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1度騎手を辞めようと悩んだナイスガイ騎手が再活躍の予感

  • 2022年05月04日(水) 12時00分

ジェームス・ドイル旋風巻き起こるか


 4月30日にニューマーケットで行なわれた、英国3歳3冠第1戦のG1・2000ギニー(芝8F)は、オッズ6倍の3番人気に推されていたコリーバス(牡3、父ドバウィ)が優勝を飾った。

 実に意外に思ったのが、手綱をとったジェームス・ドイル騎手(34歳)にとって、これが英国3歳クラシック初制覇だったという事実である。ドイルと言えば、大一番で度胸のよい騎乗をすることで知られた騎手だ。

 ランボーンを拠点に厩舎を営んでいた女性調教師ジャッキー・ドイルの子息として生まれたのが、ジェームス・ドイルだ。2013年から北米を拠点に騎乗し、現在は妊娠中で戦線を離れているソフィー・ドイルは、彼の姉である。

 16歳だった2004年に騎手デビュー。3年目の2006年に73勝をあげてプチ・ブレークしたが、そこから伸び悩み、2009年は28勝、2010年は29勝に留まった頃は、騎手を辞めることを真剣に考えたという。

 手先が器用なことから、ガスや水道の配管工になろうと思い、そのための教習を受けるべく訓練学校に願書を提出するところまでいったのだが、結局は思いとどまり、騎手を続けることを決意している。

 2011年には年間76勝と持ち直した後、2012年からロジャー・チャールトン厩舎の主戦騎手に指名されて、ついに本格的なブレークの時が来た。

 この年の3月、チャールトン厩舎のシティスケイプに騎乗してメイダンのG1ドバイデューティフリーを制し、G1で重賞初制覇を果たしている。翌2013年にはアルカジームとのコンビでG1タタソールズGC、G1プリンスオヴウェールズS、G1エクリプスSを制覇。

 さらに2014年には、ジョン・ゴスデン厩舎のキングマンに騎乗し、G1愛2000ギニー、G1セントジェームスパレスS、G1サセックスS、G1ジャックルマロワ賞を制している。

 2014年の秋から、シェイク・モハメドの競馬組織ゴドルフィンと騎乗契約を結び、翌春のドバイ・スーパーサタデーで早速、アフリカンストーリーに騎乗してG1アルマクトゥームチャレンジラウンド3、ハンターズライトに騎乗してG1ジェベルハッタを制する活躍を見せた。

 その後は、ゴドルフィンの青い勝負服を身にまとっての騎乗が中心となったが、その一方で、事情が許せば他の厩舎からの依頼も受け、2017年にはマイケル・ベル厩舎のビッグオレンジでロイヤルアスコットのG1ゴールドCに優勝。

 2018年にはマイケル・スタウト厩舎のポエツワードとのコンビで、G1プリンスオヴウェールズSやG1キングジョージ6世&クイーンエリザベスSを制覇。同じく2018年にはウイリアム・ハガス厩舎のシーオヴクラスに騎乗し、G1ヨークシャオークス制覇も果たしている。

 もちろん、ゴドルフィン所属馬の手綱をとってのG1制覇も複数あり、例えば、2019年にブルーポイントが中3日でG1キングズスタンドSとG1ダイヤモンドジュビリーSを制し、ロイヤルアスコットのスプリントG1ダブルの偉業を達成した時、鞍上にいたのはジェームズ・ドイルだった。

 つまりは、ここ10年以上、英国騎手界の最前線にいるのがドイルで、それだけに、3歳クラシック初制覇と聞いて、筆者は意外に思ったのである。

 調べてみたら、惜しい機会はあった。2000ギニーに関して言えば、2014年にオッズ2.5倍の1番人気に推されたキングマンに騎乗し、ナイトオヴサンダーに1/2馬身遅れをとる2着に惜敗。キングマンにとっては、通算8戦してこれが唯一の敗戦だったから、まさに痛恨のニアミスだった。

 あるいは2017年、オッズ4.5倍の2番人気に推されたバーニーロイに騎乗し、ここでも勝ち馬チャーチルに1馬身及ばぬ2着に終わっている。

 コリーバスの手綱をとり、先頭でゴールを駆け抜けた瞬間、ドイルは左手で顔を覆い、涙を隠すような仕草を見せた。ようやく果たした英国クラシック制覇に、万感の思いがあったことは、容易に想像がつく。そして、ゴドルフィン所属馬に騎乗してのG1制覇も、前述した2019年のダイヤモンドジュビリーS以来、2年11カ月ぶりのことだった。

 実を言えば、現在のジェームス・ドイルのポジションは、ゴドルフィンの第2騎手である。駒の豊富なゴドルフィンではあるが、良い馬は第1騎手のウイリアム・ビュイックが騎乗するのが原則で、実際に2000ギニーでも、オッズ2.25倍の1番人気に推されていたネイティヴトレイルに騎乗したのは、ウイリアム・ビュイックだった。

 そんな状況にありながら、決してクサることなく、調教でも実戦でも忠実な騎乗を続けるドイルを、ネイティヴトレイルやコリーバスを管理するチャーリー・アップルビー調教師も、高く評価。2000ギニー後の会見でも、「ジェームスは真のスポーツマンであり、私たちのチームにおける極めて重要なメンバーです」と、コメントしている。

 筆者もドバイで何度か彼にインタビューする機会を持ったが、いつも誠実に応対してくれて、笑みを絶やさず話してくれる姿に、おおいに感銘に、心底から好感を抱いた覚えがある。

 そんな「ナイスガイ」ジェームス・ドイルに、競馬の神様は今年、飛び切りの笑顔を投げ掛けることを決めたようである。

 2000ギニーの翌日、同じニューマーケットで行なわれた牝馬3冠初戦のG1英1000ギニー(芝8F)を制したのは、ジョージ・ボウヒー厩舎のキャッシェ(牝3、父アクレイム)だったが、手綱をとっていたのはまたしてもジェームズ・ドイルだったのである。

 2000ギニーと1000ギニーの同一年連覇は、1967年のジョージ・ムーア、1970年のレスター・ピゴット、2005年のキアラン・ファーロン、2015年のライアン・ムーアに次いで、史上5人目の快挙だった。

 今年の欧州競馬は、「ジェームス・ドイル」が台風の目になりそうである。

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1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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