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プリサイスエンドの娘、GSチョッパー(3)最後に聞いた、チョッパーのいななき

  • 2020年12月08日(火) 18時00分
第二のストーリー

Yさんの愛馬、ジーエスチョッパー(提供:Yさん)


「神様、お願いだからチョッパーを連れていかないで」


 クラブでYさんの愛馬ジーエスチョッパーを担当していたJさんは、獣医に往診の連絡を入れる。それは診断された蟻洞が実はそうではなかったことを見抜いたA獣医だった。だがその時A獣医は東北地方にいた。その一方でクラブのオーナーは、車で30分ほどの所にB獣医が丁度いることをつきとめた。早く診てもらえた方が良いのではないかとクラブのオーナーが言っているのでB獣医でどうかと、再度JさんからYさんに連絡が来た。クラブにいつも出入りしている獣医ではなかったたため、Yさんは大丈夫なのかを確認はしたものの、最終的にはクラブ側にベストの選択を託した。結局A獣医を断り、B獣医の診察を受けた。

「診察後は少し落ち着いているとの連絡を受けました。夜中にも確認をしてほしいとJさんには頼んで、翌日は早い時間帯にクラブに向かいました。馬房に向かうとそこにチョッパーはいなくて、洗い場でクラブスタッフによるケアを受けていました」

 実は朝から前がきをしたり横になったりを繰り返して状態はかなり悪そうだった。クラブ側がA獣医と連絡を取ると腸捻転の可能性があるから、念のため美浦トレセンの競走馬診療所で手術を行えるC獣医に連絡を取り、手術の段取りは立てられていた。

 午後からは前日と同じB獣医が来る予定だったが、前の診療が押していたのか2時間ほど遅れての診察となった。その結果、C獣医のもとへと運んで手術することが決まった。クラブ側からはJさんともう1人のスタッフが付き添い、Yさんは自宅待機となった。腸が捻転して相当苦しい状況だったはずなのに、チョッパーは素直にしっかりと馬運車に乗り込んだ。

「でも1頭で心配だったのか、乗り込んでから数回いななきました。今思えば、これが最後のいななきでした」

 チョッパーはレッスン後におやつを貰えるのをわかっていて、Yさんが名前を呼ぶと必ずいなないたという。だがYさんが聞いたチョッパーの最後のいななきは、おやつを貰える喜びとはほど遠い悲しくも切ないいななきだった。

第二のストーリー

手術のために美浦へ。腸捻転とは思えないほどしっかりとした姿(提供:Yさん)


 チョッパーが美浦トレセン診療所に到着したのは5月17日の夕方で、手術が始まったのが19時頃だった。Yさんは付き添ったクラブスタッフ2人とラインで連絡を取り合いながら、辛く長い夜を過ごしていた。Yさんは悔いていた。

「馬を可愛がる、愛するということは人参やおやつをあげるのではなく、体調管理をきちんとしてあげることだと思っています。ですから、朝夕の検温をクラブ側にお願いしていましたし、自分が変だなと感じた点があれば担当者に必ず話をするようにしていました。それなのに疝痛を起こさせてしまい、発症した16日にはクラブに行ってあげられませんでした。自分が信頼するいつもの獣医ではなく別の獣医に診せてしまったこと、美浦への搬送まで時間を要してしまったこと、全てがオーナーである自分の責任なのだと思いました」

 真夜中、付き添ったクラブスタッフからは、腸を1mほど切除して縫っていくようだとの連絡が入った。こうして9時間弱にも及ぶ長い手術が終わった。Yさんの記録ノートには“3:53終了”となっている。

 今度は麻酔からの覚醒が待っていた。覚醒までも時間を要する。立ち上がったのは8時半だから、手術終了から4時間半が経過していた。

 その後すぐにチョッパーは、トレセン近くにあるR育成牧場へと移動し、正午頃には落ち着きを取り戻していた。YさんがR牧場に到着したのは16時半だった。疲れていたのか、まだ状態が今ひとつだったのか、チョッパーは馬房で横たわっていた。だがYさんが呼びかけると顔をもたげて振り返って応じた。

 折しもコロナ禍で、特にチョッパーが移動した先は美浦トレセン近郊の育成牧場という性質上、そこでコロナ患者が出れば競馬への出走もできなくなる可能性があった。なのでYさんも、牧場滞在時間は10分と制限があった。

「片道3時間半かけて、タクシーを牧場で待ってもらっての面会の時もありましたが、ほぼ毎日通いました。頑張る彼女に比べればこれくらい取るに足らないことでしたし、また元気になると奇跡を信じていました。

第二のストーリー

鏡に映った自分をみて…(提供:Yさん)


第二のストーリー

他の馬と勘違いしてビックリ! またこんな元気な姿を見れることを信じていたが…(提供:Yさん)


 手術を終えてからの山は翌日、それを超えたら3日、それを超えたら6日と手術をしてくださったC先生とそのお弟子さんのD先生とともにチョッパーは頑張りました」

 だが日々状態は変わりD獣医は「最悪のことも考えておいてほしい」とYさんに告げた。

「私は絶対に諦めません!と怒ったりもしました。C先生にも諦めませんと言い張っていましたが、おふたりとも1日3回、牧場に往診して精一杯の治療をして下さいました」

 5月23日、やはりYさんはチョッパーに会いに牧場を訪れた。

「元気な顔を見て帰宅してその夜にC先生と電話をしたら、38.8度の発熱があり、白血球の数が多いのが心配。抗生物質を入れたと話されていたので、一抹の不安がよぎりました」

 翌24日、Yさんは朝9時半に牧場に到着した。

「チョッパーの脱水が激しくて、私も手伝って補液を25本入れても脱水が止まらなかったのです。チョッパーはポロポロと涙を流していました。私は神様にチョッパーを連れていかないでと、どんなに頼んだことか…」

 だがYさんの願いとは裏腹に、チョッパーとの別れはすぐそこまで来ていた。

(つづく)

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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