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【森一馬×小牧加矢太×藤岡佑介】第2回『岩田康誠騎手の姿でひらめき、netkeibaも使って… 小牧太騎手は確信犯?!』

  • 2022年04月13日(水) 18時02分
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▲加矢太騎手が障害専門騎手になったきっかけは…?(撮影:桂伸也)


3年連続障害リーディングの森一馬騎手(29)と、馬術競技のチャンピオンから転身した小牧加矢太騎手(25)との対談。一馬騎手は今週末の中山グランドジャンプに、ケンホファヴァルトで挑みます。その騎乗に是非ご注目ください!

さて、今回のテーマは加矢太騎手が障害専門の騎手になるまでの、波乱万丈の人生について。一度は完全にあきらめた騎手の夢。時を経て、その道に再び立つことになったのには、父・太騎手の策略が?!

(取材・構成=不破由妃子)

太「あいつ、なんで障害を飛んでるんやろ」


佑介 加矢太くんは、いつから馬に乗っていたの?

加矢太 小学6年生のときから始めて、本格的に乗り出したのは中学に入ってからですね。ジョッキーになりたくて栗東トレセンの乗馬スポーツ少年団に入ったんですけど、騎手の息子はどうしても目立つから、その前にある程度は乗れるようになっておかないとということで、京都の宇治にあるカシオペアライディングパークで乗馬を始めたのが最初です。

──その後、中学を卒業する年にJRAの競馬学校を受けて。

加矢太 はい。1年目は不合格で、2年目も一次試験までは受けたんですけど、二次試験の前に心身ともに断念したんです。

佑介 やっぱり体重?

加矢太 そうです。どう考えても不可能というくらい、規定体重より重かったので。頑張って絞ったりもしましたけど、もう心身ともに限界でした。

佑介 当時から背が大きかったの?

加矢太 さすがに170cmはなかったですけど、それに近いくらいはありましたね。

佑介 それはきつい…。今はちょっと変わっているけど、俺たちの頃なんて、試験を受ける時点で43キロ以下じゃないとダメだったもんなぁ(現在は、中学を出たばかりの受験者は45キロ以下が応募資格)。俺なんて、入学時点で149cmやったもん。

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▲「俺たちの頃なんて、43キロ以下じゃないと…」応募資格から狭き門の競馬学校(撮影:桂伸也)


一馬 そうなんですか!?

佑介 うん。それでも42キロくらいあってギリギリやったよ。みんなむちゃくちゃ小さくて、170cm近くある子なんていなかった。やっぱり

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JRAジョッキーの藤岡佑介がホスト役となり、騎手仲間や調教師、厩舎スタッフなど、ホースマンの本音に斬り込む対談企画。関係者からの人望も厚い藤岡佑介が、毎月ゲストの素顔や新たな一面をグイグイ引き出し、“ここでしか読めない”深い競馬トークを繰り広げます。

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1986年3月17日、滋賀県生まれ。父・健一はJRAの調教師、弟・康太もJRAジョッキーという競馬一家。2004年にデビュー。同期は川田将雅、吉田隼人、津村明秀ら。同年に35勝を挙げJRA賞最多勝利新人騎手を獲得。2005年、アズマサンダースで京都牝馬Sを勝利し重賞初制覇。2013年の長期フランス遠征で、海外初勝利をマーク。2018年には、ケイアイノーテックでNHKマイルCに勝利。GI初制覇を飾った。

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