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凱旋門賞はアダイヤーの取捨が最大のポイントに

  • 2021年10月03日(日) 12時00分

能力は頭一つ抜けているが不安材料も...


 今年の凱旋門賞を占う上で最大のポイントは、アダイヤー(牡3、父フランケル)の取捨にあると見ている。

 G1英ダービー(芝12F6y)を4.1/2馬身差で快勝して3歳世代の頂点に立つと、英国におけるこの路線の最高峰となるG1キングジョージ6世&クイーンエリザベスS(芝11F211y)で、ミシュリフ(牡4)、ラブ(牝4)といった古馬の精鋭を完封して優勝。そのパフォーマンスでレーティング127を獲得し、世界ランキングの首位タイに立っている。凱旋門賞出走馬の中でレーティング2位は、持ちレート122に牝馬のアローワンス3ポンドを加味して125となるタルナワ(牝5)で、つまりは能力的に頭1つ抜け出しているのがアダイヤーである。

 しかも、ゴドルフィンの主戦騎手ウイリアム・ビュイックが、G1愛ダービー(芝12F)、G1パリ大賞(芝2400m)、G1英セントレジャー(芝14F115y)と3連勝しているハリケーンレーン(牡3、父フランケル)との二者択一を迫られた末、凱旋門賞ではアダイヤーに騎乗することを選択。これは非常に重要なファクターで、24日にこのニュースが流れると、ブックメーカー各社はアダイヤーの前売りオッズを一斉にカットすることになった。

 レースぶりは粗削りで、逆に言えば、これだけの成績を残しつつ、まだ伸びしろがありそうな逸材がアダイヤーで、100回目という節目の凱旋門賞優勝馬として名前を残すに相応しい馬と言えそうだ。

 ただし、不安材料もある。当初は、9月12日にパリロンシャンで行われた3歳馬の凱旋門賞前哨戦G2ニエル賞(芝2400m)を使う予定だったのだが、後肢に腫れが出て、当該週に入ってニエル賞を回避することになったのだ。腫れの要因は感染症で、骨や腱に異常があったわけではなく、2日間ほど運動を休んだだけで調教を再開。以降は順調に乗り込まれている。

 ただし、凱旋門賞は7月24日のG1キングジョージ6世&クイーンエリザベスS以来の出走となる。2010年にナカヤマフェスタを2着に退けて優勝した時のワークフォースが、前走G1キングジョージ6世&クイーンエリザベスSから凱旋門賞というローテーションで、成功例のない臨戦態勢ではないのだが、しかし、大一番を前にして調整過程が狂ったことは、明らかなマイナス材料である。

 前哨戦を使えなかったことで、トリッキーと言われるパリロンシャンを走るのは凱旋門賞が初めてとなることも、実戦経験が豊富とはいいがたいこの馬にとっては、懸念材料だ。ましてや、凱旋門賞当日のパリロンシャンは、秋開催がスタートして以来設置されていた仮柵がとれ、馬群が内埒よりに密集する可能性がある。名手ビュイックが巧くさばくとは思うが、飛びの大きなアダイヤーが揉まれる競馬を強いられることで、自らのリズムを失う危険性は考えておくべきだろう。能力の高さは認めるものの、確信をもって本命に推せる存在ではないというのが、筆者のアダイヤーに対する見解である。

 そのアダイヤーを管理するチャーリー・アップルビー調教師が、強力なライバルになると最大限の警戒を発しているのが、ダーモット・ウェルド厩舎のタルナワ(牝5、父Shamardal)だ。筆者も、アップルビー調教師の考えに賛同する。

 前走のG1愛チャンピオンS(芝10F)で2着に敗れ、昨年来の連勝は5で止まったが、直線で終始外に押圧される大きな不利がありながら、10F路線の最強馬セントマークスバシリカ(牡3、父Siyouni)に3/4馬身差に迫った内容には、敗れてなお強しの印象を抱いた。2000mのG1も制しているものの、最適距離は2400mで、昨年9月に凱旋門賞と同コース・同距離のG1ヴェルメイユ賞(芝2400m)を制しているというのも、心強い実績だ。そして、シーズンの始動が8月で、ここは今季3戦目となり、春から使われてきた馬たちに比べると、格段に馬がフレッシュな点が、何よりの強調材料である。

 ここ3戦で手綱をとってきたコリン・キーンに変わって、凱旋門賞では、馬主アガ・カーン殿下のフランスにおける主戦騎手であるクリストフ・スミヨンが騎乗するが、昨年秋にタルナワがパリロンシャンでG1を連勝した時に手綱をとっていたのがスミヨンで、乗り替わりに微塵も不安はない。様々なファクターを鑑みると、安心して馬券を買えるのはタルナワという結論になる。

 馬券の最終結論は、週末のnetkeiba.com に掲載させていただくので、ぜひご参照いただきたい。

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1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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