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パドック中央の木はいつからあるの? 改修前に知っておきたい京都競馬場の歴史 /「さようなら京都競馬場特集」(1)

  • 2020年10月14日(水) 18時02分
ノンフィクションファイル

▲京都競馬場のシンボル、パドック中央にそびえるもちの木 (C)netkeiba.com


京都競馬場開設100周年を迎える2025年の記念事業の一環として、今開催を最後に2024年3月までの大規模改修に入る京都競馬場。そこで、現在の京都競馬場の思い出をジョッキーたちにお聞きします。

今週末の秋華賞で三冠に挑む松山騎手、京都でトップの成績を誇る川田騎手、京都に特別な思い出を持つ坂井騎手が2週にわたって登場予定。

その前に! 京都競馬場が今の姿になるまでにどんな過去があったのか? 新装コースになって予想への影響? 今知っておきたい歴史を須田鷹雄さんが解説します。

(文=須田鷹雄)

最先端の建築技術で世界に誇れる施設に


 京都競馬場が現在地に移転してきたのは大正の終わり。当時の地名でいう京都府紀伊郡向島村字葭島新田に建設された競馬場が竣工したのが1925年12月1日、最初の開催が行われたのが12月5日だった。

 その後少しずつ改修されていた京都競馬場が最初の大改修を迎えたのが1936年から38年にかけて。設計コンクールが実施され、最終的には1938年9月10日に竣工した。この改修の際に、外回りコースが設けられた。コースの線形については、この時点で現在にかなり近いものとなっている。

 この改修で建てられたスタンドは無柱の大鉄傘にゴンドラを吊るした当時最先端の建築技術を集めたもので、東洋のみならず世界に誇れる施設であった。

 この当時のパドックは現在地とは別な場所だが、いまもパドックの中央にあるもちの木は既に生えていた(パドックの場所が変わるときに移植された)。現在のような大木ではなく、ひょろっとした姿が当時の写真に残っている。

 壮大なスタンドで生まれ変わった京都競馬場だが、戦争による不幸が訪れる。内務省防空局の勧告にしたがって、スタンドには黒色偽装がほどこされて敵機の襲来に備えることとなった。また金属供出の対象ともなり、スタンド大屋根の鉄傘や投票所の庇、その他鉄柵などが取り払われることとなってしまった。

 戦後は徐々に復旧工事が行われ、投票所の増設なども行われたが失われた鉄傘の回復までは時間がかかり、ついにスタンドの大屋根復旧工事が竣工したのは1958年8月31日のことであった。ちなみにこの前年にオランダから白鳥16羽が輸入されて池に放され、1958年にスワンステークスが創設されている。

前回のコース改修で名物のバンケットは向正面へ


 1969年に開場した栗東トレセンへの人馬移動が1970年に完了すると、場内の2箇所に分かれていた厩舎が解体され、激増する入場者に対応するためのスタンド増改築工事が行われた。

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