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フランスゴデイナ出走の北米3冠最終戦ベルモントS展望

  • 2021年06月02日(水) 12時00分

血統的に12Fは守備範囲にある、と見てよさそう


 北米3歳3冠最終戦G1ベルモントS(d12F)の開催が、今週土曜日(5日)に迫っている。

 1番人気が予想されるのが、ゴドルフィンのエッセンシャルクオリティ(牡3、父タピット)だ。2歳時は、G1BCジュヴェナイル(d8.5F)など2つのG1を含む無敗の3連勝をマークし、最優秀2歳牡馬のタイトルを獲得した同馬。

 今季も、初戦のG3サウスウェストS(d8.5F)、続くG2ブルーグラスS(d9F)を連勝したが、1番人気に推されたG1ケンタッキーダービー(d10F)で4着に敗れ、連勝が止まった。

 そのケンタッキーダービーでは、発馬直後に隣の枠から出たロックユアワールドとの接触があった上に、終始馬群の外目を通らされたことも響き、先行していた馬たちを捉えることが出来なかった。

 前走後もチャーチルダウンズに留まって調整され、29日に5F=59秒40の時計を出し、実質的な最終追い切りを終えている。その後、31日にベルモントパークに到着した。

 父タピットは、14年のトナリスト、16年のクリエーター、17年のタップリットと3頭のベルモントS勝ち馬を出しており、距離延長は問題ないと見られている。

 おそらくは差のない2番人気になりそうなのが、2着以下に3.1/2馬身という決定的な差をつけてG1プリークネスS(d9.5F)を制したロンバウアー(牡3、父トゥワーリングキャンディ)だ。同馬は、プリークネスSの翌々日(17日)にはピムリコからベルモントパークに移動し、調整を積まれている。

 プリークネスSではフラヴィエン・プラが騎乗したロンバウアーだが、そのプラがベルモントSではG1ケンタッキーダービー3着馬ホットロッドチャーリー(牡3、父オックスボウ)を選択。ロンバウアーの鞍上は、ジョン・ヴェラスケスとなることが発表されている。28日にはそのヴェラスケスが騎乗し、4F=50秒01の時計を出している。

 父トゥワーリングキャンディは、G1マリブS(d7F)をトラックレコードで優勝している馬だけに、12Fの距離には若干の不安もなくはない。

 3番手評価が、フラヴィエン・プラが選択したホットロッドチャーリーだ。2歳時、初勝利をあげるのに4戦を要したが、勝ち上がるや次走はいきなりG1BCジュヴェナイルに挑んだから、陣営は早くから見込みのある馬と見ていたようだ。

 そしてこのレースでホットロッドチャーリーは、オッズ95.4倍の最低人気という低評価を覆し、勝ち馬エッセンシャルクオリティから3/4馬身差の2着に健闘。陣営の期待に応えている。

 ケンタッキーダービー後は、拠点のカリフォルニアに戻って調整。28日にプラを背に5F=60秒48の時計を出した後、29日夜にベルモントパークに到着している。

 父オックスボウは、13年のG1ベルモントS2着馬だから、12Fに問題はなさそうだが、その一方で、本馬の半兄ミトレ(父エスケンデレヤ)はG1BCスプリント(d6F)勝ち馬だ。母系の影響が強いと、ゴール間際で燃料切れになる懸念がありそうだ。

 森秀行厩舎のフランスゴデイナ(牡3、父ウイルテイクチャージ)は、7着だったG1プリークネスSの翌々日(5月17日)にベルモントパークに移動し、調整されている。

 UAEダービー、プリークネスSと、2戦続けてジョエル・ロザリオが騎乗した同馬だが、ペルモントSでは、リカルド・サンタナ・ジュニアの起用が決まっている。通算1500勝以上している腕利きで、今年の3歳戦線ではスーパーストックに騎乗してG1アーカンソーダービー(d9F)に優勝。

 ケンタッキーダービーではそのスーパーストックに、プリークネスSではウェイン・ルーカス厩舎のラムに騎乗したが、そのどちらもベルモントSに出走せず、体が空いたため、フランスゴデイナ陣営からのオファーに応えることになったものだ。

 2歳時、距離1800mの未勝利戦と1勝クラスを連勝しているように、もとよりスピードタイプという馬ではない。父はG1トラヴァーズS(d10F)勝ち馬で、母の父カーリンはパレスマリスという直仔が13年のベルモントSを制している。12Fは守備範囲にある馬と見てよさそうである。

 ベルモントSの模様は、6日(日曜日)夜にグリーンチャンネルで放送される「オールインライン・仏ダービー生中継」の中で、録画放映される予定なので、皆様ぜひご注目いただきたい。

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1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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