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繁殖引退のオースミハルカ(2)ハルカがもたらした、あたたかな繋がり

  • 2021年12月14日(火) 18時00分
第二のストーリー

仲良く食事中のホッコーオウカ(左)とオースミハルカ(右) (提供:Y.Hさん)


たくさんのファンを魅了するオースミハルカ


 オースミハルカの母のホッコーオウカは既に繁殖を引退して、娘と同じ鮫川啓一牧場で暮らしている。

「ホッコーオウカは、富川(現在の日高町富川)に以前あった育成牧場で育成されていたんですよ。そこの坂路は勾配がきつくて、ある馬主さんの馬も次々勝ち上がっていて評判になっていたんですよね。けれどもホッコーオウカは、ムチを入れると止まったりして、2、3着の多い馬で勝ち切れませんでした。ただ元々非常に馬体が良かったので、馬主さんに頼んで競走馬引退後は牧場に繁殖として戻してもらう、貸し馬という形にしてもらったんです」

 鮫川さんが見込んだ通りホッコーオウカは、オースミハルカ、オースミグラスワンと2頭の重賞勝ち馬を送り出している。

 娘オースミハルカも母と同じ貸し馬という条件で、山路秀則オーナーが購買した馬だった。

 オースミハルカの引退レースとなった2006年1月の京都牝馬S(8着)を終えて鮫川啓一さんの牧場に戻ってきたのは、まだ寒い時期だった。馬運車から降りてきたハルカは、歩くのにかなり苦労していた。

「走る馬によくあることなのですけど、蹄底が薄くて過敏になっていたんですよね。あれは確か1月か2月で、雪が少なく地面が泥状になって柔らかかったのですけど、そこすらちゃんと歩けませんでした」

 蹄底が薄いと地面に着地するたびに蹄の裏に響くため、歩くのにも難儀したのだった。

「繁殖シーズンに入ると高カロリーの飼い葉を与えますから、それが呼び水となり、蹄葉炎になる可能性もありますから」

 鮫川さんは、飼い葉の内容にも気を配った。

「今でも蹄は痛いのですけど、保護用のブーツを履かせたり、薬を蹄の裏に塗り続けて蹄底を厚くするようなケアをずっとやってきました」

 競走馬引退から16年弱、鮫川さんの手厚いケアのもと、ハルカは牧場での日々を過ごしてきた。

第二のストーリー

鮫川さんの手厚いケアのもと、ハルカは牧場での日々を過ごしてきた(提供:Y.Hさん)


 ファンの多かったハルカに会ってほしい。その思いで、最初の2年間ほどは牧場見学ができるようにしていた。

「たくさんの方が本当に温かい気持ちで会いに来てくれました。その中には、強く印象に残っている方もいます。車椅子の方で、千歳空港からタクシーでハルカに会いに来てくださったファンもいましたしね。大人数でなければ僕やスタッフが同行して放牧地に入ってもらって、ハルカを撫でられるようにもしました。ところがあまりにもいらっしゃる方が多くて、人が放牧地に行くたびにハルカが逃げちゃって(笑)。逃げていく馬を僕らも深追いはしませんでしたけど(笑)」

 そのような事情もあって、牧場見学は不可となった。それでも熱烈なハルカファンからの手紙が届いた。その中には、生まれた子供にハルカと名付けたという報告もあった。

 普通に生活していたのでは出会えないような人々と、ハルカは引き合わせてくれた。

「人との繋がりはいいなと実感しました」

 馬には不思議な力がある。

“本能”で走っている感じ


「同世代のスティルインラブやアドマイヤグルーヴ、1歳年下のスイープトウショウ、1歳上のファインモーションや2歳上のテイエムオーシャンなどの名牝に、格下とも思えるようなハルカが打ち勝った(先着も含めて)あたりが、様々な方々の心に響いたのかなとも思います」

第二のストーリー

2004年府中牝馬ステークス(撮影:下野雄規)


 かつてはハイセイコーやオグリキャップなど、地方競馬からやって来た馬が中央のエリート馬たちを打ち負かしていく姿が、あまたのファンを引き付け熱狂させた。その判官贔屓的なファン心理が、鮫川さんが言うようにハルカにも働いたとも言えそうだ。

 ではなぜハルカは強豪牝馬たちを退け、重賞を制することができたのだろうか。鮫川さんは分析する。

「速過ぎず遅過ぎずというペースで逃げ続けることができるのが、この馬の特徴だと思うんですよね。他馬に交わされてもそこで下がるタイプの馬ではないですし、ハルカ自身が気持ちの良い走りができている時に、他の馬たちがハルカを追いかけてしまうと終いの脚がなくなることもあったように思います」

 さらに続けた。

「僕が好きなタイプは、勝つ馬ではないんです。例えば自然の中で、誰よりも早く(異変や敵など危険に)感づき、誰よりも速く動き、誰よりも速く遠くに行く。そして誰よりも体力があってさらに遠くに行けるというのがサラブレッドの本質であろうと思っています。ハルカのレースを見ていると、本能で走っている感じがして、走らされているという印象はなかったですね」

 鮫川さんの考えるサラブレッドの本質を生かしてレースを行ったのがオースミハルカであり、それが結果的に大物牝馬を破ってきた理由の1つだったのかもしれない。

 競走馬としての使命を全うして繁殖入りしたハルカは2007年生まれのオースミアザレアを皮切りに、今年生まれた父レイデオロの牝馬まで合計11頭の産駒を世に送り出してきた。その中には中央交流重賞のダイオライト記念や兵庫チャンピオンシップを制したオースミイチバンもいる。

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左から、オースミハルカ、ホッコーオウカ、ハルカの娘オースミミズホ(提供:Y.Hさん)


「これだけの子供たちを出してくれて、本当に頑張って繁殖生活を続けてきてくれました。感謝しています」

 鮫川さんの声が優しかった。

(つづく)

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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