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競馬に関する古典的推理小説

  • 2022年03月17日(木) 12時00分
 以前、この稿に記した佐野洋(1928-2013)の競馬ミステリー『直線大外強襲』の角川文庫版(初版1974年)の解説に、「馬家」を自称する作家の石川喬司氏がこう書いている。

「競馬を扱った推理小説には、古くはシャーロック・ホームズが名馬の替え玉事件を見破る有名な『白銀号事件』をはじめ、競馬の賭けにもっと大きな賭けをからませたヴァン・ダインの『ガーデン殺人事件』などがある(以下略)」

 そして、佐野洋の別の競馬ミステリー『禁じられた手綱』の徳間文庫版(初版1982年)の解説に、文芸評論家の郷原宏氏はこう記している。

「競馬をテーマにした推理小説は決して多くない。古くはコナン・ドイルの『白銀号事件』やヴァン・ダインの『ガーデン殺人事件』に競馬や競走馬のことが扱われている(以下略)」

 石川氏も郷原氏も、つづけて、ディック・フランシス(1920-2010)の競馬ミステリーシリーズについて言及している。

 アーサー・コナン・ドイル(1859-1930)の短編『白銀号事件』が発表されたのは1890年代初めのことだった。オーストラリアから「日本初の名牝」ミラが輸入された1899年より5年以上前で、イギリスから「小岩井の牝系」となる繁殖馬が輸入された1907年より10年以上前のことである。作品の主な舞台はイギリス南部のダートムーア。この『白銀号事件』は、『シルバー・ブレイズ事件』というタイトルで、今も電子書籍として読むことができる。

 S.S.ヴァン・ダイン(1888-1939)の長編『ガーデン殺人事件』は1935年に刊行された。第1回日本ダービーが行われた3年後のことだ。舞台はニューヨーク。こちらも今、電子書籍として読むことができる。

『白銀号事件』も『ガーデン殺人事件』も、いわゆる「本格ミステリー」に分類される作品だ。馬の性質やレース中の出来事、騎手や調教師、厩務員といった職業の特殊性などとストーリーが絡み合う「競馬ミステリー」ではない。

 競馬ファンよりもミステリーファンのほうが楽しめるだろう。

 知識として、競馬に関する推理小説の古典的作品にはこういうものがある、ということをわかっていれば十分のような気がする。

 それでも、キンドル版について言うと、『白銀号事件』(『シルバー・ブレイズ事件』)は99円で読めるし、『ガーデン殺人事件』はキンドルアンリミテッドという、追加料金を払えば読み放題の作品があるサービスのラインナップに入っており、リーズナブルに入手できる。

 私は、自分もミスをすることがよくあるので、ほかの著者の作品の突っ込みどころや誤りについてあれこれ言うのは好きではない――ということをお断りしたうえで付記すると、『白銀号事件』(『シルバー・ブレイズ事件』)に出てくる「訓練士」というのは「調教師」のことで、さらに、競馬のシーンは、いくら古い時代のこととはいえ、成立し得ない要件を含んでいる。

 また、『ガーデン殺人事件』に出てくる名馬「マンノブウォー」は、その説明からして「マンノウォー」のことで、「マンモスパーク競馬場」とあるのは、岡部幸雄氏や、記憶違いでなければ田中勝春騎手も騎乗したことのある「モンマスパーク競馬場」のことであったりと、誤植が散見される。どうやら個人出版のような形らしいので、校正が甘くなるのはやむを得ないところか。

 本当は、佐野洋の『直線大外強襲』『蹄の殺意』『牧場に消える』『禁じられた手綱』を競馬ファンに強くお薦めしたいのだが、残念ながら電子版は出ておらず、古書として入手するほかない。私が読んだうちの1冊は、経年劣化で紙が茶色に焼けており、ものすごく目が疲れた。

 ビジネスが苦手な私にはできそうにないのだが、そうした絶版状態になっている作品を、出版社を横断する形で電子化して提供するサービスを、誰かやってくれないだろうか。

 佐野洋の競馬ミステリーは、携帯電話も、デジカメも、馬を識別するDNA鑑定もなければ、男女雇用機会均等法も個人情報保護法もない時代ならではの謎や仕掛けや混乱が、あの時代(1970年代)の世相や男女のやり取りなどと相まって、何とも言えず面白いのだ。

 競馬関連ではないが、伊集院静氏の『読んで、旅する。旅だから出逢えた言葉III』も面白かった。伊集院氏は、一昨年の1月下旬、くも膜下出血で救急搬送され、2度の手術を経て、また筆をとることができるようになった。

 本書には、夏目漱石の生涯を、正岡子規との友情をまじえて描いた『ミチクサ先生』のメイキングとも言えるパートがあり、『ミチクサ先生』に感動したひとりの読者として、とてもよかった。ほかに、思わず笑ってしまうところもあり、活字で読み手の気持ちをほぐすことができるのってすごいことだな、とつくづく思った。

 本稿がアップされる前日、3月16日の夜、福島県沖を震源とする大きな地震があった。福島と宮城で最大震度6強を観測し、相馬野馬追の舞台となる相馬市と南相馬市でも震度6強の大きな揺れがあった。

 先週金曜日に東日本大震災発生から11年を迎えたばかりだった。南相馬に住む小高郷副軍師の本田博信さんとはSNSを通してすぐに連絡がつき、本田さんの家族も、本田さんが繋養している馬たちも無事だという。本田さんの同級生で、ここでたびたび紹介している蒔田保夫さんにはLINEでメッセージを送ったが、まだ連絡がつかずにいる。南相馬市は今も通信に不具合が出ているようなので、落ちついたころを見はからって、また連絡してみようと思う。

 まだ大きな余震が来る可能性もあるので、みなさん、お気をつけてお過ごしください。

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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