この年のダービーにクマーニ厩舎から2頭の出走馬があり、前走G2ダンテS(芝10F56y)で2着となってダービーに駒を進めたキファー(父ブラッシンググルーム)もコックレインのお手馬だったのだが、彼はダービーでの騎乗馬に、G3ダービートライアルSを含めて3戦無敗だったカヤージを選択していた。

 ちなみに馬主のアガ・カーン殿下も、この年のダービーは2頭出しだった。1頭は3冠初戦のG1英2000ギニー(芝8F)を勝っての参戦だった、ウォルター・スウィンバーン騎乗のドユーン(父ミルリーフ)で、緑地に赤のアクセントが肩に入っている、お馴染みのアガ・カーン殿下の服色はスウィンバーンが着用し、カヤージのコックレインは緑地に茶の輪、帽子が茶という、アガ・カーン殿下のセカンドカラーを着用しての参戦だった。

 1番人気はG2ダンテSを勝っての参戦だったレッドグロウ(父カラグロウ)だったが、結果はオッズ12倍の5番人気だったカヤージが快勝。勝ち時計の2分33秒84は、電気計時が導入された1964年以降のレコードタイムだった。

 筆者の手元には、当時のスポーティングライフ紙の切り抜きもあるのだが、おそらくはダービーのゴールをご覧になっている瞬間をとらえたのであろう、レープロを持った左手と、掌を上にかざした右手を、天に向かって大きく広げているエリザベス女王(当時62歳)の写真が掲載されている。さて、コックレインは件の航空機事故が起きた数か月後に騎手を引退。フランキー・デットーリ騎手のエージェントに転身した。エージェント生活のハイライトは何かとメディアに問われた彼は、「凱旋門賞を5回も勝つことが出来たこと」と答えている。

 エージェント業からの引退については、1年ほど前から考え始めたようだ。本人いわく、働きはじめたのは9歳か10歳だった頃で、社会人として力を出し尽くしたように、近頃は感じていたそうだ。また、フリーランスと言いながら、近年のフランキーはジョン・ゴスデン厩舎の専属のような形で乗っており、エージェントにかかる比重はかつてに比べて大きく軽減していた。

 今後についてコックレインは、趣味のサイクリングとスキーにたくさんの時間を使いたいと語っている。さらに、最近になって0.5エーカーの菜園を手に入れたそうで、その手入れにも精を出す予定だ。

 おそらくは今後も、テレビ中継の解説などで、ファンの目に触れる機会がありそうである。

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1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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