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【対談】競走馬の国内空輸は実現するか(第1回)――獲得賞金の差は4500億円超、これほどの「東西格差」はなぜ起こる?

  • 2022年01月31日(月) 18時01分
教えてノモケン

▲関東勢の躍進に貢献したエフフォーリア、しかし東西格差は未だ厳しい (撮影:下野雄規)


昨年の中央競馬では、24の平地GIを美浦、栗東勢が12勝ずつ分け合った。1998年以来、23年ぶりの美浦勢の勝ち越しはならなかったが、重賞でも前年から15伸ばして56勝(栗東84勝)と健闘した。とは言え、年間勝利数では栗東勢が前年から25伸ばして2030勝(美浦1435勝、1着同着9)と東西格差は相変わらずだ。今回は、格差解消策としての競走馬の国内空輸にスポットを当て、九州大大学院でこのテーマを研究してきた清田俊秀氏にお話を伺った。

大樹ファームに就職、アメリカの大学への留学


野元 まず、清田さんご自身のご紹介からお願いします。

清田 私の馬との関わりの始まりは、米国北西部の大学に留学していて、乗馬やアニマルサイエンスと言った講義を取っていたことがきっかけです。地域的にクォーターホースやアパルーサ、パロミーノ種等がほとんどでしたので、大学卒業後に大樹ファームに入って、サラブレッドに関わるようになりました。

 当時、大樹ファームはマル外(外国産馬)が活躍していて、外国人スタッフも多く、海外の影響を非常に強く受けていました。そういう環境の中で、更に海外出張や研修という形で、海外との接点が多くなりました。その後、北海道の競走馬商社に移り、種牡馬牧場の管理や種牡馬の導入に携わり、海外商社とのネットワークを広げる機会を得ました。

 当時は未熟ながら、海外のエージェントにあこがれていて、海外のセリ会社の面接のためケンタッキー州に滞在中、ニューヨークの同時多発テロ事件が起こり、その影響でその後のビザがなかなか取れない状況が続きました。ちょうどその時、ホッカイドウ競馬の高岡(秀行)調教師から、シンガポールに移籍したいので手伝ってほしいというお話があり、移籍のお手伝いをさせて頂きました。シンガポール・ターフクラブとの交渉と申請手続を進めた結果、翌年末に免許を持つ日本人調教師の海外移籍が初めて実現し、現地の厩舎立ち上げにも数年に渡って関わりました。

 その後、帰国して栗東で海外遠征を含めた厩舎のマネジメントを行っていましたが、父親の他界をきっかけに郷里に戻り、競馬の現場を離れて大学に勤めるようになりました。勤務の傍ら、大学院で経営学から競馬や厩舎を捉えていくという視点で学び、修士論文を書く際に「東西格差」に着目して、そこから最終的に「競走馬の空輸」という調査・研究を大学院修了後も進めております。

野元 米国北西部に留学されたということですが、どちらの大学でした?

清田 モンタナ州立大です。そこは、まだキャンパス内でカウボーイハットをかぶった学生たちがたくさんいる大学でした。

野元 そこに行こうと思ったのは、どういう事情でした?

清田 出身が熊本で、熊本とモンタナ州は、細川(護熙知事=後の首相)さんの時代から非常に交流が深く、駐日大使であったマイケル・マンスフィールド氏もモンタナ州出身ということから、地域的にゆかりのある場所という事情がありました。

野元 そういう縁だったのですね。大樹ファームに入られたのは90年代半ばですか?

清田 そうです。

野元 ちょうど勢いがあった時期ですね。藤沢(和雄)先生とか。私も当時、赤澤さん(芳樹社長=当時)を取材しましたが、その頃はおられたわけですね。

清田 はい。マル外が走っていた時代ですね。

野元 どういう種牡馬(導入)に関わったのですか?

清田 商社では社内で海外との交渉など事務処理をする程度でしたが、ウェイオブライトに関わりました。

野元 ウェイオブライト。ウッドマン(産駒)でしたか?

清田 はい、武騎手もジャック・ル・マロワ賞で騎乗されたことがある馬です。

野元 普通は競馬の現場を経験した人が大学院に行こうとはなかなか考えないと思うのですが、その辺はどういう経緯で?

清田 栗東を離れて大学で働くようになって、周りの研究者の方からの刺激もあったし、トレセンではレーシング・マネージャーという立場でしたので経営学という観点からもう一度競馬や厩舎を見てみたいという思いがありました。

野元 モンタナにおられたときも、馬自体について教育を受けたのですね。

清田 そうです。モンタナ州立大の時は、専攻ではなかったですが、アニマルサイエンスの講義を受けていて、後に奨学金をもらえることになって移った別の大学では、イクエストリアンスタディーズ(乗馬学)という、そのものズバリの学部がありました。

野元 米国には馬関係の学部・学科が結構多いようですね。

清田 競馬関係者で何人かアリゾナ州立大学を卒業したという方たちに会ったことがありますが、当時私が調べた時はその存在を知らずモンタナに行きました。

東西格差、定説の「坂路主因説」は違うのではないか


野元 経営学という観点から競馬をもう一回学び直すにしても、色々な切り口があると思いますが、その中で東西格差にフォーカスをおいたというのはどういう事情でしょうか?

