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赤パンツにお清めの塩!? 騎手たちの願掛けの世界

  • 2021年03月09日(火) 18時00分
 カワカミプリンセスやホッコータルマエなどでGIを制覇し、先月末で引退された西浦勝一調教師。西浦厩舎の馬はみな、レース前に脚元を塩で清め、お尻に盛り塩して勝負に向かっていました。そこにはきっと、人馬の無事を祈る思いが込められていたのでしょう。

 レース前の“ルーチン”や“願掛け”というのは各人に存在するもので、あるジョッキー親子は馬頭観音の前を通る時は必ず、車の中からでも手を合わせるとか。そんな願掛けにまつわる「ちょっと馬ニアックな世界」を覗いてみましょう。

パドックに向かう道にお清めの塩があった福山競馬場


 一昨年の12月、阪神競馬場でパドックを見ていると、馬のお尻に薄っすらと白い粉がかかっていました。

「もしかして?」と思い、週明けの栗東トレセンで西浦勝一調教師(先月末で引退)に聞いてみると、「そう、盛り塩だよ。うちの厩舎は全頭、レースに向かう前に脚元を塩で清めて、お尻に盛り塩をするんです。パドックを出て行く頃には盛り塩は崩れちゃっていますけどね」とのこと。

馬ニアックな世界

▲管理する馬には塩のお清めを欠かさなかった西浦勝一元調教師


 競走馬は500kg前後の体を4本の脚で支え、レースでトップスピードともなれば時速70kmに達するといいます。細い脚への負担は大きく、テンポイントやサイレンススズカなど悲しい事故も競馬の歴史の1ページに記されています。

 無事にレースを終えられるように騎手や厩舎関係者は最善を尽くしますし、馬場管理の技術も年々進歩していますが、それでも避けられないのがレース中の事故。だからこそ、戦いの場に送り出す前に塩で清めて、無事を祈るのでしょう。

 地方競馬では、馬だけでなくジョッキー自身も塩で清める習慣があるようです。

馬ニアックな世界

▲ジョッキー自身も塩で清める習慣があることを教えてくれたのは平松徳彦調教師(左)


「昔、遠征で福山競馬場(広島県、廃止)に行ったらね、パドックに向かう道に塩が置いてあって、ジョッキーたちが自分の体に振って厄払いをしとったよ」

 そう教えてくれたのはジョッキー時代、2578勝を挙げた平松徳彦調教師(園田・姫路)。アラブのサンバコールで福山の西日本アラブダービーに遠征し、優勝もしています。

「園田や姫路にはそんな風に塩は置いていなかったけど、昔は馬の脚元を塩で清めていたんだよ。今はやっている人もほとんどいないんとちゃうかなぁ。騎手をしていた時、落馬したら塩を振ったけどね」

 落馬は自身の不注意によることもあれば、前の馬が転倒したのを避けきれなかったなど、レースの流れに左右されることもあります。だからでしょう、園田・姫路リーディングの吉村智洋騎手も

「落ちた時は縁起が悪いので、その時に使っていた鞍やヘルメット、自分自身に塩をまきます」

 と話します。

馬ニアックな世界

▲現役リーディングの吉村智洋騎手も塩で清めることがあるという


「あと、健康祈願の御守りをプロテクターに着けています。やっているのはそれくらい。どちらの足から靴を履く、みたいな験担ぎはしないですし、あえて“ルーチン”で言えば、ストレッチ。股関や足、腕周りをこれでもかってくらいに伸ばします。朝、調教に乗っていても、レースとはまた違いますから、装鞍の2時間前に起きて、お風呂で汗取りをしつつストレッチをして、装鞍所とパドックの控室でもストレッチをします。それぞれでやるストレッチは違います。体を温めておかないと、ケガにつながりますから」

 入念なストレッチのおかげでしょうか、吉村騎手は落馬することはあっても、大怪我は少ないように感じます。

赤いパンツを履いていた木村健 元騎手


 同じくレース前の験担ぎはやらない、と話したのは2014年地方全国リーディングの田中学騎手(園田・姫路)。

「験担ぎを決めていると、逆にやらなかったら気持ち悪いでしょ?だから、あえてやらないようにしています。あ、でも……!」

 と何かを思い出した田中騎手。

「馬頭さんにはレース前には必ず手を合わせます」

 “馬頭さん”とは、馬頭観音のこと。JRAの競馬場やトレセンなどに祀られていて、地方競馬でも園田・姫路競馬のトレセンである西脇馬事公苑の入り口に馬頭観音はあります。

「調整ルームに入る前の夕方にいつも手を合わせています。それと、西脇から競馬場への送迎バスの中からも、馬頭さんの前を通る時に窓を開けて手を合わせています。遠征に出かける時もそうですね」

 私たちファンからすればジョッキーは花形ですが、ジョッキーにとっては「馬がいてこそ」という気持ちが強いのだと、取材をするたびに感じさせられます。田中騎手の「手を合わせる」という行動もそれを表しているでしょうし、父でありジョッキー時代は“園田の帝王”と呼ばれた田中道夫調教師の信念も受け継いでいるのかもしれません。

馬ニアックな世界

▲「馬がいてこそ」の精神を受け継いだ田中親子(提供:兵庫県競馬組合)


 父・田中調教師はこう話します。

「私も馬頭さんの前を通る時はいつも頭を下げますね。車の中からでもそうします。神戸の馬頭観音さんのお札を家に祀っていて、毎日ロウソクとお線香を立てて、お花も毎週新しいのを飾っています。もうずっと夫婦でやっていて、(息子の)学と厩舎の馬の安全を祈っています」

 また、パワフルな追いっぷりでジョッキー時代は人気を博した木村健調教師は

「ジョッキーの時はいつも赤いパンツを履いとったね!だから、雨の日は透けとったんよ(笑)」

 と豪快に笑います。続けて

「厩舎を開業後、お世話になっている馬主さんが大きな石を持ってきてくださって、厩舎で金色の布の上に飾って、いつも触っています。運気を呼ぶ石だそうです」

 と、最近の願掛けを話してくれました。

馬ニアックな世界

▲ジョッキー時代はいつも赤いパンツを履いていたという木村健調教師


 どの騎手も調教師も、レースに臨むまではありとあらゆる最善を尽くします。しかし、レースは生き物であり、水物。最善を尽くしたからこそ、最後は願掛けをし、背筋を伸ばし、最も良い結果となるよう願うのでしょう。

 勝負の世界に生きる人たちの「ちょっと馬ニアックな願掛けの世界」には、そんな思いが込められていました。

競馬リポーター。競馬番組のほか、UMAJOセミナー講師やイベントMCも務める。『優駿』『週刊競馬ブック』『Club JRA-Net CAFEブログ』などを執筆。小学5年生からJRAと地方競馬の二刀流。神戸市出身、ホームグラウンドは阪神・園田・栗東。特技は寝ることと馬名しりとり。

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