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繋がった縁を大切に、自分ができることを精一杯…馬好きな呉服屋さん(3)

  • 2021年02月16日(火) 18時00分
第二のストーリー

馬事学院で過ごすエースティターン(提供:我妻登鷹さん)


“馬を大切にする”絶対に大切なこと


 元競走馬で我妻さんの愛馬となったエースティターンは、父ワークフォース、母トリプルミッション、その父ハービンジャーという血統で、北海道千歳市の社台ファームで2016年5月11日に生まれた。競走馬風に言うと明け5歳とまだ若い。母系を紐解けば、曾祖母のトリプルワウはカナダのG1(シリーンS・CAN1)など14勝を挙げ、その娘アリワウはカナダの年度代表馬で、母トリプルミッションの半弟にエプソムCを勝ったダイワキャグニーがいる。

 そのような血統背景を持つエースティターンは、(有)オート・エース(代表・渋谷陽さん)名義で、2018年8月から2019年4月までの間、大井競馬で9戦したものの残念ながら未勝利に終わったが、1回目で紹介した通り、オーナーの渋谷さんから我妻さんへと譲渡された。大井競馬場から預託先の千葉県の馬事学院に到着したエースティターンだが、初めての環境の中でも落ち着いていた。

「すぐに放牧してくれたのですが、馬事学院の生徒さんたちとずっと遊んでいて、人懐っこい面を見せていました。去勢をまだしていなくても、暴れたり馬っけを出すこともなかったですし、僕でも曳き馬ができました。走るのは遅かったかもしれないですけど、とても扱いやすい馬ですね。馬も環境の変化がわかると思いますし、安住の地を見つけたように感じたのではないかなと…。そんなエースの様子を見てホッとしましたね」

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環境が変わっても落ち着いていたエースに“ホッとした”(提供:我妻登鷹さん)


 馬事学院で過ごし始めて1か月後に去勢手術が行われた。生徒の1人がエースティターンの担当になって、乗用馬になるべく練習が始まった。

「僕は最初、障害を飛ばせたり競技会に出なくても良いから、亡くなるまで面倒をみようと考えていたのですが、セカンドキャリアで活躍する姿を元のオーナーさんに見せるのも1つの仕事だし、大人しくて競技馬としてセンスがあると馬事学院代表の野口さんにおっしゃっていただいたので、競技会に出るための準備を始めることになりました。実際練習が進むとやはりセンスが良かったようですし、それを見出してもらったのは野口さんのおかげですね」

 エースティターンにはだいたい月に1回、馬事学院に会いに行き、競技会には時間の許す限り応援に足を運んでいる。

「プロではないのであまりわからないのですけど、うまく育ててくれたこともあって飛越は上手な方なのかなと思っています。あと元のオーナーの渋谷さんには、今日も元気にしていますよ、今日は大会に出ていますなどラインを送るのですが、それも1つの僕の役割なのかなと思っています。乗馬になると競走馬名と別の馬名にするケースもありますけど、エースティターンの馬名は変更するつもりはありません」

 担当の生徒と二人三脚で頑張ってきたエースティターンは、やがて競技会デビューを果たす。

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競技会で素晴らしい飛越を披露するエース(提供:我妻登鷹さん)


「初めて競技会に出たのは、去年の夏頃だったと思います。以来、出場可能な競技会があれば、担当の生徒さんが乗って毎回参加してます。去年の担当の生徒さんは今年卒業で、JRA競馬学校の厩務員課程に合格したんですよ。いつもエースに会いに行くと、その生徒さんが曳いてきて洗い場に繋いでくれるのですけど、やっぱりその子にずっと甘えていてなついているんです。預けるのは乗馬クラブでも良かったのですが、これからも馬の世界で生きていく生徒さんが面倒をみてくれているというのは、馬にとっても幸せだと思いますし、安心ですよね。元々穏やかな性格だったのが、妻でも曳けたようにさらに穏やかになったと感じますからね」

 そして昨年12月の競技会では見事優勝を果たした。

 全く馬や競馬に興味のなかった両親にも変化があった。

「私の両親は引退した元競走馬のエースが違う道で活躍している姿を見て、とても喜んでいます。母は試合に応援に来たりもしていましたしね。父も地方競馬の馬主免許をこの間取りました」

 我妻さんもさぞ競走馬の馬主になりたいのではと思ったが、そのつもりは全くないという。

「僕が馬主になってしまうと、自分で持った馬を全部引き取りたくなってしまいますからね。そうなると破産してしまいます(笑)」

 縁のあった馬には精一杯愛情を注ぎ、自分ができることをする。その枠を超えてしまうと、馬も人も不幸になる。引退馬支援をする上で、これはとても重要だ。

 我妻さんはTwitterやfacebookなど、SNSも活用している。

「引退した競走馬をセカンドキャリアで生かすことができるということを、SNSを使ってどんどん伝えていきたいと思います。全頭を生かすのは難しいですけど、少しずつ振り向いてくれる人を増やしていければ良いですね」

 さらには自らがこれは! とピンと来た、馬と関わる人々にも積極的に会いに行く。それがきっかけで本業の呉服屋の仕事も広がりを見せ、東京銀座に出店したのも馬が繋いだ縁だった。

「ポニーのエピやクロエ、エースがいなければ今の自分はいないので、本当に馬たちには感謝しています」

 愛馬を3頭所有し、その馬たちとしっかり向き合うという経験こそが、我妻さんの行動力の源にもなっているようだ。

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馬と向き合うことが行動力の源に(提供:我妻登鷹さん)


「知り合いの生産牧場の社長さんが、毎日馬頭観音に手を合わせてから仕事を始めるんですよ。その方は僕らは馬に食べさせてもらっていますからと常々仰っているんですよね。競馬はギャンブルですし、馬は経済動物とも言われていますけど、馬を大切にするのは絶対に大切なことだと思いますし、その社長さんのような心意気でやっていきたいですね。そうすれば馬が背中を押してくれるのではないかなと思っています」

(了)



▽ IWAKIYA HP
https://www.iwakiya.net/

▽ 乗馬倶楽部銀座内にオープンした きもの銀座いわきや
https://www.iwakiya.net/information/view/260

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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