スマートフォン版へ

第2回サウジCナイトの舞台裏

  • 2021年02月24日(水) 12時00分

当日に起きた2つの“想定外の事態”


 先週末、日本時間では日曜日の未明という時間帯に「サウジC生中継」をご視聴いただいた皆様に、遅ればせながら、心からの御礼を申し上げたい。同時に、実況席廻りについて、映像をお届けすることが出来ず、音声のみの放送となった不具合を、お詫び申し上げたいと思う。

 その辺りの顛末を含めて、20日(土曜日)にサウジアラビアの首都リヤドにあるキングアブドゥルアジーズ競馬場で開催された、第2回サウジCナイトの舞台裏の一部を御紹介させていただきたい。

 スタジオ以外が制作場所となる、いわゆる「中継モノ」には、様々な制作スタイルがある。通信手段が変革し大きな進歩を見た昨今では、なおさらだ。まず前提から申し上げれば、新型コロナウイルスの感染により厳しい渡航制限が設けられている中、グリーンチャンネルの中継に関わるべく現場に赴いたのは、筆者ひとりであった。

 1年前の第1回サウジCでは私以外に、ディレクターさんがいて、カメラマンさんがいて、映像・音声の送り出しを含む技術関係の担当者さんがいて、チームとして力を合わせて番組を制作したことと比較すれば、今年の現場はなんとも心もとない布陣で、それゆえ、今年は中継スタイルとしては最も簡素な手段をとらざるを得なくなった。

 具体的には、レース、パドック、馬場入場など、現場の主だった映像は、地元局が制作する国際映像を東京のスタジオで受け、これを放送する。昨年であれば、日本調教馬や日本人関係者をフォローする独自のカメラがあって、そうした映像を国際映像とは別に日本に送り、東京でミキシングして放送したのだが、今年はこれを割愛することになった。

 現場出しするのは、実況席廻りの映像と音声のみ。これを、SkypeあるいはZoomといった通信手段で送り出し、国際映像や東京のスタジオの映像とともに放送するというのが、当初からの計画だった。解説者である私自身と、ゲストで出ていただく出走関係者、それぞれが使用するカメラやマイクのセッティング程度なら、私ひとりでもなんとか整えることが出来るのである。

 ちなみにグリーンチャンネルの実況席は、パドックの4コーナー寄りに設えられた、高さ1メートルほどのプラットフォームの上という、絶好のポジションにあった。主催者や国際映像の発局と事前に打ち合わせをし、実況席には、電源、WifiではなくWiredと称される有線のインターネット回線、国際映像を映し出すモニター、さらには、机や椅子といった機材が設置されていた。

 前日(19日・金曜日)のリハーサルセッションでは、こうした機器がつつがなく作動し、当初予定にそった中継を行う準備が整っていた。ところが当日になって、大きく分けて2つの、想定外の事態が勃発した。

 1つは、天候である。午前中からパラパラと降っていた雨が、午後になると本降りになったのだ。実況席には屋根がなく、雨ざらしの状態にあった。さらに、日中の最高気温が11度という、異例の低温となったのだ。ここのところはおおいに反省しなければならないのだが、降雨や寒さに対する備えは、正直に言って皆無だった。

 筆者が現地入りしたのは当該週の月曜日だったが、週中から、土曜日の午前10時頃から午後1時頃まで、降水確率60%という予報が出てはいた。従って、平時であればその段階から、機材を覆うビニールシートや、厚手のコートなど、現地調達で雨や寒さへの備えを整えるところなのだが、実情はそれもままならなかった。ロックダウンのため、出走馬関係者や報道陣は、競馬場に出向く以外は原則としてホテルの部屋で過ごすという「バブル」の状態におかれており、街中に買い出しに行くことが出来なかったのである。

 ホテル内の売店で傘を売っていたのは、思いがけぬ僥倖で、これを3本購買。シート代わりになる雨合羽を主催者に用意してもらい、機材を濡らさずにすむ算段を何とか整え、手持ちの下着を重ね着することで防寒対策とした。

 実際には午後1時を過ぎても雨はやまず、むしろ雨脚が強くなるばかりで、おおいに難儀をしながらも、なんとか実況席廻りのセッティングを終えたのだが…。もう1つの想定外の事態が起きたのが、放送開始を3時間半後に控えた、現地の午後4時頃だった。実況席に引き込んだ有線のインターネット回線が、突如として遮断されたのだ。実況席のみならず、プレスセンターを含めた競馬場内のほぼ全域で、有線だけではなく無線の回線も落ちてしまい、各国から集まったメディアのメンバーも、これには顔色を失うことになった。

 ネット回線がなくては、実況席から映像・音声を送り出すことは不可能だ。現地技術担当者が復旧に向けて努力してくれたのだが、残念ながら放送開始時刻を迎えても復旧することはなかった。そういうわけで、最後の手段として、現地実況席からは音声のみを、私個人の携帯電話で送り出すという、恐ろしく原始的な方法で対応せざるをえないことになった。

 幸いにして、放送が始まる頃には雨も上がり、坂井瑠星騎手や藤田菜七子騎手には予定通りに実況席までご足労ねがい、私の携帯をつかって喋っていただくという手段で、お声のみの御出演をいただいたという次第である。難儀なことこの上ない放送となったが、救いとなったのが、ピンクカメハメハによるサウジダービー制覇、コパノキッキングとマテラスカイによるリヤドダートスプリントの1・2着独占という、日本馬の好成績だったことは言うまでもない。

 改めて記せば、出走馬関係者の皆様も、1週間以上にわたって、バブルという厳しい居住空間におかれていた。そんな環境の中で残した好結果だけに、間近に見ていた筆者は胸が熱くなった。日本調教馬が、芝ではなくダートの国際競走でこれだけの成績を挙げたことは、非常に大きな意義があると思う。以上が、寒くて熱かった、第2回サウジCナイトを巡る顛末の一部である。

 1年以上に及んだコロナ禍も、ようやく終息への道筋が見え始めて来た今、渡航制限が解除され、日本馬による海外遠征が再び活発化する時が1日も早く来ることを、切に願う。同時に、今後も現場からの中継に関わり続けたいという思いが、さらに強くなった自分を意識している。

このコラムをお気に入り登録する

このコラムをお気に入り登録する

お気に入り登録済み

1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

バックナンバー

新着コラム

アクセスランキング

注目数ランキング