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コラムのスタートとフィナーレを結んだ“カジノドライヴ”

  • 2022年02月26日(土) 12時00分

前々回更新分が記念すべき「700回目」


 当コラム連載終了まであと1カ月、今回を含めて5回を残すのみとなりました。

 このところ、「前にどんな話を書いていたかなぁ」と思いつつ、バックナンバーを見ることが多くなっているのですが、そこには“投稿数”が表示されています。

 先週時点でその数は「703件」。うち2件は、“連載開始予告”と“年末年始休載のお知らせ”なので、実際に私が投稿したのは「701件」です。ということは、前々回更新分が記念すべき「700回目」だったわけです。

 長岡一也さんの『競馬白書』や柏木集保さんの土曜と日曜の『メインレース展望』は1000回を超えていますから大したことはありませんが、極めて軽い内容の当コラムを、よくぞここまで続けさせていただいたものだと思っています。

 考えてみれば、1年52週、年末年始の休みを除いてほぼ毎週、14年にわたって連載していれば、700本を超えるんですよね。

 それにしても、前々回が「700回目」だと気がついていれば、もっと違う話が書けたかもしれないんですが…。

 まぁ、今まで“ウン百回目”という区切りを意識してコラムを書いたことはないので、「700回目」も“単なる通過点”としておきましょう。

 ちなみに、「第1回」を投稿したのは2008年の日本ダービー前日。その翌週には、ベルモントSに挑戦予定だったカジノドライヴが出走を取り消した、という話を書いています。

 同馬は藤沢和雄調教師の管理馬。ベルモントSでは、2006年に半兄のジャジル、07年に半姉のラグズトゥリッチズが優勝していて、“兄弟馬”による3連覇がかかっていました。

 その大目標直前で出走回避の判断を下した藤沢調教師の姿は、この年末年始にターフビジョンなどで放映された同師のドキュメンタリー映像でご覧になった方も多いはずです。

 同年のベルモントSには、ケンタッキーダービーとプリークネスSを制し、30年ぶりとなる3冠制覇を目指してビッグブラウンが出走したものの、競走中止。何かと紆余曲折の多いレースになりました。

 あの時、カジノドライヴが無事に出走していたら…。半兄、半姉とはいえ、“兄弟馬”が優勝していたレースなので、血統的には勝ってもおかしくなかったでしょう。しかも同馬は、前哨戦のピーターパンSを完勝して、日本調教馬によるアメリカダート重賞初制覇も果たしていましたからね。

 でも、何しろ14年も前のこと。藤沢調教師には大変失礼ながら、日本馬がアメリカのダートG1、しかも3冠レースの1つで勝つには、まだ何かが足りなかったかもしれません。

 去年、同馬の産駒カジノフォンテンが川崎記念とかしわ記念を制覇。そして今年、藤沢調教師が定年引退。当コラムのスタートとフィナーレが、カジノドライヴで結ばれたような気がします。これも何かの縁でしょうね。

テレビ東京「ウイニング競馬」の実況を担当するフリーアナウンサー。中央だけでなく、地方、ばんえい、さらに海外にも精通する競馬通。著書には「矢野吉彦の世界競馬案内」など。

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