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田原成貴さんのテープ起こしが面白い

  • 2022年06月02日(木) 12時00分
 ダービーが終わっても、まだ仕事場の資料整理は終わらない。

 薄々気づいてはいたのだが、私には収集癖と保存癖があるらしい。子供のころは、切手、コイン、仮面ライダーカード、メンコ、昆虫の標本などを山のように集めていた。そのなかで、今でも金になりそうな切手とコインだけは残っている。我ながらセコくて感心する。

 仕事でもその姿勢は変わらず、もらえるものは何でももらうし、「今だけ」とか「ここだけ」という付加価値を感じさせる言葉にものすごく弱い。取材先で買ったのはいいが、その後、何年も、いや、20年も30年もひらくことのない「お宝」の資料がごっそりある。

 そのひとつが、1990年代のアメリカの競馬新聞「デイリーレーシングフォーム」だ。アーリントン国際競馬場(当時の名称)やサラトガ競馬場などのレーシングプログラムもある。

 武豊騎手はデビュー3年目、1989年の夏から毎年海外遠征に出ており、私は翌90年からアメリカを中心に同行取材するようになった。そのとき購入したフォームとレープロ、さらに、首からさげるスタイルのプレスパスも保管してある。

 プレスパスはF1やWRC(世界ラリー選手権)などのものもあり、処分しようかと思っていたら、3年前、松屋銀座で行われた「大人の流儀 伊集院静展」を見て、自分もいつかこういう展示をするかもしれないからと、取っておくことにした。

 パスは軽いからいいのだが、フォームはびっくりするほど重い。出馬表や成績表に武騎手の名前が載っているのはごく一部で、年に10部か多くても20部ほどなのだが、それがほぼ10年分あるので、重いうえにかさばる。

 ツイッターなどで呼びかけて、ほしい人に譲ろうかとも思ったのだが、1994年に武騎手がスキーパラダイスでムーランドロンシャン賞を勝ち、日本人騎手初の海外G1制覇をなし遂げたことを「テイク(タケ)・イン・パラダイス」という気の利いた大見出しで報じるイギリスの「レーシングポスト」が出てきて、気が変わった。これとフォームをセットで持っていてこそ価値があると思ったからだ。

 また「価値」という言葉に縛られてしまうわけだが、考えてみれば、自分の仕事場のスペースを確保することもまた「価値」のひとつではないか。どちらの価値を上にとるべきか、と考える時点で、まだ「価値」という概念にとらわれているわけだから、とりあえず、労力の少ない現状維持を選択した(これも価値か)。

 もうひとつ迷っていたのはテープ起こしである。昔は、取材するときはカセットレコーダーで音声を録音した。そのテープを専門業者に出し、20字×20字や、自由な書式でプリントアウトしたものを受け取った。フロッピーを渡してもらうこともあった。

 それらも私が仕事を始めた1980年代の終わりから保存してあり、まっすぐ積み上げたら(そうしたことはないが)2mを超えていたと思う。これは今回処分した。「ゴミ」とは表現したくないので、どう処分したかは記さないが、大量の書類を処分する際の通常のやり方である。

 武騎手と明石家さんまさん、中嶋悟さん、片山右京さん、荻原健司さん、藪恵壹さんらとの対談のテープ起こしもあった。これらにも「価値」があるように思ったのだが、そこから吟味して、より価値の高い原稿に仕上げ、記事として世に出したのだと思うと、後ろ髪を引かれることはなかった。テープ自体も処分した。

 考えてみれば、その記事も大量に残って本棚を占領しているのだから、どこかで線を引かなくてはキリがなくなる。

 今はICレコーダーで音声を録音し、メールやファイル便でやり取りする時代になった。私などは今でも「テープ起こし」と言ってしまうのだが、先日、若い編集者に「文字起こしをしておきます」と言われて、なるほどと思った。

 あと、ファイルもかなりの大物だ。それぞれにびっしり紙が入っているので、重いし、幅もある。

 そのひとつ「田原成貴師・資料」と自分でタイトルをつけたファイルにも、テープ起こしが入っていた。

 テープ起こしだけで2cm以上の厚さがあるから、成貴さんは何時間話したのだろう。左上をホッチキスでとめた6つの束のうち、最後の束のタイトルが「テープ3 B面」となっている。120分テープが3本だとすると6時間か。

 これは成貴さんが騎手を引退し、技術調教師だった1998年春に取材したときのものだ。

 パッとひらいたところのテーマは「十中八九は負ける勝負に臨むときはどうするか」というもの。面白そうだ。

 まずは、私からの質問を原文ママで。

「(前略)そういう勝負に挑まなければいけない時。だけど負けたくない。ここは勝たなければならない所だ。絶対に勝ちたいと思っているところだ。まず、そういう時の気持ちの整え方。例えば、これ、去年の春天なんかは、はっきり言って相手がローレルで、今、僕は勝手に『去年の春天』と言ってしまったのですが」

 この「去年の春天」というのは、1997年の天皇賞・春のことだ。単勝2.1倍の1番人気は連覇を狙った横山典弘騎手のサクラローレル。成貴さんのマヤノトップガンは単勝3.7倍の2番人気。3番人気は武騎手のマーベラスサンデーだった。「三強」の構図ではあったが、ローレルが頭ひとつ抜けているという前提での三強であった。

 それに対して、成貴さんはこう話した。こちらも原文ママで。

「まさにそうです。十中八、九、普通に事が運べば負けるだろうと。でも、勝たなければいけないと。となると『どうしようかな?』と。その『どうしようかな?』を考えると、十中八、九負けるのがより明確になってくるんです。

 (中略)だから、『勝つかもわからない』というのは、ローレルが前の馬に不慮(不利=筆者注)を受けて大きく躓いて、落馬寸前のことでもやって下がってしまったとかさ。だから、最後の直線までうまくいけたけど、抜け出す時に、大パッチンを受けてさ。そこまで考えた時に『それならば勝てるか?』といったら、勝てないんです。そこまで考えても勝てない。

 (中略)そこにもってきてもっと困ったのは、今まで勝ったパターンでは絶対に勝てないことが、より明確なんです。

 (中略)でも、何%か望みを託すのならば、周囲の人たちに、結果が悪く出た時に非難される乗りかたしかない。言わばああいう阪神大賞典みたいな。

 (中略)『じゃあ、自分の馬の良さを分かってくれよ』と声を大にして言いたいけど、それができない。もう、窮地だよね。その時に『心構え』というのが」

 その天皇賞・春で、陣営は先行策を望んでいた。しかし、成貴さんは、背中を伸ばしてゲートを出るようになっていたマヤノトップガンをあえて促さず、背中を収縮させてリズムよく走れるまで時間を与えた。

 その結果、前走の阪神大賞典同様、後方に位置することになった。そうして脚を溜めたマヤノトップガンは、最後の直線でほかの二強を一気にかわし、勝利をおさめた。

 このファイルには私の取材メモなども入っているので、引きつづき保管しよう。

 嗚呼、なかなか資料が減っていかない。

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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