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種牡馬引退のプリサイスエンド(2)たくさんのプレゼントと喜びの再会

  • 2020年11月10日(火) 18時00分
第二のストーリー

種牡馬時代のプリサイスエンド(提供:Y.Hさん)


コンスタントに活躍馬を輩出した種牡馬時代


 プリサイスエンドは、1997年4月4日にアメリカで生まれた。父は日本でも供用されていたエンドスウィープで、母はPrecisely。父父はフォーティナイナーという血統だ。競走馬としてのデビューは1999年。リステッド競走のディスプレイSに優勝し、GII・カウディンSと芝のサマーSで3着。2000年には7ハロンのGIII・ベイショアSに優勝して、晴れて重賞ウィナーとなった。9戦4勝の成績を残して翌年2001年にアメリカで種牡馬入りして、2005年に日本に輸入され日高スタリオンステーションで繋養された。

「エンドスウィープの産駒が活躍していたこと、Mr.Prospector系を含むフォーティナイナー系が日本で成功していたことなどの理由で導入を決めました。ニューヨークに繋養されていましたので、車で4、5時間ほどかけて見に行ったのを今でも覚えています」と当時導入に関わった担当者は懐かしんだ。

 プリサイスエンドの父エンドスウィープは2000年に輸入されたものの、2002年に急逝したため、日本では3世代しか産駒を残すことができなかった。だがその中から秋華賞、宝塚記念、エリザベス女王杯とGI3勝のスイープトウショウ(2001年生)や、桜花賞、NHKマイルCとGI2勝のラインクラフト(2002年生)、ドバイデューティーフリー、宝塚記念、ジャパンCを制したアドマイヤムーン(2003年生)など大物を輩出。来日前の産駒には、外国産馬として日本で走ったサウスヴィグラスという活躍馬もいる。同馬は種牡馬入りしてからも数多くの活躍馬を送り出していることからも、エンドスウィープの早すぎる死は生産界にとっても大きな損失だったように思う。

 そのエンドスウィープの血を引くプリサイスエンドだけに 2005年の128頭を皮切りに、2011年まで連続して種付け頭数が100頭を超える人気を誇った。

第二のストーリー

種牡馬パンフレットには“最強サイアーラインの継承馬”(提供:Y.Hさん)


 初年度産駒は2008年にデビュー。6月22日に函館競馬場の新馬戦でコパノマユチャンが優勝して、国内で生まれたプリサイスエンド産駒の初勝利とともに、その年の新種牡馬のJRA勝利第1号でもあった。初年度産駒組からは、根岸S(GIII)や武蔵野S(GIII)を勝ったグロリアスノアをはじめ、地方競馬では4頭の重賞勝ち馬が現れ、その後も浦和桜花賞や道営記念、ノースクイーンC3連覇など地方重賞7勝のショウリダバンザイ、根岸Sを制したカフジテイクなど、JRAと地方競馬のダートの短距離路線でコンスタントに活躍馬を輩出し続けた。

 しかし日高スタリオンステーションが2015年に閉鎖され、それにともない2016年に優駿スタリオンステーションに移動して種牡馬生活を続けたが、年齢もあって徐々に受胎率が低下。同じ町内の牧場へと移動して種牡馬の継続が試みられたが、結局2020年に引退が決まり、前回記した通り認定NPO法人引退馬協会の所有馬として早来の乗馬施設を経て、筆者も関わっている新冠町のノーザンレイクで現在は過ごしている。

第二のストーリー

日高スタリオンステーションにて(提供:Y.Hさん)


 3日前までの連絡で見学可にしているのだが、日本で競走馬として走った馬ではないし、問い合わせや見学者はさほど訪れないのではないかと思っていた。ところが、引退馬協会からプリサイスエンドの繋養先が発表になった途端、プリサイスエンドの娘を乗馬として引き取っていたという方や、プリサイスエンドをずっと追いかけて牧場にも会いに行っていた方など、ファンからの問い合わせが相次ぎ、人参や生牧草(青草)が次々と送られてきた。牧場自体を見学したいと訪ねてきた方が、プリサイスエンドがいてビックリしたと同時に、ここで会えるとは! と喜んだこともあった。

 引退馬協会にプリサイスを繋いだY.Hさんも、たびたび人参をお土産に足を運んでは、カメラにその姿を収めている。プリサイスも、日高スタリオンステーション時代からの顔見知りのY.Hさんに、顔をすり寄せてきて甘えた仕草をしている。その光景を眺めながら、馬はこちらが思っている以上に人間のことを観察しているし、理解しているのだなと改めて思った。

第二のストーリー

ファンの方から届いた青草をたべるプリサイスエンド(撮影:佐々木祥恵)


 去勢の影響で痩せてはいるものの食欲旺盛で、一見したところ元気なプリサイスだが、心配な点もある。左後ろ脚に慢性化したフレグモーネがあり、特に球節あたりがかなり腫れぼったい。獣医師によると慢性化してしまうと根治は難しく、脚の太さも元には戻らないという説明だった。これからもずっと、フレグモーネとはうまく付き合っていかなければならない。そのためには脚元のケアや健康管理には、他の馬以上に気を配る必要があった。
(つづく)

※ご寄付のお願い
プリサイスエンドの預託料や医療費等の経費は、スキャンを繋養する際に立ち上げた「次の支援基金」へ寄せられたご寄付から支払われています。(引退馬協会の所有馬ですが、現在フォスターペアレント会員の募集はありません)プリサイスエンドへのご支援は「ペガサスの翼基金」で受け付けています。

▽「ペガサスの翼基金」
https://rha.or.jp/donation.html

ページを下にスクロールすると「特定の活動に寄付をする」と表示されますので、その下の「次の馬生への支援」をご覧ください。ご寄付の際には
「プリサイスエンド」あるいは「次の馬生支援」と記載してください。クレジットカードでのご寄付や、他のご寄付と一緒に送金をされる場合は「寄付金口」でも受け付けをしています。口座を分けて送金しなくてもかまいません。通信欄に「プリサイスエンド」あるいは「次の馬生支援」と記載してください。

▽認定NPO法人引退馬協会
https://rha.or.jp/index.html

▽ノーザンレイク Facebook
https://www.facebook.com/umagrooming/

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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