清田 論文のテーマを考えていく中で、私の指導教官が野中(郁次郎・一橋大名誉教授=経営学)先生のお弟子さんだったので、初めはその方の専門のイノベーションマネジメントや組織論の中で考えていて、そこで暗黙知を活用した騎乗技術や厩舎内における馬のケア・管理などの技の継承をテーマにした論文を書こうと考えていました。

野元 職人技や知識の継承のような話ですね。

清田 そうですね。ただ、それよりも専攻が産業マネジメントという分野でしたので、競馬でももう少し広い課題について調べてみようという中で、東西格差にたどり着いたんです。そこで、東西の年次別勝利数のグラフを作成してみたら、とんでもないK字型の線になっており、(下記資料共有)このグラフを見たときに愕然としたんです。これって、このまま交わらずに永遠に続いていくのかなと。

教えてノモケン

野元 はい。

清田 産業の課題としてあまりに衝撃的だったので、最終的にこれについて研究してみようと決めたのです。

野元 一時は栗東にもおられたわけですが、当時から東西格差について肌で感じる部分はありましたか?

清田 改めて考えてみると、あまりなかったと思います。特に私の立場では直接馬主さんと関わることもないし、厩舎に雇用されていたので、進上金とも関係がなく、東西格差については意識していなかったと思います。それに、どうしても栗東の相手は、栗東の中にいるという感覚で、自然と見えなくなってしまったのかもしれません。

野元 東西格差から空輸へと話が流れていくわけですが、他にも東西格差の原因としては色々な要素があって。中でも馬の質が一番大きいというのは、誰しもが思いつく部分かと。資質の差を誰も否定できない中で、立地に着目されたのはどういう経緯だったのでしょうか?

清田 私が最初に書いた論文では、格差要因をいくつか挙げて、それを一つ一つ検証していったんですが、野元さんがおっしゃった馬の質の問題は、例えば馬主さんが良血馬など自分の期待馬を東に預けるか、西に預けるかは基本的に馬主さんの判断次第です。つまり、馬主さんは当然、勝率の高さや出走・管理条件が良い方に預けるのが基本です。そのような経済合理性に則った立場ですので、主体的に東西格差を是正する要因としては考慮の対象外と考えました。

野元 (馬の質の問題は)厩舎側があれこれ間接的に働きかけることはできても、最後は馬主の判断であって、直接手を下せない領域であるから排除するということですね。

清田 そうです。だから、馬の質の問題は、検討を進めても限界があると論文では示しました。

野元 馬の質以外の要因を色々と検討していく中で、美浦と栗東の立地の差というところに至ったわけですね。

清田 地理的要因が一番大きく作用しているということです。

野元 実はこれは東西格差が言われ始めた時期に、美浦側で厩務員労組が問題提起していた部分で、個人的にはそういう面があるのは否定できないと、当時から思っていました。ただ、一方で「それを言っちゃあおしまい」といった雰囲気が、労組以外のアクターの間にはあったと思うのですが。

清田 そうかもしれません。

野元 しかし、冷静に考えれば、美浦固有の様々な不自由さというのは、間違いなくあると。最も顕著だと思われるのは? 例えば、どこからどこへ行くのが一番大変だとか。

清田 輸送時間に伴う馬の体調や出走のためのコンディションづくり、そして出走の際の利便性の問題ですね。野元さんも2018年の寄稿で触れておられましたが、美浦と栗東が共に滞在競馬となる札幌、函館競馬場を除いて、美浦にとってのホームコースとなる競馬場は、中山、東京と新潟、福島競馬場、栗東の場合は、京都、阪神、中京、小倉競馬場。それぞれを輸送時間で比較した場合、結局、美浦のホームのはずの新潟競馬場が、輸送時間では栗東と美浦でほぼ同じで、ホームとは言えなくなっている。

野元 そうですね。

清田 結局、ホームコースがそれぞれいくつあるかと数えると、美浦が3(場)に対して、栗東は…。

野元 5(場)です。新潟を中立地と数えても3.5対4.5という図式になる。

清田 そうなりますね。

野元 現実に2020年の夏から、暑さが最も厳しい3週間を新潟と北海道だけで開催しています。新潟が入っているということは、JRAも新潟が中立地であることを認めていることを意味します。西日本の開催がない時期に、福島という訳にはいかない。北海道を別にして、西の馬が行きやすいのは、普通に考えれば新潟となる。これ自体は穏当ですが、逆に、先ほど触れた3.5対4.5の構図をJRAも番組編成上は認めているということですね。

