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岡田繁幸さんとの忘れられない思い出

  • 2021年04月07日(水) 18時00分

商談30分後に我が耳を疑った岡田さんの一言


 去る3月19日。マイネル軍団の“総帥”として多くの競馬関係者に慕われた岡田繁幸さんが逝去した。今週月曜日には、静内エクリプスホテルにて「お別れ会」が開催され、800人もの参列者が故人と最後のお別れをするため弔問に訪れたという。

 私も行くつもりでいたが、所用のため、駆けつけることができないで終わった。すでに多くの人々が岡田繁幸さんのことについて追悼文を発表しており、今更私ごときが改めて語れるほどのエピソードはないのだが、それでも岡田さんとのこれまでの関わりにおいて忘れられない出来事がいくつかある。今回はそれを記して、故人の冥福を祈りたいと思う。

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“総帥”として多くの競馬関係者に慕われた岡田繁幸さん


 そもそも岡田繁幸さんの元を初めて訪れたのは、もう30年以上も前のこと。当時、東京スポーツの競馬欄を担当していた紺野真記者が、連れて行ってくれたのが最初だ。

 まだ世の中が昭和の時代で、当時ビッグレッドファームは、今と比べると規模も小さく、静内町(現・新ひだか町)浦和の、陸上自衛隊駐屯地の奥だけであった。この時、何を話したのかもう記憶があいまいになっているが、とにかく馬に対する熱い情熱の持ち主であるということだけは十二分に伝わってきたのを覚えている。

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▲岡田繁幸さんが手掛けた地方馬の星コスモバルク、▼引退式は門別競馬場にて行われ2867人の入場者レコードを記録した


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 紺野真記者が、なぜ岡田繁幸さんの元を訪れる気になったのか。それはダイナガリバーが勝った1986年(昭和61年)のダービーに自ら発掘し育成したグランパズドリームを出走させて、14番人気ながら、あっと驚く2着に入線させたことがきっかけである。ラフィアンの創設もこの年のことであった。次代を見据えて強い馬づくりに励む新進気鋭のホースマンとして、岡田さんは、すでに昭和末年には内外から注目される存在になっていた。

 日高のあらゆるところを走り回って、馬を見て歩いていたという。ご本人に聞いた話だったか、誰かから教えてもらった話か、今となっては判然としないが、岡田さんは道路を走っていてふと横に広がる放牧地にいる馬の姿が目に止まり、それを目で追いながら走り続けたために前方不注意となり、何度となく前を走る車に追突した経験がある、という。

 私の牧場に岡田さんが初めて来られたのは、平成になってすぐのことであった。1991年(平成3年)春のある日。「当歳馬を見せて下さい」と言って、トウケイニセイの半弟を見に来られたのである。父リードワンダー、母エースツバキ。もう桜の季節は終わっていたような記憶があるので、5月に入っていたと思う。岡田さんはお一人であった。

 放牧地に案内して、当歳を見て頂いた。そして、その場で「売って下さい」と言われ、確か1300万円ですぐに商談がまとまった。即断即決であった。

 こんなにアッサリと商談がまとまったことがほとんどないので、喜んだのは言うまでもないが、それよりも、戸惑いの方が強かった。「本当に良いのか」というような、どこか半信半疑に似た気持ちが拭えなかった。

 岡田さんは、商談がまとまると、すぐに「失礼します」と車に乗り込み、次の牧場に向かった。父と「いやー、驚いたなぁ」などと話をして、余韻に浸っていた時、なぜか、岡田さんが再び我が家にやってきた。30分も経っていなかった。

 その時のことははっきりと記憶している。「やっぱり、さっきの話(1300万円でまとまった商談)は、保留にさせて欲しい」とでも言われるのではないか、とビクビクしながら岡田さんに近づくと、彼はこう言い放ったのだ。「1300万円って言ったけど、もう100万円上乗せして、1400万円にして下さい」。我が耳を疑ったのは言うまでもない。

 後にも先にも、一度決めた価格に、後で上乗せしてくれるような人に初めて出会った。

 値切られることの方が多い業界であり、当時は下手をすると、仲介者や調教師へのリベートまで要求されることが少なくなかった時代だ。その時の岡田繁幸さんは、私にとっては神様みたいな人だと心底感動した。 

 残念なことに、そのトウケイニセイの半弟は、わずか2戦のみで中央から抹消されたが、その後、地方競馬に転じ、48戦10勝2着6回の成績を残した。名前は、マイネルワンダーという。岡田繁幸さんの期待には報いることができなかったが、私にとっては、心温まる懐かしい思い出だ。

 ここに一枚の写真がある。10数年前に岡田繁幸さんにお願いをして、知人の若者をビッグレッドファームに就職させて頂いたことがあった。その若者は今もなおビッグレッドで日々育成馬に騎乗している。T君という東京出身の若者である。T君はそれからほどなくして静内で地元出身の人と結婚した。結婚式は2010年4月24日のこと。岡田さんご夫妻も参列して小ぢんまりとした微笑ましい結婚式であった。

 その際、岡田さんご夫妻と私と妻の4人で撮らせて頂いた写真が今、手元に残っている。こんなに早く逝くなんて、と、その写真を見ながら、在りし日の岡田繁幸さんを偲んでいる。

 どこでお会いしても、きちんと挨拶をしてくれる礼儀正しい人であった。本物の紳士というのはこういう人のことを言うのだなぁと、といつも感じていた。多くの人々から慕われていたのも頷ける。ともあれ、合掌。岡田繁幸さん、本当にありがとうございました。

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岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。

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