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競馬界にとって稀有な2週間が始まる

  • 2020年10月17日(土) 12時00分

当時は脚光を浴びなかったセントライトの3冠


 さぁ、歴史上まれに見る“スペシャル2ウィークス”の開幕です。“牡牝同年3冠制覇”は見られるのか?しかもそれは、ともに無敗での達成になるわけですからね!

 こんなタイヘンなことを見られるチャンスは一生に一度あるかないか、でしょう?そこでふと思いついて、近い将来、日本で皆既月食と皆既日食(または金環日食)が同じ年に見られることはあるのか、調べてみました。

 すると、2050年まではない、とのこと。その先についてはわかりませんでした。これだって、限られた地域でしか観測できないのに、その日そこの天気が悪ければ見られなくなっちゃいます。だったら、勝つか負けるかわからない競馬と同じようなもの。そう考えると、今度ばかりは馬券の当たりハズレを抜きにして、ぜひとも“超絶快挙”を見てみたいと思っちゃうんですが...。

 さて、牝馬3冠のレース体系は1976年のエリザベス女王杯(1995年まで3歳馬限定)創設によって整いました。

 一方、牡牝を問わず参戦できるもともとの3冠3レースは、以下の順で創設されました。

1932年 東京優駿大競走=日本ダービー

1938年 京都農林省賞典4歳呼馬競走=菊花賞

1939年 横浜農林省賞典4歳呼馬競走=皐月賞

 とはいえ、1939年の体系確立当時、3冠というものが広く知られていたわけではありません。東京優駿や農林省賞典(上記のほかにも複数あった)、帝室御賞典(今の天皇賞)など、“特別な競走”はいくつかあったものの、「重賞競走」という言葉さえも使われていなかった時代です。

 そんな中、1941年にセントライトが初めて3冠を制しました。最終関門の京都農林省賞典4歳呼馬が行われたのは10月26日。それから1カ月ちょっとで、日本は太平洋戦争に突入します。毎日のニュースを伝えるメディアはラジオと新聞。もちろんスポーツ新聞はなく、大手紙であっても4面までしかありませんでした。

 当時の朝日(大阪版)、東京朝日、大阪毎日、東京日日(今の毎日新聞東京版)、読売(東京版だけ)の紙面を各紙のデータベースで検索したところ、セントライトの優勝を記事にしていたのは大阪毎日新聞だけ。そこには次のように書かれていました。

「四歳馬の本年度最高峰を決する京都農林省賞典四歳呼馬競走は(中略)三角すぎまで逃げるミナミモアをセントライトがあざやかに抜いて制覇、ここに今季初出場以来三農林省賞典および東京優駿競走(日本ダービー)を獲得するといふ未曾有の偉業を成し遂げた」

 実は同馬は、菊花賞の前に横浜農林省賞典4・5歳呼馬というレースも勝っていたので、記事ではそのことが強調されています。まさに空前の快挙。でも、それを伝えたメディアはわずかしかなかったのです。

 3冠制覇を一般紙はどう伝えたか?この話は来週も続けようと思います。

テレビ東京「ウイニング競馬」の実況を担当するフリーアナウンサー。中央だけでなく、地方、ばんえい、さらに海外にも精通する競馬通。著書には「矢野吉彦の世界競馬案内」など。

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