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ターフを去った歴史的名牝エネイブル

  • 2020年10月14日(水) 12時00分

日本でも人気を博した彼女が残した功績と偉大さ


 おかげさまで随分長きにわたってこの連載を書かせていただいているが、週毎の題材は基本的には筆者が好きに選ばせていただいている。だが今週は珍しく、ホントに珍しく、編集部様から「月曜日に引退が発表されたエネイブルのことを書いて欲しい」とのオーダーが届いた。

 この一事をもってしても、エネイブルという英国調教馬が日本の競馬ファンの心に、どれだけ深く浸透しているかを端的に表していると思う。浸透などという、しゃちほこばった言葉を使ったが、つまりは、エネイブル・マニアが日本にも何千・何万と居るのだ。何を隠そう、筆者も、その一員である。

 フランケルという怪物をこの世に送り出したジュドモントファームが、わずか6年後に輩出した歴史的名牝がエネイブルだ。

世界の競馬

日本競馬ファンの心をも鷲掴みにしたエネイブル(c)netkeiba.com、撮影:谷口浩


 母コンセントリックもジュドモントファームの自家生産馬で、仏国のアンドレ・ファーブル厩舎に所属した同馬は、シャンティイのLRシャルルラフィット賞(芝2000m)を制した他、サンクルーのG3フロール賞(芝2100m)2着などの成績を残している。

 その5番仔となるのがエネイブルなのだが、配合を見ると、母コンセントリックの父がサドラーズウェルズで、父ナサニエルの直系祖父もサドラーズウェルズだから、「サドラーズウェルズの3×2」という非常に濃いインブリードを持っていることは、つとに知られている。

 ジュドモントファームの配合担当者に話を聞いたことがあるのだが、エネイブルの兄や姉は小ぶりな馬が多く、馬格のある馬が出る可能性が高くそれでいてコンセントリックが持つ良さを消さない種牡馬はどれかという観点から選んだ時、最適な交配相手として浮上したのが、ナサニエルだったとのことだ。

 3×3は許容範囲だが、3×2には二の足を踏むという生産者が、世界的に見ても大半であろうが、そういう意味でエネイブルは生まれる前の段階で既に、生産界にとってエポックメイキングな1頭であったと言えそうだ。

 ニューマーケットに拠点を置くジョン・ゴスデン厩舎に入厩し、2歳11月にデビューして以降の成績については、ここであらためてなぞり返す必要もあるまい。蛇足ながら1つだけ言及すれば、エネイブルのデビュー戦はニューキャッスル競馬場を舞台としたオールウェザーのメイドンだった。オールウェザーのレースを上手に組み入れることが、管理馬のローテーションを組み立てる上で不可欠となっている、昨今の欧州における競馬事情を、エネイブルはここでも端的に体現している。

 デビュー戦を含めて、エネイブルはオールウェザーのレースを3回走った。下級条件から成りあがった馬ならばともかく、2歳のデビュー当時からエリートと目され、期待通りに芝の超一流馬に昇りつめた馬が、オールウェザーを3度も走っているというのは、現段階ではそれほど多い事例ではなく、新たなトレンドの先駆けとなる可能性もありそうだ。

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芝重賞で活躍を見せるなかオールウェザーでも3勝を挙げている(提供:Racingfotos Ltd)


 彼女の偉大さは、その戦績が如実に物語っている。欧州競馬におけるチャンピオンディスタンスである12F路線において、英国における最高峰とされるG1キングジョージ6世&クイーンエリザベスS(芝11F211y)を歴代最多となる3勝。仏国における最高峰であるG1凱旋門賞(芝2400m)を、歴代最多タイの2勝。これらを含めてG1・11勝というのは、比類なき業績と言えよう。

 競馬の質を変えてしまうほどの極端な道悪になった、10月4日の凱旋門賞で6着に敗れた後、陣営からは、17日のG1ブリティッシュチャンピオンズ・フィリーズ&メアズ(芝11F211y)、あるいは、11月7日のG1BCターフ(芝12F)参戦に含みを持たせるコメントが出されており、実際にエネイブルの朝の調教は続けられていた。実は筆者は、凱旋門賞の翌日からニューマーケットに赴いており、管理調教師のジョン・ゴスデン師とも言葉を交わす機会があったのだが、師は「(ジュドモントファームのオーナーである)アブドゥラ殿下の決断を待っている状態」と語っていた。そのアブドゥラ殿下の出した結論が、「引退」だったわけだ。

 エネイブルの存在を通じて、海外競馬に興味を持っていただいた日本のファンがたくさんいることは、彼女が出走したレースの馬券売り上げが大変好調であったことからも明白である。さらに言えば、エネイブルとディアドラがいなかったら、日本における海外競馬を取り巻く環境は、かなり違ったものとなっていた可能性が高い。

 願わくば、日本のエネイブル・マニアが、彼女の引退後も海外競馬を見続けて欲しいと切に思う。少し気の長い話になるが、今後はエネイブルの産駒にぜひ注目していただきたい。ジュドモントファームは、エネイブルの現役引退を発表すると同時に、初年度の交配相手が、同じジュドモントファームで繋養されているキングマンになると公表した。今週末のG1クイーンエリザベス2世S(芝8F)で圧倒的本命に推されているパレスピア(牡3)や、1600mから1800mのG1を3勝している上に、凱旋門賞でも3着に好走したペルシアンキング(牡4)らを送り出している、欧州でも今が旬の種牡馬がキングマンだ。

 10F-12F路線で無双の強さを見せたエネイブルに、一刀両断の切れ味を武器にマイルG1を4勝したキングマンが交配されて、果たしてどんな仔が誕生するのか。早ければ2024年に見られるはずのデビューを、エネイブル・マニアの同志の皆さまとともに、心待ちにしたいと思う。

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1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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