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東日本大震災から10年

  • 2021年03月11日(木) 12時00分
 東日本大震災が発生してから10年の月日が流れた。

 以前も書いたように、「節目」だとか「区切り」というのは、渦中にいない人間の都合で使われる言葉である。が、誰にとっても、立ち止まって振り返る契機になることは間違いない。

 2011年3月11日までの10年間と、あの日からの10年間とでは、ものの見方や考え方が大きく変わったという人は少なくないだろう。

 私もそのひとりだ。何を隠そう、この「熱視点」は、震災で行き場をなくした被災馬や、被災馬取材を通じて知り合った人々、そのとき訪ねた土地などについて何らかの形で記録に残したいと思い、当時の編集チーフに私からプレゼンして連載が始まったのだった。

 福島の浜通りに集中していた被災馬の多くが元競走馬だった。震災を機に、引退馬協会などの活動が注目され、それが、ここ数年角居勝彦元調教師や福永祐一騎手らがしてきたような、引退馬の余生への関わりにつながったと言える。

 震災から2週間ほどしか経っていなかった3月26日、ヴィクトワールピサがドバイワールドカップを制し、2着にトランセンドが来て、日本馬の1-2フィニッシュとなった。砂漠の地で汗まみれになって聴いた君が代の調べを、私は一生忘れない。

 そのヴィクトワールピサなどの父として知られるネオユニヴァースが3月8日、種付け中の事故で死亡した。21歳だった。前週世を去ったジャングルポケットより2歳下の二冠馬である。

 ネオが旅立った日、東京・新橋のGateJ.でグリーンチャンネル「草野仁のGateJ.プラス」の収録が行われた。

 草野さんがメインキャスターをつとめ、毎回異なるゲストを招いて公開収録(昨年から無観客)をするこの番組の放送がスタートしたのも2011年の3月だった。当初は「草野仁のスタジオスタジオGateJ.」という番組名で、2年目の春、馬事文化賞受賞者として私もゲストとして呼ばれた。

 今回は、番組10周年記念の特別編として、2011年から15年までの前半部分は私、16年から20年までの後半部分は小島友実さんをゲストとし、過去のVTRを見ながら、草野さんやアシスタントの津島亜由子さんと振り返っていく、というものだった。

 9年前の自分のVTRに、背後のモニターを見ようと振り返るシーンがあった。頭頂部が映ったのでギクリとしたが、まだフサフサだった。なお、1回目の放送予定は、4月1日の午後9時半からとなっている。

 震災からさらに遡ること21年。私が初めて海外の競馬場を訪ねたのは1990年夏のことだった。行き先は、その前年、武豊騎手が海外初騎乗と初勝利を果たした、アメリカ・イリノイ州のアーリントン国際競馬場(当時の名称)であった。

 現在の名称はアーリントンパーク競馬場なのだが、その名物レースでもあるアーリントンミリオンステークスが違う名称となり、同競馬場の廃止の可能性も出てきている――というニュースを見て、あらためて時の流れを感じた。

 初めて訪ねてから毎年、夏になると武騎手のアーリントン遠征に同行した。

 それがやがて、年末年始、同国西海岸のサンタアニタパーク競馬場遠征に変わり、2000年には武騎手が同地に長期滞在するに至った。

 当時、世界最高レベルのトップジョッキーの激戦区と言われていた「南カリフォルニアサーキット」の3場、サンタアニタパーク競馬場とハリウッドパーク競馬場、そしてデルマー競馬場のうち、ハリウッドパーク競馬場は廃止となってしまった。

 海外初勝利を挙げたとき20歳だった武騎手は、今月、52歳になる。

 いろいろなものが変わって当然である。

 さて、JRAの騎手、調教師、調教助手、厩務員ら165人が新型コロナウイルス対策の持続化給付金を不適切に受給した疑いがある問題は、これからまだ動きがありそうだ。

 媒体によっては「不正受給」ではなく「不適切受給」としており、今回のほとんどのケースは後者のほうがマッチするように思うので、ここでも「不適切」としたい。報道にあるように、「仕掛け人」とも言える有力者による大がかりな勧誘があったのなら、断り切れずに受給した関係者もいただろうから、同情の余地がないわけではない。とはいっても、立派な大人なのだし、今の時代、誰のためのどんな制度なのかスマホで簡単に調べることができるのだから、知らなかったでは済まされない。

 これだけ人数が多くなったのに、まったく実名が明かされていないことが、余計な憶測を呼んでいる。当たり前だが、誰がやったかを明らかにすることは、誰がやっていないかを明らかにすることでもある。

 制度が始まったばかりの昨春の時点でも、JRAの売上げは落ちてはいなかったが、まだまだ先行きに不透明感があった。そのころに申請して受給したあと、「やはり自分は受給の適格者ではない」と早い時期(昨年中くらい)に思い直して返還した人もいるのではないか。そういう人と、昨秋、調教師会から注意喚起がなされたあとに申請した人を同列に扱うべきではないように思う。

 ひとつ確かなのは、この一件で、競馬のイメージがものすごく悪くなった、ということだ。責任を問うとしたら、膨大な時間と金をかけて築いてきたイメージを毀損したことに対して、ということになるのだろうが、仕掛け人を吊るし上げたところで、堕ちたイメージを引き上げられるわけではない。

 ファンのひとりとして、嫌な思いをしたくないので、不適切受給をした人の実名を見たくないという気持ちも、正直ある。

 しかし、「返したからそれでよし」と、世間は思ってくれない。競馬界には自浄作用があることを示さなければならないだろう。

 もうしばらく、動きを見守りたい。

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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