清田 そういうことですね。

野元 逆に、1月15日から小倉が始まりましたが、アクセスの差が最も顕著に出てくる。3.5対4.5と言いましたが、小倉はそもそも美浦の関係者にとっては、選択肢の外とは言わないですが、相当に敷居が高い場所になってしまっている。

清田 そうですね。投票日の締め切りとトレセンから競馬場までの輸送という物理的な障壁があるということですよね。それによって出走機会が失われ、東西格差が拡大する。今回、野元さんと対談をするに当たって、私も改めて考えたのですが、(勝利数の差のデータを見ながら)90年代以降の急激な(西と東の)上昇と下降。この急激な上昇と下降の原因について、改めて仮説が浮かんだのです、今までの定説では、誰もが坂路の話をしますね。

野元 そうですね。喉元まで出かかっていました。

清田 私が立てたその仮説は「坂路主因説」を覆すのではないかと。

野元 どういうことですか?

清田 野元さんとお話しするにあたって、1993年に刊行された『なぜ弱い関東馬』(井上泰司、佐藤洋一郎、西山茂行、原良馬=ミデアム出版)という本があります。

野元 刊行されてすぐに読みました。

清田 同書の20ページに、88年から92年までの東西の出走頭数を示した表が出てきます。東西の差が88年の2114頭から、3130頭、3308頭、4130頭、4479頭と栗東の方が出走頭数の増加傾向を示しながら推移している。

野元 はい、どんどん広がっている。

清田 92年では、その差が4500頭に近づいている。それだけ栗東の方が勝利の機会が多いことになります。因みに、私が調べた2013年、16、17年では栗東の方が千数百頭多い数値で推移していました。それと、東西の持ち乗りの数…。

野元 持ち乗りの調教助手が増えて、臨場資格のある調教助手が1人だけついて、2頭を遠征させるパターンが増えた。この本でも触れていますね。

清田 はい。その2つの要因と、輸送の利便性、この3つの要因が急角度の上昇と下降につながったのではないかと。

野元 それまで競馬は自ブロック(関東馬は東日本の場、関西馬は西日本の場で走る)でやっていたが、発想が変わってしまったということですね。

清田 そういうことです。

野元 発想を変えてみたら美浦の位置づけが微妙になってきた。競馬を設計する側も同じで、少なくとも80年代初頭までは、JRAも競馬は自ブロックでやるものと思っていた。だから番組編成も、東西で同じ時期に同じようなレースを組む編成をしていた。ところが、そこが変わった。変えてみて、どっちに行ってもいいというのが当たり前になったら、美浦ってえらく不便、栗東ってこんなに便利だったということですね。

清田 勝利数のグラフでは、東西が逆転する前年の1987年に青森から熊本まで、高速道路が開通したのです。よって、地理的要因は、それぞれのトレセンの所在地と競馬場までアクセスできる高速道路網の発達の違いにも関連していると考えた方が妥当だと思います。

野元 なるほど。

清田 もともと栗東側は輸送の利便性も高かったが、それがさらに増したということです。

野元 道路網の整備が一段落したタイミングと、東も西も関係ないという、関係者の頭のシフトチェンジがちょうど重なった。

清田 そして、持ち乗りができる調教助手という要素もあった。

野元 たまたま栗東が持ち乗りというシステムを導入していて、考えてみたら栗東ってインターのそばでしたねという。

清田 東西格差は、それらの要因が重なった複合的なものだと。色々と言われていますが、今の3つの要因の組み合わせもあるのではないかと。よく坂路効果と言われていて、効果を示した論文もいくつかあるのですが、出された論文は2歳馬とか3歳馬の調教状況で、後肢の筋肉の発達は示されていますが、それだけで果たして東西格差の大きな要因になるのかについては、今も疑問に思っていて。

野元 そこは各厩舎が、異なるアプローチで調教をしているので、全体でどの程度かというのはなかなか把握が難しい部分ですね。

清田 例えば米国の調教ってトラックでずっとやっているし、フランスも坂路をそんなに使っていない。

野元 聞かないですね。欧州でもニューマーケットくらいですよね。

清田 もしかすると日本の「坂路主因説」っていうのは、ちょっと違ってくるのではないかと。

野元 93年に美浦でも坂路が完成しますが、(高低差などの)スペックの問題は今も言われていて。23年9月に延伸工事が完工しますが、個人的には坂路の問題も「なくはない」程度に考えています。加えて、ここは定量化できないですが、自分のエリアの外まで出て行って賞金を取りに行くという動機づけを、どれだけ強く持っているかも問題かと。印象論以上のものではないですが、栗東に関わっている人の方がアグレッシブということもずっと言われていたと思います。

