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競馬の歴史に異彩を放つ「競馬界の二刀流」ミシュリフ

  • 2021年04月14日(水) 12時00分

ドバイで日本馬を破った2頭がLWBRR2回目の中間発表で首位


 2021年ロンジン・ワールド・ベスト・レースホース・ランキング(LWBRR)の2回目の中間発表が8日(木曜日)にあり、ミスティックガイド(牡4、父ゴーストザッパー)とミシュリフ(牡4、父メイクビリーヴ)がレーティング122で横並びの首位に立った。

 ミスティックガイドは3月27日のG1ドバイワールドC(d2000m)が評価されたもので、2月20日にサウジCを制した段階で既に122を得ていたミシュリフは、3月27日のG1ドバイシーマクラシック(芝2410m)でも122を獲得しての首位堅守となった。すなわち、ミシュリフのSurface(路面)の項目には「D/T」と、ダートと芝の2つの路面が併記されているのだ。ランキング上位馬の、距離区分において2つのコラムが併記されることはしばしばあるが、ランキング首位の馬が2つの路面で評価されているというのは、なかなか見られることではない。

 ロサンゼルス・エンジェルスでプレーする大谷翔平選手の「リアル二刀流」がおおいに話題となっているが、競馬界をおおいに騒がせているミシュリフの二刀流も、かなりのインパクトを持っている。競馬の歴史を振り返れば、例えば70年代の北米に出現し、ダートでワールドレコード、芝でトラックレコードを樹立したセクレタリアトを代表例として、これまでも2つの路面を等しくこなした馬は少なからず出ている。だが、わずか5週の間に芝・ダート両路面の主要競走を制し、あわせて1290万ドル(約13億8710万円)もの賞金を収得したミシュリフは、異彩を放つという意味では既にして歴史的存在と称して構わないと思う。

 サウジアラビアの王族アブダル・ラーマン・アル・ファイサル王子による自家生産馬(生産者名はナワラ・スタッド)が、ミシュリフだ。母コントラディクトも、祖母アクツオヴグレイスも、3代母ラファーもファイサル王子の自家生産馬で、父メイクビリーヴもまた現役時代はファイサル王子の服色を背に走った馬だから、密度の濃い、ミシュリフは生粋のファイサル血脈継承者である。

 その血統構成を改めて検証すると、二刀流を想起させる要素が随所に散りばめられていることに驚かされる。

 まずは、ミシュリフの母の父が、アスコットの芝のG1クイーンエリザベス2世S(芝8F)を制した後に渡米し、当時はオールウェザーが舞台だったサンタアニタのG1ブリーダーズCクラシック(AW10F)を制したレイヴンズパスなのだ。ただし、芝とオールウェザーは互換性が高いから、レイヴンズパスに与えられるのは「変則二刀流」程度の称号だろう。

 レイヴンズパスの父イルーシヴクオリティは、芝のG3ポーカーH(芝8F)を1分31秒63という当時の世界レコードで制している一方、ダートのG2キングスビショプS(d7F)2着、G2トムフールS(d7F)3着などの成績を残しているから、「二刀流」としてはかなりの遣い手だった。種牡馬としてのイルーシヴクオリティも、北米で3歳2冠馬スマーティジョーンズを送り出す一方、欧州で仏国2歳チャンピオンのイルーシヴシティ、豪州で2歳チャンピオンのシーポイらを輩出するなど、間口の広い活躍を見せている。

 ミシュリフのサイヤーラインに目を向けると、父の父マクフィは、ご存知のように現在は日本で種牡馬生活を送っているが、日本における初年度産駒となる今年の3歳世代から、GIII函館2歳S(芝1200m)で2着となった後、JpnI全日本2歳優駿で(d1600m)で3着となった、ルーチェドーロという二刀流を送り出している。

 マクフィの父ドバウィもまた、記憶に新しいところでは3月27日のG1ドバイターフ(芝1800m)勝ち馬ロードノースや、昨年の欧州年度代表馬ガイヤースらを送り出している一方、オールウェザーだった時代のG1ドバイワールドC(AW2000m)を制したモンテロッソ、ダートに戻った後のG1ドバイワールドC(d2000m)を制したプリンスビショップらが出現するなど、路面を問わずにA級馬を輩出し続けている。

 そして、ドバウィの父は、ナドアルシバが舞台だった時代のG1ドバイワールドC(d2000m)をトラックレコードで制した一方、8馬身差で制したロイヤルアスコットのG1プリンスオブウェールズS(芝9F212y)など芝のG1も3勝した、「近年最強の二刀流」ドバイミレニアムである。

 コントラディクトにメイクビリーヴという配合は、あたかも、二刀流の遣い手を生み出すことを意図したようにも受け取れる血統構成となっている。

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1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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