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相馬野馬追、3年ぶりの通常開催

  • 2022年07月28日(木) 12時00分
 3年ぶりの通常開催となった世界最大級の馬の祭「相馬野馬追」を取材してきた。

 コロナ禍のため、一昨年、2020年は相馬中村神社で出陣式、相馬太田神社で例大祭、そして相馬小高神社で上げ野馬神事が、それぞれ無観客で行われるにとどまった。

 昨年は縮小開催となり、宇多郷の40騎ほどが相馬市内で騎馬武者行列を披露したが、呼び物の甲冑競馬や神旗争奪戦などは中止。沿道に観客は出ていたものの、東日本大震災に見舞われた2011年と同程度の規模での開催となった。

 今年は、五郷騎馬会(宇多郷、北郷、中ノ郷、小高郷、標葉郷)から350騎ほどが出陣。甲冑競馬や神旗争奪戦が行われた7月24日、日曜日には、約2万人の観客が雲雀ヶ原祭場地を訪れ、現代の戦国絵巻を楽しんだ。

 次に写真付きで紹介するのは、相馬野馬追3日目の7月25日、月曜日に、相馬小高神社で行われた野馬懸(のまかけ)の模様だ。野馬懸は、騎馬武者たちが参道を駆け上がり、境内に裸馬を追い込む。それを御小人が素手でつかまえ、神前に奉納する――という神事である。

 この野馬懸こそが、相馬野馬追において千年以上つづいている形のもので、これがあるからこそ国指定の重要無形文化財になったと言われている。
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相馬小高神社の参道を駆け上がる元競走馬のウォースパイト



 今年は3頭が「追われる」役を演じ、最初に登場したのは上の写真の芦毛馬、元競走馬のウォースパイト(父クロフネ)だった。

 昨年の野馬追にも出陣した馬で、宇多郷功労者の持舘(もったて)孝勝さんが飼育している。

 その後に走った2頭も持舘さんの馬なのだが、上手く騎馬武者たちに追われて、単騎で逃げることができたのはウォースパイトだけだった。ほかの2頭は騎馬武者たちに追いつかれ、2、3番手で参道の坂を駆け上がることになったのだが、それはそれでギャラリーを沸かせていた。
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白装束の御小人たちが素手で馬をつかまえる



 御小人(おこびと)たちが馬をつかまえるときも、走っている馬に飛び掛かってしがみついたり、派手に振り落とされたりして、観客たちを楽しませる。ひどい落ち方をして地面に横たわって動けなくなった御小人が、桶で「御神水」をかけられるとたちどころに復活する様は、何度見ても笑ってしまう。御小人たちは、実は、馬を扱い慣れている騎馬武者なので、馬を傷めることもなければ、自分たちが大怪我をすることもない。
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つかまえた野馬を、観客の眼前で神前へと導く。先頭は小高郷副軍師の本田博信さん



 小高郷副軍師の本田博信さんに先導され、御小人たちにつかまえられたウォースパイトが本殿へと向かう。そして、神前でたてがみに紙垂(しで)を結びつけられ、奉納される。
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神前でたてがみに紙垂を結びつけられるウォースパイト



 紙垂とは、神主が手にする御幣(ごへい)などについているのと同じく、ジグザグに折られた白い紙のことをいう。馬のたてがみに紙垂が結びつけられるところを見ると、本田さんの父で、五郷騎馬会長をつとめた本田信夫さんの姿が思い出される。前にも書いたが、震災の年に行われた略式の野馬懸で、これを紙垂ということを私に教えてくれたのが信夫さんだった。信夫さんは2年前の七夕に逝去した。その年、本田さんは、上げ野馬神事への参加を見送ろうとも考えたが、信夫さんが震災の年にも出陣して陣頭指揮を取っていたので、自身も参加することを決意したという。

 本田さんの住まいは、小高神社から徒歩十数分のところにある。原発事故のあと、福島第一原子力発電所から20キロ圏内だったので「警戒区域」に指定され、何年もの間、住むことはもちろん、出入りも制限された。そのため一家は、本田さんのお兄さんのいる会津に移り、長男で騎馬武者の賢一郎さん、次男の康賢(こうけん)さん、長女の賢美(さとみ)さんは、会津の学校に通うようになった。

 その後、賢一郎さんは檜原湖をベースにバスプロとして活躍するようになり、康賢さんは仙台の大学、賢美さんは会津の高校に通っている。
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野馬懸のあと小高神社で行われた小高郷の神旗争奪戦で、見事に旗を獲った本田賢美さん。右は母の宏美さん。



 本田さんの妻・宏美さんも震災後は会津で子供たちと暮らしており、今、小高の家に住んでいるのは、本田さんと、本田さんの母・ナミさんだけで、家の敷地内の厩舎と、鹿島区の厩舎の馬たちの世話は、普段は本田さんひとりで行っているのだという。私は、毎年野馬追で会うお子さんたちの様子から、てっきりみな南相馬で暮らしているものと思い込んでいた。それだけ、息子さんたちも娘さんも、みな自然に、風景にも空気にも溶け込んでいるのだが、故郷だから当然なのか。

 野馬追の時期になると、家族が小高に集合し、みなで馬の世話をして、各自の分担をこなしながら、副軍師という重責を担う本田さんをサポートしている。

 相馬野馬追を見て、そこに参加し、伝統をつなぐ人たちと接すると、これは確かに地域を代表する祭なのだが、祭以上の何か――家族や友人たちとの絆を強める特別なものがあることを、いつも感じる。

 今回は、コロナ対策もあって、あまりゆっくり話せなかったが、本稿にしばしば登場する小高郷軍者の蒔田保夫さんが、初孫を抱いて行列に参加した。蒔田さんは、本田さんの同級生だ。

 来年も、再来年も、相馬野馬追はある。

 この時期、私の仕事関係のパートナーはみな、私が野馬追取材に行くことを知っているので、誰もほかの仕事を振ってこない。月刊誌の編集者のひとりは、メールの末尾に「野馬追の時期に申し訳ありません」と書き添えてきた。

 来年も、再来年も、相馬野馬追に行こう。

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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