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田原成貴さんが久々の登場

  • 2020年12月17日(木) 12時00分
 12月17日付(16日発売)の東京スポーツ1面と2面に、騎手時代「天才」「競馬界の玉三郎」と呼ばれた田原成貴さんが登場していた。

 とても懐かしく感じた。最後に会ってから20年近くになる。

 ちょっと額が広くなったように見える以外はあまり変わっていない。30代の終わりごろから白髪が目立っていたのだが、61歳になった今は綺麗に黒く染めている。身長は170センチほどと、騎手界では目立つ長身だった。体重は40キロ台後半だったはずで、写真を見る限りでは、スラリとした体形を保っているようだ。

 騎手デビュー2年目の1979年に関西リーディング、1983、84年には全国リーディングを獲得。1987年にはマックスビューティで牝馬二冠を制し、1993年には1年ぶりの実戦となったトウカイテイオーで有馬記念を勝って感動を呼んだ。1990年代半ばから後半にかけてはマヤノトップガン、フラワーパーク、ワンダーパヒューム、ファイトガリバーなどでGIを制し、1998年2月、通算8648戦1112勝で鞭を置いた。

 1999年に調教師として厩舎を開業し、2000年にはフサイチゼノンで弥生賞を制するも、2001年秋、銃刀法違反と覚醒剤取締法違反で逮捕され、調教師免許を剥奪された。

 競馬界を追われるに至った経緯に関しては擁護のしようがないが、騎手時代の実績もさることながら、例えば、ある馬の走りの性質や、レースの勝敗を分けたポイント、一流と言われる騎手のどこが上手いのかの解説などは、ものすごく頭のいい人だけに、めちゃめちゃ面白い。それを聞いたり読んだりできなくなったことは競馬ファンにとって大きな損失だとずっと思っていた。

 2000年代の初め、スポーツ誌「ナンバー」で私が聞き手となって逮捕後の成貴さんにインタビューをしたことがあったのだが、その後、また別件で逮捕されるなどして、連絡がつかなくなっていた。

 今回の東スポの記事をきっかけに、ぜひまた評論活動を再開してほしい。

 成貴さんは、クリストフ・ルメール騎手やミルコ・デムーロ騎手のどんなところを評価しているのだろうか。武豊騎手をはじめとする日本人騎手の、外国人騎手より優れているところは具体的にどんなところだと思うか。アーモンドアイやリスグラシューに代表される強い牝馬の時代はなぜ訪れたのか。自身が乗っていた名牝たちと比べて、共通しているところ、違うところは何か。牝馬の強さの引き出し方というのはあるのか──などなど、訊きたいことがたくさんある。

 まずは、来週、東スポで有馬記念の予想を披露してくれるようなので、それを楽しみにしたい。

 今週、千歳の社台ファームで取材があったので、早めに札幌に来て、転院した父の主治医との面談などをこなした。父がいる病院からもコロナの陽性者が出たので、もともと難しかった面会が、さらに厳しくなった。なお、父も主治医もPCR検査では陰性だったという。

 父の余命が月単位という見立ては以前のままだ。おそらく、今いる病院で最期のときを迎えることになる。偶然というか、そこは場所こそ移っているのだが、私が生まれた病院なのである。昔は、両親の勤務先の近くにあったという。

 当面の目標は、ほぼ寝たきりの父が楽しみにしている紅白歌合戦を自宅で見られるよう、年末年始に2泊か3泊で家に滞在させることだ。が、父の体力がそれに耐えられると医師が認めてくれるかどうか、微妙なところだろう。コロナも心配なので、本当はあまり移動させないほうがいいのだが、病院では面会が許されないので家に連れてきてほしいという親戚の意向もあって、難しい。

 先週まで札幌市内に雪はほとんどなかったのだが、週明けにまとめて降った。根雪になりかけの路面というのはひどく滑り、何度か運転中に怖い思いをした。

 仕事のほうはいわゆる年末進行で、尻を叩かれる日がつづいている。

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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