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【20歳の頃、僕は】西浦勝一調教師「引退を控えて…“馬と出会えたからいろんな人と出会えた”」/ “成人の日”特別企画

  • 2021年01月13日(水) 18時02分
ノンフィクションファイル

▲来月末に定年を控えている西浦調教師が半生を振り返る (C)PRC、netkeiba.com


今は調教師として活躍される元騎手のみなさんは若かりしジョッキー時代、どんなことを考えて日々を過ごしていたのでしょうか。1/11の成人の日に合わせて、3日連続でお送りした特別企画。最終回はカツラギエースとのコンビでジョッキー時代、日本馬初のジャパンカップ制覇を遂げた西浦勝一調教師です。

来月末に控えた定年を前に半生を振り返っていただくと、トレセンで松茸狩りをした思い出から海外競馬の話まで、話題は多岐にわたりました。

(取材・構成=大恵陽子)

デビュー後にトレセン開場、今とは全然違う当時の日常


――西浦師は高知市のご出身なんですね。

西浦勝一調教師(以下、西浦師) 生まれは長崎県の島原で、高知には中学2年生の時に転校してきました。ちょうど福永洋一先輩(福永祐一騎手の父)が馬事公苑に入所した後で、入れ違いでした。同じ潮江中学校でしたよ。

――地方競馬の高知競馬場が桟橋にあった時代ですね。お父様が高知競馬の調教師だったとか。

西浦師 黒船賞を使いに行った時に「昔競馬場があった場所はどうなっているかな?」と見に行ったんですけど、跡形がなくなっていました。

 高知で2年間、親と一緒に住んでいるうちに「自分には何もできないので、競馬場で馬乗りを目指そうかな」と思って、親に相談したところ、「中央に知り合いがいるので、そっちでジョッキーになった方がいい」と言われて、阪神競馬場に来たんです。

――まだ栗東トレセンができる前、各競馬場に厩舎が構えられていた時代ですね。戦前は師匠の靴磨きから始まった、というような話を伝え聞きますが、西浦師の頃は終戦から20年以上経っていますから、さすがにそんなこともなかったですか?

西浦師 いやいや、ありましたよ。師匠や奥さんの靴を磨いたり、風呂の薪割りもやりました。朝起きたら五右衛門風呂みたいなのにお湯を沸かして、水と混ぜて馬を洗っていました。

 僕らの世代はみんなそういうことを経験していると思いますよ。今は週に1日、休みがありますけど、騎手候補生として入った頃は休みも全然なかったです。その後、労働組合ができて、20歳くらいの時には休日ができましたね。

――休みの日は何をしていましたか?

西浦師 デビューした年の秋くらいに厩舎が阪神競馬場から栗東トレセンに移ったんですけど、街が今ほど開けていなくて街灯もなくて。その代わりね、自然がいっぱいで秋になったら松茸が取れていたんです(笑)。いま坂路がある辺りは当時、まだ施設が何もなかったですから。

――松茸! 今では考えられないですね。しかし、昔の冬はさらに寒かったことでしょう。

西浦師 当時はダウンジャケットがなかったですし、手袋という贅沢な物もなかったです。ゴーグルもなくて、目から涙が出るわ、鼻は真っ赤になるわ、耳はしもやけみたいになるわ、で(苦笑)。

 指が寒さで固まっちゃってなかなか真っ直ぐに伸びないので、調教から帰ってくる時に馬と自分の太ももの間に手を交互に入れて、その温もりでなんとか指を動かせるようにしていました。

――聞いただけで指先が冷えてきます…。服装も襟付きのシャツでないといけないなど、今とは違う部分がたくさんあったんですね。

西浦師 馴致もやっていましたよ。牧場で放牧されていた馬が1歳の10月に2トントラックみたいなのに積まれて厩舎にやって来て、ハミつけとか鞍つけとかしていました。ちょっとお腹を触ったら蹴飛ばされたりしながら、1年くらいかけて馬を作っていました。

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