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笠松競馬の不祥事

  • 2021年01月21日(木) 18時00分

徹底的な真相解明を望みたい


 笠松競馬に所属する騎手3人と調教師1人が、免許更新できずに廃業に至ったのは、確か昨年8月のことではなかったか。その際に、これら関係者が、内部情報を共有して知人や家族名義で馬券を購入していた嫌疑による処分との報道があったことは記憶に新しい。

 それがまた今回、更に規模を拡大する形で、約20人にも上る関係者に、同様の疑惑が浮上した。名古屋国税局からこれら関係者に対し、約3億円もの申告漏れの指摘があったことが明らかになったというもの。

 笠松競馬は、現在、所属騎手15人、調教師19人。昨年11月1日現在の在厩頭数は489頭。全国最小クラスの規模の競馬場である。2020年度の開催日数は93日間。馬券の総売り上げは約350億円。1日平均では約3億7639万円。笠松もこのところの地方競馬の好調な売り上げ回復の波を受けて、業績を伸ばしてきた。年間の総売り上げ350億円というのは、石川県(金沢)の約268億円に次いで低い数字だが、10年前の2010年度には、104日間開催、年間の総売り上げ116億円、1日平均で約1億1172万円に過ぎなかったことからすれば、この10年間で3倍以上の売り上げにまで復活したことが見て取れる。

 笠松は、過去に深刻な売り上げ低下によって存廃問題が浮上し、「首の皮一枚」で存続が決まった経緯がある。当時の梶原拓岐阜県知事の鶴の一声で辛くも廃止を免れた、と記憶しているが、その際に、存続運動の原動力となったのが「笠松愛馬会」なる厩舎関係者の夫人たちで結成する女性陣であった。代表を務めていたのは故・後藤保調教師夫人の後藤美千代さん。存続運動が熱を帯びる中、2004年秋に、笠松町公民館で開催されたシンポジウムには、不肖私もパネラーの1人として出席させて頂いたことも懐かしい思い出だ。

 笠松競馬場にはその時、初めて訪れた。木曽川の河川敷を利用した狭い敷地に、昭和テイスト満載の古いスタンドが並ぶ、風情ある競馬場であった。ここからオグリキャップがデビューし中央競馬の大舞台に羽ばたいて行ったのか、と思うと、ある種の感慨を覚えずにはいられなかった。そのオグリキャップが引退式を行うためにこのデビューの地に里帰りしたのは1991年1月15日のことだったか。空前の競馬ブームの下、怪物オグリの姿を一目見ようと、この競馬場には、2万5千人ものファンが押し寄せ、文字通り身動きすらままならないほどの大混雑になった、と伝えられる。

生産地便り

オグリは東京・京都・笠松の3場で引退式を行った(写真は京都での引退式風景)


 オグリキャップやライデンリーダーなど、笠松は、時として思いがけない形で名馬を輩出する不思議な競馬場でもあった。近年、その笠松から全国区の知名度を誇るような名馬は出ていないものの、また突然、びっくりするような強い馬が出現するかもしれない、と密かに期待していた。何か奥のありそうな、魅力ある競馬場であった。

生産地便り

「芦毛の怪物」「平成三強」等と呼ばれたオグリは全国に笠松の存在を知らしめた


 しかし、今回の不祥事は、いささか大きな痛手である。下手をすれば、また存廃問題に発展しかねないほどの危うさを感じる。昨年、騎手3人と調教師1人を廃業させる形で幕引きを図ったのが、そうは簡単に済ませられなかった、ということだ。所属する現役の騎手や調教師も、申告漏れの指摘された20人の中に入っているとも報じられている。今後、どこまで真相解明が進むのか、注視するしかないのだが、何より残念なのは、こんなつまらないことから、また地方競馬離れが起こってしまうのではないか、ということ。

 信頼回復への道のりは容易なことではないが、ここで膿を出し切らない限り、また同じような不祥事が今後も繰り返されるだろう。地方競馬のイメージを失墜させる大事件と言わざるを得ず、ひじょうに深刻な事態である。主催者による徹底的な真相解明を望みたい。

岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。

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