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色あせることのないポジーへの愛情と血筋への思い 一人の男性とポジーの物語(3)

  • 2020年10月13日(火) 18時00分
第二のストーリー

ポジーの2番子、代表産駒のレイ(提供:Y.Hさん)


夢の続きはポジーの子供たちへ…


 話は前後するが、繁殖生活に入ったポジーに会いに行っていたY.Hさんは、当然ポジーの子供たちとも毎年対面している。1999年に生まれたのが、アルカングとの間に生まれた初子・ラウシュニーファラ(牝・前回画像で紹介)、2000年生まれが父サクラバクシンオーのレイ(牝)。この馬が中央で3勝を挙げており、ポジーの代表産駒となった。金沢に移籍して5戦で引退して繁殖に上がり、4頭の子供を送り出している。2001年生まれは父サクラローレルのウインルーチェ(牝)で、こちらは中央→笠松→道営→中央→金沢と10歳まで走り続けて114戦11勝(勝利は地方競馬のみ)の成績を残した。

 ポジーは子出しが良く、ほぼ毎年のように出産をした。Y.Hさんはその子たちの応援にも競馬場に駆けつけた。辛い思い出もある。2005年生まれで父アドマイヤベガのタイキイットウセイ(牡)が、デビュー戦(3歳未勝利)で完走はしたものの、レース中に故障を発症して予後不良になった。

「応援幕を作って現地で応援しました。それが目の前で左前脚の骨折をしてしまって…」

 大好きなポジーの子で、しかも当歳時から見ている馬が、痛々しい姿で目の前にいる。

「何もできずにその場に崩れ落ちていました」

 2度と競馬場に掲げられることのない応援幕を抱え、悲しみの中帰路についた。

第二のストーリー

タイキイットウセイは、デビュー戦で帰ってくることができなかった…(提供:Y.Hさん)


 ポジーは幾度か牧場を替わりながら、母としての務めを果たし続けた。父アドマイヤオーラのサンマルポジー(牝)が最後の産駒となった。残念ながらポジーを上回る活躍をする馬はいなかったが、12頭という子出しの良さは母として優秀だったのだと思う。だがY.Hさんによると、残念ながらポジーから直接繋がる牝系は残ってはいないという。

「1番近いのがポジーのお姉さんの孫が、1頭だけ繁殖として残っているんです。その牧場にも連絡して訪ねていきました。ポジーに何となく雰囲気は似ていますね」

 その牧場とも親しい付き合いとなり、たびたび繁殖牝馬に会いに足を運ぶようになった。

 第1回目にも書いたが、Y.Hさんが競馬にのめり込んだきっかけはヤエノムテキだった。同馬を管理していた荻野光男厩舎が気になり出し、調べてみると鮫川牧場の馬が多いことに興味を抱いた。そんな中、登場したのが荻野厩舎で鮫川牧場生産のポジーだった。いつしかY.Hさんは鮫川牧場を折に触れて訪れるようになり、親交を深めていった。

「実はポジーのおばあちゃんのシャークテイムの晩年も見ているんです」

 シャークテイムは貴公子と呼ばれたタイテエムの子で、父譲りの四白流星の派手な馬体をしており、40戦8勝と活躍をした。2000m以上の距離が得意で、1979年の5歳時(旧馬齢表記・現4歳)には3000mの長距離Sというレースにも優勝している。1980年には京都記念3着や函館記念2着など、重賞でも好走。その年の9月の函館競馬場(当時は札幌と函館の開催が逆だった)でのみなみ北海道Sでは馬場が悪化した芝コースで土をはね上げながら、力強い走りを披露して優勝した姿が印象に残っている少し古いファンもいることだろう。

 その後も重賞を含めて翌年まで走り、函館記念5着を最後にターフに別れを告げている。

「僕自身はシャークテイムの現役時は知らなかったので、後から資料を調べたりしたのですが、レース振りも追い込み脚質でポジーと似ているんですよね。京都記念で3着になったりしているのですが、とうとう重賞を勝てなくて、そういうところもポジーと被るんですよ」

 だが性格は違った。

「テイムは気性がキツかったのですが、ポジーは人間には何もしないんですよ」

 Y.Hさんの手元には、シャークテイムがレースに優勝した時の額装された口取り写真が2枚ある。1979年の御嶽特別と長距離Sのものだ。

「鮫川牧場を閉める時に、良かったら僕に預からせてください。必要な時にいつでもお返ししますのでと頼みました」

第二のストーリー

シャークテイムの口取り写真、御嶽特別(提供:Y.Hさん)


第二のストーリー

こちらは長距離Sのもの(提供:Y.Hさん)


 写真は色あせても、Y.Hさんのこの血筋への思い、その血を引くポジーへの愛情は決して色あせることはない。送られてきた口取り写真の画像を前に、そう感じたのだった。

(つづく)

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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