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「ただ、もっと一緒にいたかった」プリサイスエンド 在りし日の面影を偲んで(2)

  • 2022年03月29日(火) 18時00分
第二のストーリー

プリサイスエンドと牧場猫のメト(提供:Y.Hさん)


「看取る」ということを教えてくれたプリサイス…


 プリサイスエンドは厩舎から近いパドックか、厩舎から下った先にある放牧地のどちらかに放牧をしていた。放牧地までの道が凍る厳寒期は、道中脚を滑らせての転倒を防ぐためにパドック放牧が多かった。3月に入ると徐々に雪が解け、道も凍らなくなってきた。過去の写真を調べてみると3月12日から、放牧地での放牧になっていた。

 プリサイスは水桶のお湯をゆっくりと飲み、放牧地に投げた乾草か、雪の下で逞しく芽を出していた青草を食んだ。ある程度時間がたつと、柵際でウトウトしていた。鹿の群れを目にした時にだけ、出入口近くで行ったり来たりして落ち着きを失ったことがあったが、それ以外は向かいの放牧地で牝馬たちが走っても動じることなくいつもマイペースで過ごしていた。

 3月17日の朝は削蹄日で、伸びたツメをきれいに削ってもらった。午後、日高スタリオンステーション時代からプリサイスエンドを見守り続け、種牡馬を引退する同馬を引退馬協会へと繋いだY.Hさんが牧場を訪れた。いつもプリサイスの好きな人参を持参し、写真を撮影してくれていた。Y.Hさんの後について放牧地に行った牧場猫のメトとのツーショット写真も撮影。プリサイスが元気に過ごしていることを喜んで帰っていった。

第二のストーリー

3月17日の朝、ツメを削ってもらっているプリサイスエンド(提供:ノーザンレイク)


 いつものように集牧をし、いつものように洗い場で脚のケアをした。夕飼いもペロッとたいらげた。22時前後の夜飼いも変わらぬ食欲を見せ、夜飼い後恒例のおやつタイムでは、牝馬たちと一緒に、人参と黒砂糖を美味しそうに食べた。楽しみな時間が終わり「じゃあみんなおやすみね、また明日よろしくね」と声をかけて、厩舎の扉を閉めた。これが生きているプリサイスにおやすみと声をかける最後の晩になるとは想像もしていなかった。

 明けて3月18日の朝。厩舎の扉をあけて馬たちに「おはよう」と声をかけた。手前にいる3頭の牝馬たちはすぐにこちらを見たが、プリサイスは顔を出さない。乾草を食べていることもあるので、何回か「プリさーん」と声をかけたが、やはりプリサイスは顔を出さなかった。ふと通路に目を落とすと、プリサイスの馬房前に血痕があった。それを発見した時の衝撃は言葉では表せないものだった。厩舎入口からプリサイスの馬房まではほんの数メートルだが、どのように歩いて行ったのか記憶にないほど気が動転していた。

 馬房の中でプリサイスは静かに佇んでいた。ただ馬房の至るところに血痕があった。どこからの出血かは、その時すぐにはわからなかった。牧場代表の川越が馬体の確認をしても外傷は見当たらない。鼻からの出血のように見えた。ただこの時は出血は止まっていた。獣医もすぐに駆け付けてくれ、内視鏡検査をした。鼻からの大量の出血は、カビ(真菌)が原因の喉のう炎が最も疑われたが、内視鏡で喉のうからの出血痕は見当たらなかった。内視鏡だけでは原因がわからなかったので、その時は止血剤を打ってもらい、様子を見ることとなった。内視鏡検査を受けた洗い場と馬房の往復は問題なく歩けており、原因はわからないまでも、まさかこの後急変するとは考えていなかった。

 慌ただしく時間が過ぎ、午後に少し休憩を取った。川越が午後3時前に馬房に様子を見に行くと、また鼻からの出血が起きており、発見した時には横たわっていたという。すぐに獣医に電話をかけたが、遠方での診療ですぐには来られないとのことだった。かなりの出血だったこともあり、他の獣医に電話をしようとしていた矢先、プリサイスは息を引き取った。

 夕方、引退馬協会の方、プリサイスを引退馬協会に繋げたY.Hさん夫妻が駆け付けた。獣医も遠方での診療を終えたのち、遺体の確認を行った。原因がわからなかったこともあり、北海道日高家畜保健衛生所で解剖をして死因究明をすることとなった。翌日、お世話になっている近隣のT牧場の社長が知り合いからトラックを借り、遺体の搬出を手伝ってくれた。

 解剖を終えたプリサイスは、焼却されてお骨になって戻ってきた。Y.Hさん撮影の遺影とともにたくさんの方から届けられた花が供えられた祭壇にそのお骨も安置した。2日前まで食欲旺盛で美味しそうに人参や黒砂糖を食べていたプリサイスはもういない。悲しいのか寂しいのかよくわからない複雑な感情だった。ただもっと一緒にいたかった。心からそう思った。

第二のストーリー

亡くなる前日、メトと戯れるプリサイスエンド(提供:Y.Hさん)


 解剖の結果は右の副鼻腔の上顎洞で炎症を発症しており、それが悪化して副鼻腔内の動脈から大量に出血して死に至ったというものだった。副鼻腔炎になると普通は鼻が臭ったり、鼻水や鼻出血がみられるが、プリサイスに関してはほとんどその症状は見られず、気づかないうちに症状がどんどん悪化していたと考えられるそうだ。目立った症状がなかったのは確かだが、どこかでサインを見落としていたのではないか。それも反省点の1つとなった。

 プリサイスエンドが旅立って1年という月日が流れた。養老牧場の1番の仕事でもある「看取る」ということを教えてくれたプリサイスには感謝の気持ちしかない。そして高齢馬はいつどうなるかわからないということを身に沁みて感じた。現在はプリサイスエンドと同じ引退馬協会所有のメイショウドトウとタイキシャトル、そして牝馬は1頭増えて4頭の、計6頭がノーザンレイクで暮らしている。1日1日、悔いのないようそれらの馬たちと向き合い、馬たちが出しているサインを見落とさないようにしよう。それがプリサイスの命に報いることにもなる。そう信じて、これからも養老牧場に携わっていくつもりだ。

(了)

【公開スケジュール変更のお知らせ】

当コラムは来月より、隔月での更新にスケジュールを変更させていただくこととなりました。次回の更新は5月を予定しております。引き続きのご愛顧賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。



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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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