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“馬の街”南相馬を盛り上げたい!(3)この街のために自分ができること

  • 2021年08月03日(火) 18時00分
第二のストーリー

“馬の街”を想ってグッズ作りをする酒本美夏さん(提供:酒本美夏さん)


忙しく過ぎていった震災後の日々


 酒本美夏さんが暮らしていた南相馬の家は津波で流されたが、幸いなことに一緒に暮らしていた家族は無事だった。だがマイネルヘルシャーとサウザンブライト、そして愛犬が行方不明になった。その中で、津波の被害に遭い瓦礫の中にいる馬たちを救出する活動を、美夏さんは当時関わっていたNPOの仲間とともに始めていた。

「2頭が行方不明になっていたからこそ、逆に夢中になって瓦礫の中で生きている馬をレスキューする活動ができたような気がしています。もちろん頭の片隅には、愛馬たちがどこかで生きてないかなという思いはありましたけど、目の前で家と家に挟まれて生きている馬がいたので、助けたいという一心で仲間たちと動いていました」

 瓦礫の中から救出しても命が繋がらなかった馬もいたが、傷だらけで助かった馬たちは、認定NPO法人引退馬協会からの支援を受けながら獣医師の指示のもと治療を行った。

「少し落ち着いてからは、原発に近い地区で人は避難をしてしまって、馬が取り残された場所を探して餌や乾草、水を届けたりもしました」

 こうして震災後の日々は、馬たちのレスキューや援助活動で忙しく過ぎていった。結局、マイネルヘルシャーとサウザンブライト、そして愛犬は見つからないまま、今に至っている。 

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▲▼暮らしていた家が津波で跡形もなく…(提供:酒本美夏さん)


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「行方不明になってしまった馬たちに背中を押されて日々過ごしているような気がしています。野馬追も規模が縮小されたりしながらも続いていて、関わる機会が多かったこともあり、野馬追と一緒に自分も成長して、復興している感じがします。馬がいない街だったら、多分川崎に戻っていると思うんですよね。馬がいたから南相馬から出ることはありませんでした」

 家の庭には馬がいるなど、街には馬が点在していた。だが不思議と馬の街感がない。そう感じていた美夏さんは、この街で何か自分にできることはないのかを模索し続けていた。

「おしゃれな馬グッズがあったらいいなとか、馬好きな人や地元の人の目に留まるもの、帰省や観光のお土産になるものがあったらいいなと思い、この10年間の間、友人とデザインしたオリジナルコーヒーや、自身でデザインし馬や銜をモチーフにしたオリジナルグッズを作っていました」

 それが徐々に認知されてきて、イベントに出店してみないかという声がかかるようになり、さらに野馬原マルシェという組織を地元の有志とともに立ち上げ、今年初めて馬系のグッズを作るクリエイターを集めたマルシェを、野馬追の復興と乗馬技術の向上を目的とした春の競馬大会の日に合わせて雲雀ケ原祭場地で開催するまでになった。

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▲▼美夏さんが運営する馬グッズのお店、Stable0349のグッズ(提供:酒本美夏さん)


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「おしゃれな馬グッズを作っている知人、クリエイターは全国にたくさんいますので、可能な方に来ていただき、地域の方に馬グッズを見て手に取ってもらえたら、改めて馬への認識含め馬の街のイメージを残せるのではないかということで始めました。今後は馬グッズだけではなく、地場産品や馬関連以外のお店なども一緒にやってマルシェを大きくして、草競馬大会を盛り上げていきたいですし、体験乗馬会を開催して馬と触れ合えるようにもしたいです」

 野馬原マルシェは、共催が南相馬市で後援が相馬野馬追執行委員会となっており、今後も行政側とうまく連携して町おこしができればと、美夏さんは考えている。 

 「ようやく自分のやりたいことや、馬のためにしたいと思っていたことが行動に移せるようになって、やっとスタート地点に立ったような気がします」

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マルシェには馬も!(提供:酒本美夏さん)


美夏さんの身近には常に馬が


 夫の実家には、トップパシコという元競走馬が飼養されていた。現在21歳。去勢はされていない。夫妻の暮らす家は、トップパシコのいる実家とは車で30〜40分ほど離れた場所にあるのだが、夫は毎日馬の世話に通っているという。

 トップパシコ。父サクラバクシンオー、母パシコルビー、その父ミルジョージという血統で、2000年5月26日に三石町(現・新ひだか町)のパシフィック牧場で誕生した。美浦の佐藤全弘厩舎からデビューし、通算成績は40戦5勝。GIIIのシルクロードSで3着に入ったこともある。

 そのトップパシコと夫との出会いは、今から13年前に遡る。草競馬大会に出場するために来る予定だった馬が脚を痛め、その馬の代わりとして紹介されたのがトップパシコだった。

「震災時には床上浸水で膝下まで水に浸かり馬房内でしばらく硬直していたようです」

 しばらく水に対するトラウマがあったが、今はそれも克服したという。野馬追の甲冑競馬、春と秋の草競馬大会を含めて5勝を挙げ活躍したが、今は引退して悠々自適の毎日だ。

「少し神経質でヤンチャな面はありますが、年を重ねるごとに穏やかな性格になってきました」

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悠々自適な日々を送るトップパシコ(提供:酒本美夏さん)


 このトップパシコにはある特技がある。

「暑い日には壁掛け式の扇風機のスイッチの操作を口ですることがしばしばあるようです(笑)」

 どのように操作するかといえば、噛んで回すのだそうだ。

「自分で強弱を自在に操作しています。扇風機を弱にして帰ったのに翌日強になっていておかしいと思った主人が、隠れて見ていてわかったようです」

 出会った夫も生粋の馬好きで、最期まで面倒をみると決めているトップパシコという愛馬がいた。美夏さんの身近には、常に馬がいる。これからもずっと馬の街・南相馬で、馬に関わり続けて生きていくことだろう。

 最後に美夏さんに今後の夢を尋ねた。

「料理を作るのがとても好きなので、循環型農業を取り入れて、馬のいる田舎のカフェを開いてみたいです。カフェのちょっとした建物があって、馬がいて、堆肥で畑を作って…。地域の子供たちと一緒に畑で収穫したものを使って、地域の子供たちと一緒に料理を作ったり、お母さんたちが仕事をしている間にカフェにきて、畑の野菜を収穫したり、馬のブラッシングなどお世話をしたりとか、そのような活動ができる場所を作りたいです」

 そのためには宝くじが当たらないと…と美夏さんは笑っていたが、彼女の行動力ならくじを当てなくても、いつか実現させる日が来る。そんな気がした。

(了)

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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