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芦毛の名馬と笠松競馬

  • 2021年01月21日(木) 12時00分
 既報のように、2001年にNHKマイルカップとジャパンカップダートを制したクロフネが、今月17日、老衰のため世を去った。23歳だった。

 2019年10月24日更新の本稿で紹介したときは、マイペースで草を食べるなど、それなりに元気な姿を見せてくれていた。動きは確かに「おじいさん」という感じで、たてがみまで白くなってはいたものの、ヨボヨボではなかった。が、肝機能が低下していたこともあり、その年はまったく種付けをせず、翌2020年に種牡馬引退が発表された。つまり、現2歳世代がラストクロップとなるわけだ。

 クロフネは、同い年にアグネスタキオン、ジャングルポケット、マンハッタンカフェがいる「最強世代」の一頭だった。この馬が3歳だった2001年、初めて外国産馬にダービーが開放された。その「開放元年」のダービーこそ5着に敗れたが、雄大な芦毛の馬体と伸びやかなストライドで、私たちの目を惹きつけた。

 武蔵野ステークスとジャパンカップダートで見せた圧巻の走りは忘れられない。

 天国で安らかに眠ってほしい。

 さて、笠松競馬に関する、嫌なニュースが世間を騒がせている。

 国税局から申告漏れを指摘されたことがまず報じられたのは、その「収入」の中身に切り込んでいくための布石だったのだろう。そう、笠松の騎手や調教師たちによる馬券購入問題である。

 再発を防ぐためには全容の解明が必要になってくる。なぜ、関係者が悪事に手を染めるようになったのか。それをあぶり出したうえで、完全に取り除かなければ、また同じことが起きる。

 そうして、健全な状態で開催をリスタートさせなければ、フェアに戦いつづけてきた関係者までもが路頭に迷ってしまう。

 笠松競馬場は、白い怪物と呼ばれたオグリキャップがデビューした競馬場である。クロフネの死につづいて、こんな形で芦毛の名馬の姿を思い出すことになるなんて、寂しすぎる。

 報道によると、専門家を中心とする第三者委員会を立ち上げ、事実関係を調査するという。

 そうした委員会などに、私は一度も呼ばれたことがない。「専門家」ではないからだろうか。じゃあ、どういう人が専門家なのかと訊いてみたくなるが、呼ばれないものは仕方がない。私は笠松競馬の関係者と個人的な付き合いがないので、立ち位置としてはちょうどいいと思うのだが、ただ成り行きを見守るしかないのだろうか。

 しつこいようだが、私がそうした「偉い人」が集まる委員会に呼ばれないのは、専門的な知識が不足しているからというだけではなく、見た目に貫祿がないからではないか、と、ふと思った。

 今、私は必死になって、薄くなった頭頂部の毛を取り戻そうとしている。が、ひょっとしたら、自然の進行に任せ、そのまんま東さんのような髪形にしたほうが貫祿が出て、偉そうに見えるのかもしれない。

 前回、このひと月ほど発毛が止まっていると書いた。原因はストレスだと思っていたのだが、もうひとつ思い当たることがあった。それは、11月一杯くらいで、イワシの缶詰を毎日ひと缶食べるのをやめてしまったことだ。EPAの摂取量が落ちたがゆえに、発毛のスピードも落ちたのかもしれない。

 EPAを摂るか、貫祿を取るか。もう少し考えてみたい。

 馬産地では、もう仔馬が生まれはじめている。サラブレッドの誕生というのは、競馬が開催されて馬券が売られ、賞金が支払われるという前提のもとに成立しているサイクルの一部である。

 そう、健全な開催と、放牧地で遊ぶ愛らしい仔馬たちとはリンクしているのだ。

 笠松の問題の、一日も早い全容解明を待ちたい。

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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