清田 そうですね(笑)。

教えてノモケン

▲93年に完成した美浦の坂路、23年の9月には延伸工事が完工 (C)netkeiba.com


格差はさらなる格差を生むように出来ている


野元 今挙がった諸々の要素はどれも、1つだけで格差を説明できるようなものではないですが、全部足すと途方もない差がつく。

清田 ええ。それと私がもう一つ注視しているのは、東西の勝利数の差と伴に、獲得賞金の差を見た場合、私の試算では昨年度の差額152億円を加えたこれまでの累積総額は4500億円を超えています。

野元 賞金の差が。

清田 このK字のグラフと累積総額4500億円超となった格差。将来的に格差の収束というか終わりがあるのか…。

野元 経済現象は何でも同じと思いますが、格差がさらなる格差を生むように出来ている。

清田 そうですね。『なぜ弱い関東馬』は、東西が逆転した4年後に刊行されましたが、出た時点で既に「いつまで続く東西格差」という記述があります(151ページ)。発生から4年後にそれから30年先の現在の状況を予言されていることがすごいと思いました。

野元 そうですね。でも、当時これを読んでいたら、確かに入れ替わりようがないという印象を受けました。

清田 この本は4人による座談会というスタイルで、出席者は競馬に精通されている方々ばかり。そして、皆さん、「競馬が面白くない」と語られている。

野元 はい。最後に出てきますね。

清田 私もこれまで東西格差とか産業のゆがみとか言ってきましたが、一般ファンと同じ視線に立ち戻って考えると、座談会で皆さんが触れておられた「競馬の面白さ」という点に共感を覚えます。

野元 はい。ただ、私も昨年末に美浦で場長にお会いして声をかけた時のことですが、昨年はGIが久々に12対12のタイスコアでした。有馬記念の直前にその話をしたのですが、なぜかあまり反応しない。その話は眼中にないという雰囲気を漂わせていた(笑)。

清田 西山さんたちの本にもそれが書かれていて。だから、93年くらいから状況は変わっていないのですね。

野元 30年たっても何も変わってない。つまり、自分たちで出来ることはあまりないという。ただ、そうは言いつつ、今は美浦で厩舎の建て替えや坂路の延伸工事が進行中で、特に厩舎の建て替えと並行して北馬場をつぶし、各厩舎がウォーキングマシンを置けるようなスペースを確保するプロジェクトも動いている。トレセンの方々の名誉のために言っておくと、何もしていないわけでは決してない。

清田 ええ。私もJRAの方と話すと、同じ話を聞きます。ただ、私は心の中で「まだ出来ることはありますよ」とささやいていて、僭越ながら「空輸の調査・研究に協力して下さい」ということです。30年以上の課題を是正する方法は、東名か中央高速へのアクセスのよい地域に新たにトレセンを造るか、空輸するかという大胆な2つの方法しかないと思っています。といって、新しくトレセンを作るのはおそらく…。

野元 無理ですね。

清田 約半世紀前でも、美浦トレセン建設の総工費530億円程掛かっていますから、今だったら全く現実味がない。進行中の美浦の坂路を含めた施設建設費が63億円。こうした前提の下で、どのくらい投資したら、この課題を是正できるかということになった時、空輸は、大胆な是正策になるのではないかと考えています。

教えてノモケン

▲空輸が東西格差の大胆な是正策になるのではないか (C)netkeiba.com


(2/1公開の第2回へつづく)

清田俊秀
熊本市出身。九州大学大学院経済学府産業マネジメント専攻。国内外の牧場、トレセンにおいて現場と管理業務で実績を積む。2000年代からの日本馬の主な海外遠征に従事。2014年から競馬東西格差の研究をはじめ、2017年から航空会社と貨物輸送について共同研究を開始。馬匹輸送分野から見た日本競馬の発展をめざしている。

論文等:
『競馬界の東西格差解消への提言-馬匹航空機輸送システム導入に関する一考察-』
『競馬イノベーションに伴う物流業界並びに地方創生への波及効果について-国内初の定期馬匹航空貨物システム導入に関する一考察-』
平成31年度日本中央競馬会振興事業
『日本産馬輸出拡大のための流通コスト低減と国際競争力強化について』
『東京2020オリンピック・パラリンピック大会におけるグローバル・エクワイン・ロジスティックスの役割-羽田空港オペレーションに関するレポート-』
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教えてノモケン! / 野元賢一
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1964年1月19日、東京都出身。87年4月、毎日新聞に入社。長野支局を経て、91年から東京本社運動部に移り、競馬のほか一般スポーツ、プロ野球、サッカーなどを担当。96年から日本経済新聞東京本社運動部に移り、関東の競馬担当記者として現在に至る。ラジオNIKKEIの中央競馬実況中継(土曜日)解説。著書に「競馬よ」(日本経済新聞出版)。

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