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悲しみを癒してくれたもの

  • 2022年07月14日(木) 12時00分
 先週の金曜日、安倍晋三元首相が銃撃に遭い、亡くなった。67歳だった。

 犯人と、安倍さんへの個人攻撃を煽動してきた人間たち、無能なSPと奈良県警に対する怒り、それに対して何もできない悔しさ、無力感など、さまざま感情を、大きな悲しみと喪失感が、今も私を覆っている。

 私の母が悩まされていたのと同じ難病の潰瘍性大腸炎を患いながらも日本のために奔走する安倍さんの姿にどれだけ勇気づけられたことか。前にも書いたが、安倍さんと同じアサコールという薬を使うようになってから、母の病状もずいぶんよくなった(結局、違う病気で他界したが)。

 政治家としても尊敬しており、今後、中国やロシアの脅威から日本を守るためになくてはならない大きな存在だっただけに、私は、自分の理念が殺されてしまったようにも感じている。

 あれからしばらく、ニュースで事件の続報を見るのがつらくて、必要最小限の情報にしか接しないようにしていた。

 そんななか、打ち沈んだ気持ちを癒してくれたのが、今週月曜日と火曜日(7月11日、12日)に行われたセレクトセールだった。

 愛らしい当歳馬や1歳馬の姿を見ているだけで心が和む。また、仔馬たちに夢を託した人々の思いが金額となって、どんどん上がって行くのも、どうしようもない閉塞感に苦しめられていただけに、いい薬になった。

 当たり前だが、セリというのは、最初に出た値より上がって行く。「2億円というのは高く見積もりすぎたので、やっぱり5000万円安くしてくれ」といった、ほかの場では普通にあり得ることが、起こらない。「アガる」という言葉が、気持ちが高揚するという意味で使われるように、滅入ったときにはセリを見るといいのかもしれない。

 逆に、金持ちが気前よく買い物をするところを見ていると、妬ましくて、余計に落ち込む、という人もいるだろう。そういう人は、高額落札馬のその後を追跡調査してみるといい。金持ちは、夢だけではなく、リスクも同時に大枚をはたいて買っていることがわかる。

 今年のセレクトセールの2日間合計の売上は、史上最高の257億6250万円に達した。

 257億円というのはどういう金額で、これだけあればほかに何ができるのか。

「257億円」でネット検索してみると、まずセレクトセールのニュースがいくつか出てきて、次に、「最近の調剤医療費の動向 令和3年度1月号」というデータにおいて、75歳以上の内服薬の循環器官用薬が「257億円」となっている。その次は、三井E&Sホールディングスが発表した2022年3月期連結決算で、経常損失が「257億円」へ拡大したというニュース。つづいて、平成29年4-6月期の国籍・地域別の訪日外国人旅行消費額で、オーストラリアが「257億円」というもの。

 余計にわかりづらくなったので「250億円」で検索すると、まず、年商「250億円」の企業はどのくらいの規模かというQ&A、次にセレクトセールの結果、ほかでは、日本レコード協会が発表した今年第1四半期の音楽配信売上が、統計を取るようになってから初めて「250億円」を突破したというニュース、マリリン・モンローの肖像画、アンディ・ウォーホルの作品が「250億円」で落札されたというニュースなどが出てきた。一貫性はないが、ニュースになる金額ということだけはよくわかった。

 セールの合計金額よりわかりやすいのは、1歳、当歳ともに、落札平均価格が5700万円台だった、ということだろう。都内のファミリーマンションの価格がそんなものだ。私たち庶民の一生の買い物が、2日間で、売却頭数の447頭分行われた、ということになる。

 これから競走馬になる馬たちの祭りがセリならば、引退した競走馬たちにとっての世界最大級の祭りが、来週末、福島県太平洋側の相馬市、南相馬市で始まる相馬野馬追だ。今年は2019年以来3年ぶりの通常開催となる。出陣するのは354騎と、コロナ禍前よりやや少ないが、それでも久しぶりに甲冑競馬や神旗争奪戦を見られるのは嬉しい。

 私は月曜日の野馬懸を見たあと青森に入り、翌日、最年少ダービージョッキー・前田長吉の墓参りをしてから、三沢の寺山修司記念館を訪ねる予定だ。

 こうして先々のことを考えると、少し元気が出てきた。

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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