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【師匠・曾和先生登場!】第2回「中央初参戦をきっかけに…小牧騎手に芽生えた野望と困惑する曾和師」

  • 2022年01月19日(水) 18時01分
太論

▲満を持して実現した師弟対談第2回!(C)netkeiba.com


2022年の『太論』は、スペシャル対談からスタート! ゲストにお迎えしたのは、園田時代の師匠、曾和直榮元調教師です。小牧騎手が曾和厩舎の門を叩いたのは、中学卒業直後の15歳の頃。以来、40年の付き合いとあって、“ジョッキー・小牧太”を誰よりも知る人物であることは疑いようもありません。

今回は、満を持して実現した師弟対談。おふたりの出会いから二人三脚での戦った日々、中央への挑戦と移籍、そして現在に至るまでの戦いをじっくりと語り合う時間となりました。
第二回は、デビュー9年目に訪れた騎手人生の岐路を回顧。中央への初参戦をきっかけに、小牧騎手のなかにある野望が芽生え──。それぞれの視点で当時の心境を語ってくれました。(取材・構成=不破由妃子)

普通の子なら、デビューする前に逃げ出していたと思う


──厳しい修行期間を経て、1985年に騎手デビュー。3年目くらいまでは、勝ち星やリーディングの順位には興味がなかったそうですね。

小牧 うん。まだ数字や順位を意識するほど技術がないと思っていたからね。

──先生は当時の小牧さんをどう評価されていましたか?

曾和 評価というか、まだ駆け出しのジョッキーやからね。とりあえず、レースの組み立てというのかな、1周1000mちょっとの短い馬場でいろんな脚質の馬に乗ったときに、どうやって息をもたせて上がりまで辛抱させるか。それを早く覚えてもらいたくて、デビュー当初からいろいろ文句は言いました。

小牧 一戦一戦、ものすごく緊張して乗っていたのを覚えてますよ。早く一人前になりたかったから、教えてもらったことは何でも吸収して。とにかく一生懸命でした。

曾和 僕が厳しくしたのは、僕の師匠もものすごく厳しい人やったからや。師匠の存在がなければ、教え方がわからなかった。全部受け売りや(笑)。

 でもね、僕は一流を作りたかったから。一番になってもらわな困る、くらいの気持ちでね。どんなに厳しくしても、太は僕が敷いたレールの上をしっかり歩いてくれたな。実際、一番になってくれたしね。なんせ太は真面目やから。僕と太は性格が似てんねん。普通の子やったら、デビューする前に逃げ帰っていたと思う。実際、太のあとに逃げ出した子もいたしね。

小牧 ああ、いましたねぇ。

──ちなみに、上手に乗って勝ったときは、先生は褒めてくれたんですか?

小牧 重賞とかを勝ったらね、1着のところにきてくれて、ニコニコして喜んでくれて。そういう先生を見ると、やっぱり僕もうれしかったですね。人気している馬がほとんどだったから、とにかくプレッシャーがすごくて。でもね、そういう経験を重ねていくうちに、プレッシャーを感じる状況には慣れました。それはのちのち大きかったなと思います。なんせJRAのGIに乗るより、園田の重賞に乗るほうが緊張するくらいやったから(笑)。

太論

▲園田の重賞に乗るほうが緊張するくらいやったから(笑)(C)netkeiba.com


曾和 一人前になってくると、僕から見て3番人気やなと思う馬でも1番人気になってしまう。見込まれてしまうねんな。それはかわいそうやなと思ってた。

──デビュー8年目にはリーディングジョッキーに。ご自身の一番弟子がリーディングを獲ったわけですから、先生のなかにも達成感があったでしょうね。

曾和 リーディングというものは、どんな競技であっても最高のものやからね。それはもううれしかったですよ。素直にうれしかった。田中道夫さんが辞めるとき、「なんで?」って聞いたら、「太に負けたから、俺はもう騎手を辞める」と。だから、道夫さんに引導を渡したのは、この“小牧太”なんですよ。よう頑張ってきたから。

「外国に乗りに行きたい!」、弟子の申し出に困惑した曾和師は…


──そうですよね。間違いなく、小牧さんが園田競馬の歴史を動かした。その翌年(1993年)には、ヤングジョッキーズワールドチャンピオンシップ(92〜96年に中山競馬場で施行された国際若手騎手招待競走)の地方代表として中央競馬に初参戦。華やかな世界を知って、先生に「中央に行きたい」と懇願したというエピソードがありますね。

曾和 中央じゃない。外国に行きたいって言いよった。

小牧 まずは外国で乗って、それからいろいろ勉強したのち、JRAを受けようかなと考えたんです。ヤングジョッキーに参戦してね、世の中には上手なジョッキーがナンボでもおることを目の当たりにして、ちょっとショックを受けて。前の年にリーディングを獲って、自信満々で乗っていた頃やったから、あの経験は衝撃的でした。

曾和 アメリカの騎手に、「馬をそろえてやるから来い」と言われたんやろ? それで、「外国で騎手をしていいですか?」と僕に聞いてきた。僕ね、そのとき中央のある騎手に相談したんです。そうしたら「ダメですよ。アメリカは賞金が安いから」って。

 太には太の夢があるやろうから、それがええものならば背中を押してやらなアカンけど、その騎手が園田より安い賞金やて言うから、このまま行かせたらえらい目に遭うんちゃうかと思った。それで、中央の騎手がこう言うとったぞって本人に伝えて。

小牧 それと同時に、「ここ(園田)で頑張っていれば、また中央にも乗りに行けるやろ」って先生に言われて。確かに、ここでトップを取っているからこそ乗りに行けるんであって、この成績を続けて行くことが大事だなと思ったんです。そうすれば、また中央にもどんどん乗りに行けるなって。

曾和 まぁ反対を押し切って外国に行ったとして、出世していたかもわからんけどね。これはもう結果論や。ただ、園田にいたことで中央への道が開けたわけやから、僕はよかったと思うよ。

 そういえば、ヤングジョッキーのとき、野平祐二さんの馬に乗せてもらってな。

小牧 中央で初めて乗った馬が野平厩舎の馬でしたね(ナトルーンフラワー8着)。

曾和 「なにか言われたか?」って聞いたら、「レース前に“楽しんでこい”って言われました」って。

小牧 そうでしたね。そんなこと言われたことなかったから、「楽しむ!?」みたいな(笑)。

曾和 あれは勉強になったなぁ。それからは僕も、「楽しんでこいや」ってジョッキーを送り出すようになった。また受け売りや(笑)。

太論

▲また受け売りや(笑)(C)netkeiba.com



(文中敬称略、次回へ続く)
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1967年9月7日、鹿児島県生まれ。1985年に公営・園田競馬でデビュー。名伯楽・曾和直榮調教師の元で腕を磨き、10度の兵庫リーディングと2度の全国リーディングを獲得。2004年にJRAに移籍。2008年には桜花賞をレジネッタで制し悲願のGI制覇を遂げた。その後もローズキングダムとのコンビで朝日杯FSを制するなど、今や大舞台には欠かせないジョッキーとして活躍中。

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