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【3.11―あの日から10年】「日本のために勝ちたい」ミルコ・デムーロ騎手 特別コラム

  • 2021年03月11日(木) 12時01分
「Road to No.1」

▲多くの日本人に希望を与えたドバイワールドカップを振り返る (撮影:高橋正和)


2011年3月11日14時46分、東北地方を中心に日本列島を襲ったマグニチュード9の大地震。日本周辺における観測史上最大規模で、各地に甚大な被害が発生しました。大の親日家であるミルコ騎手もこの現実に心を痛め、「ジョッキーとして日本のためになりたい」と切に願います。

その直後に行われたドバイワールドカップに、ヴィクトワールピサと挑んだミルコ騎手。多くの日本人に希望を与えた忘れられないレースを、いま改めて振り返ります。

(取材・構成=森カオル)

※この記事は過去のインタビューを基に再構成しています

日本が大変な時期に勝てた忘れられない勝利


──東日本大震災の直後に行われたドバイワールドカップ(ヴィクトワールピサ)での勝利は、日本競馬史に残る金字塔であり、多くの日本人に希望を与えた忘れられないレースです。トランセンド(藤田伸二騎手)とのワンツーで、レース後には馬上で日の丸の旗を掲げられて。ミルコ騎手の涙も、とても印象に残っています。

「Road to No.1」

▲「日本のために勝ちたい」ミルコ騎手の祈りが届いた (撮影:高橋正和)


「Road to No.1」

▲角居調教師ら陣営と勝利をかみしめるミルコ騎手 (撮影:高橋正和)


ミルコ もちろん僕にとっても忘れられない勝利です。あのときは確か、レースの1週間くらい前からドバイに行っていて、毎日「日本のために勝ちたい、日本のために勝ちたい」と神様に祈ってましたね。すごく苦しい時間でした。

 ゴールした瞬間は、あれだけ祈っていたのに、「えっ!? ホントにドバイワールドカップを勝ったの!?」みたいな感じで。まるで夢の中にいるようでしたね。

──ヴィクトワールピサには、前年の有馬記念で初騎乗。その有馬記念と年明けの中山記念を連勝してのドバイワールドカップでしたが、その強さについてはどんな手応えを感じていましたか?

ミルコ 有馬記念も強かったけど、前走の中山記念でヴィクトワールピサの本当の強さがわかりました。

──後方から外々を回って4コーナーで前に取り付き、直線は後続を突き放すいっぽうというインパクトのある競馬でしたね。

ミルコ はい。あれはすごかった。いやぁ、中山記念も忘れられないね。でもね、馬のことをわかっていたからこそ、3〜4コーナーで早めに動けた。

 次はドバイワールドカップの予定だったし、あの馬の強さをみんなに見せつけたかった。(ほかの馬とは)全然違いましたからね。「この馬、ヤバイ!」と思った。

──そのときにミルコ騎手が感じた“ヤバさ”とは!?

ミルコ あの馬ね、ホントに車みたいだったの。車と一緒で、アクセルを踏んだら動くし、ブレーキを踏めば止まる。そこからまたアクセルを踏めば、もう一回伸びる。だから、後ろからでも前からでも、いろんな競馬ができた。

 それに加えて、スタミナも瞬発力もあったから。ジョッキーからすると、一番乗りやすいタイプ。なかなかいないよ、あんな馬は。

──その操縦性の高さが遺憾なく発揮されたのがドバイワールドカップだったわけですね。出遅れて最後方からになったときは、さすがに不安になりましたが。

ミルコ まさか出遅れるとは思っていなかったから、僕もビックリしました。いつもはスタートが速い馬なんだけど、あのときは少しゲートに頭をぶつけて、だいぶ出遅れてしまった。

 まずいなと思ったけど、最初のコーナーまですぐだから、慌てて行くと外々を回ることになってしまう。だから、向正面まではジッとしておこうと思って。

──実際、向正面で一気にポジションを上げていきました。

ミルコ はい。馬のことをよくわかっていたし、自信があったから。長くいい脚を使うし、何でもできる、いつでも伸びる、そういう馬だったから。初めて乗る馬だったら、ああいう競馬は絶対にできない。

 それに、トランセンドは絶対に前に行くと思っていたし、距離に不安があるぶん、道中はペースを落とすと思ってた。それが藤田さんスタイルだからね。

──なるほど。最初から、ペースが落ちたところで一気に…という作戦だったんですね。

ミルコ そうです。さすがに最後方からになるとは思っていなかったけどね(笑)。道中であれだけ動いても最後まで脚があったし、本当に強い競馬だった。

──ゴール後は、2着の藤田さんもまるでご自身が勝ったかのような笑顔で。おふたりのハイタッチを見て、胸が熱くなったのを覚えています。

ミルコ ゴールしたあと、何度も何度も「ミルコ、おめでとう!」って言ってくれて。感動しましたね。うれしかった。藤田さんには、短期免許で乗りにきたときにいつも怒られていたんですけど、あのドバイのワンツーをきっかけにすごく仲良くなりました(笑)。

 あのときのヴィクトワールピサの強さも忘れられないけど、日本が大変な時期に勝てたということも、僕にとっては忘れられないね。

「Road to No.1」

▲日本が大変な時期に勝てた忘れられない勝利 (撮影:高橋正和)


「Road to No.1」

▲ミルコ騎手の心はいつも日本に寄り添っている (撮影:高橋正和)

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Road to No.1 世界一になる / ミルコ・デムーロ
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1979年1月11日、イタリア生まれ。弟のクリスチャン・デムーロはイタリアのジョッキー。1997年から4年連続でイタリアリーディング。1999年に初来日。2003年、ネオユニヴァースの皐月賞でJRAGI初制覇。続くダービーも制し、外国人ジョッキー初の東京優駿制覇。2015年3月1日付けでJRAジョッキーに。

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