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アブクマポーロの思い出・後編

  • 2021年03月02日(火) 18時00分

地方の両雄決着に沸いた東京大賞典


 98年6歳時、マイルチャンピオンシップ南部杯で3着に敗れたアブクマポーロだったが、結果的にこの年、勝てなかったのはこの1戦だけ。仕切り直しとなった10月の南関東重賞・グランドチャンピオン2000は、単勝110円の圧倒的に人気で完勝。そして次に臨んだのが、前年までの2800mから2000mに距離短縮された東京大賞典だった。

 今となっては東京大賞典の2000mに違和感がないどころか当たり前。しかし当時の地方競馬にはまだ“大レース=長距離”という意識は強かった。東京大賞典の距離短縮という噂は前年からあり、「2400か、2600か」という想像をしていた人も少なくなく、それゆえ2000mという一気の距離短縮には驚いた記憶がある。

 初めて2000mが舞台となった東京大賞典には、岩手からメイセイオペラも遠征。アブクマポーロとの対戦では、川崎記念4着、帝王賞3着、そして南部杯で1着と、この1年での充実ぶりは間違いなく、中央の一線級を交えて、地方の2強が雌雄を決する一戦となった。

 3番手につけていたメイセイオペラが、直線残り200mあたりで先頭に立ちかけたところ、道中6番手の外目からいつの間にか内に入れ、馬群をさばいてきたアブクマポーロが、並ぶまもなく突き抜けての完勝。鞍上の石崎隆之騎手はゴールの瞬間、左手を振り下ろした。石崎騎手のガッツポーズなどそれまで見たことがなく、おそらくこのときが最初で最後だったのではないか。

東京大賞典ゴール前、左手を振り下ろした石崎騎手(C)netkeiba.com、撮影:高橋正和


 メイセイオペラは2馬身半差で2着。コンサートボーイが3/4馬身差まで迫って3着。地方のGI馬が東京大賞典で3着まで独占。アブクマポーロの単勝は180円。メイセイオペラとの馬連複は340円(当時3連複・3連単はまだなかった)。中央馬が圧倒的にレベルアップした今となっては、夢のような決着だった。

 年が明け、メイセイオペラはフェブラリーSを勝利。今に至るまで唯一、地方馬によるJRAGI制覇という快挙だった。

 この年のフェブラリーSは1月31日の実施で、アブクマポーロが出走した川崎記念は、その3日後の2月3日。ここでも単勝110円のアブクマポーロが、キョウトシチーに2馬身半差をつける完勝。わずか4日の間に、地方競馬の両雄が並び立った。

 実はこの川崎記念には、メイセイオペラの菅原勲騎手がお忍びで観戦に来ていた。「お忍びで」というのは、フェブラリーSを勝ったことで“時の人”になっていたから。それは一般ファンに対してはもちろんのこと、関係者やマスコミに対しても気づかれないような“お忍び”だった。来ているとわかれば、たちまちマスコミに囲まれてしまう。メイセイオペラによるフェブラリーS制覇というのは、地方競馬の関係者にとってそれほどの出来事だった。

 それでも僕は川崎競馬場を後にする間際の菅原勲騎手と話をするタイミングを得た。そこでの一言が、今でもはっきりと記憶に残っている。

「(フェブラリーSを勝ったあとは)もうアブクマポーロには負けねえ、と思ったけど、今日のレースを見たら、やっぱりアブクマのほうが強ぇかなあ」

 アブクマポーロは、続いて地元のダイオライト記念を単勝元返しで勝利。7歳のこの年も、快進撃はまだまだ続くものと思われた。しかしその後、馬房内で左後脚を捻挫。復帰に向けて治療が施されたが、完治には時間がかかるとの判断で、11月15日に引退を発表。19日には船橋競馬場で引退セレモニーが行われた。

 生涯収得賞金8億2009万円は、当時の地方所属馬のレコード。中央の東海ウインターSも含めダートグレード9勝。結果的に、ホクトベガの交流重賞10勝という記録を更新とはならなかったのは残念だった。

 種牡馬になったアブクマポーロは、種付け初年度の2000年こそ46頭と交配して翌01年には29頭の産駒が血統登録されたが、その後は12頭、7頭、3頭、そして05年に誕生した1頭が最後の産駒となった。産駒の重賞勝ちはなく、初年度産駒のギャランティビートが園田・楠賞2着というのが、産駒唯一の重賞実績だった。

 交流競走が充実したことでダート競馬も徐々に注目されるようになってはいたが、ダート馬はまだまだ不遇の時代。よほどの活躍馬でも種牡馬になること自体が少なく、なったとしても良質の繁殖牝馬を集めることは難しかった。

 あれから20年。ゴールドアリュールやサウスヴィグラスに代表されるように、日本のダートで活躍した馬が、種牡馬となって多くの活躍馬を出す時代になった。ゴールドアリュールに至ってはその産駒がすでに種牡馬として活躍をはじめている。中央の活躍馬だけでなく、地方出身のフリオーソも種牡馬として目覚ましい活躍をしていることは、中央と地方の垣根を取り払い、交流を進めた大きな成果といえる。

1964年生まれ。グリーンチャンネル『地・中・海ケイバモード』解説。NAR公式サイト『ウェブハロン』、『優駿』、『週刊競馬ブック』等で記事を執筆。ドバイ、ブリーダーズC、シンガポール、香港などの国際レースにも毎年足を運ぶ。

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